2011年11月3日のできごと

2011年11月3日。
初めて来た仙台で、多賀城駅から無料送迎バスに乗った。
車窓から見える景色は壮絶だ。
至る所ひび割れたり、ずれて段差ができた道路。
人為的にはできそうにない、イビツに変形した倉庫のシャッター。
空き地(元々なのか定かではない)には、散乱したガレキ。
中には、「オブジェか?」と思うような巨大な物まであって、津波の強力さに震撼した。

この年の3月、4基のビール貯蔵タンクが倒壊した。
新聞の報道写真で見たが、その無残さに涙が出た。

2016年3月25日付の河北新報ONLINE「<アーカイブ大震災>缶と瓶一つ一つ手で回収」によると、タンク倒壊のほか、「350ミリリットル缶に換算して1700万缶分もの」製品が散乱する被害にみまわれ、それを最初、重機を使わず、社員たち自身の手で回収したとある。
地震や津波の被害に遭って変形したり泥が付いている、本来なら誰かが飲んで幸せになっていただろう、でももうそれが叶わないビールやジュースを自分で拾っていく作業がどれほど無念だったか。
そして、それらが途方もないほどに散乱している惨状への絶望感、見えない終わりに漂う徒労感、続く余震…
それでも、一つ一つ、コツコツと拾い上げていく。

そうした私には想像すらできない懸命の努力により、仙台工場は前日2日に製品の出荷を再開し、3日の今日、工場見学を再開した。

スタッフの皆さんは、見学再開に嬉しそうだった。
見学者一組一組を、「祝 工場見学再開」の垂れ幕が下がるくす玉とともに写真に収め、「ご来場記念」として手渡してくれた。

工場見学が一通り終わり、最後はお愉しみの「ビール試飲タイム」。
揃いの制服を着た専門の女性スタッフに混じり、一人、スーツ姿の男性がビールを注いでいた。責任者の方かもしれない。
たまたまその列に並んだ私は、自分の順番になったとき、その男性に「再開おめでとうございます」と声を掛けた。
彼は、ビールを注ぎながらお礼を返してくれた後、晴れやかな笑顔でこう言った。
「やっと、皆様にご提供できます」
…危うく泣きそうになった。

そのビールは、仙台工場の全スタッフの想い・復興を願い待ちわびた(私を含む)ビール好きの想いが詰まった、格別の味がした。
あれほど丁寧にビールを飲んだのは、人生初だったかもしれない。

後日、仙台工場からお礼のハガキが届いた。
ハガキは印刷したものだったが、余白に、たぶんその時に担当してくださったのであろう女性ガイドと思われる方の、手書きの短いお礼メッセージが添えられてあった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?