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森信三いのちの言葉③ 第三章 真理は現実のただ中にあり


【第三章の概要】
この世の真理とは紙などに書かれたものでは決してなく、行動によって実現されるものです。
哲学や宗教は現実を捉えるための手段に過ぎません。
その好例が二宮尊徳で、幼い頃から独学で儒教や仏教を学びましたが、それを頭にとどめず人々の心の復興という実践に生かしました。
学んだだけの行動の伴わない知識より、実際にどう使うかを考えながら知恵を絞って身に着けた知識の方が遥かに力強いです。

真理とは人間を知ることによって辿り着くことができるもので、だからお釈迦様や孔子やキリストといった聖賢の言葉は何千年経っても輝きを放っています。
しかしそうした真理をコピーするに留まらず、自身で実践する中でしっくり来ないものはアレンジしていく必要があります。
真理に触れて感動したとしても、何もしなければすぐに消え去ってしまうので、感動したら即行動しなければなりません。
感動→行動→感動…のサイクルが人を強くしていきます。

(西郷隆盛の思想を取り上げ)自分で実践してないことを人にやらせようとすると、必ず失敗します。

ここまで実践の重要性を挙げてきましたが、実践に移すのは困難であり、計画倒れになることも少なくありません。
実践に移すためには「まず着手」が肝要で、やり始めたら石にしがみついてでも継続することです。
そうやって積み上げた実績が力となって人を呼び、新たなアイディアが生まれ、さらに人を呼ぶ成功のサイクルができあがります。

古代の哲学は現実世界と離れた世界に存在してきましたが、科学が現実社会を変革する中で力を失っていった歴史を踏まえても、哲学的真理が現実社会を変革するものとして見直さなければいけません。
思想も現実社会も全て人間が創り出したものなので、「人間とは何か」「人間いかに生きるべきか」を探求することで現実世界を変革することができるというのが森先生の思想です。
過去の知識が豊富なことより、将来の見通しがきく人が本当の知恵者ですが、真理は人間にあるので人間心理への洞察が最大のカギです。
人を動かし生かす知恵を身に着けることができれば、人間界の中でほとんどのことは可能になります。


実践の大切さ…「学思考」

この章では、一貫して机上の空論より不完全でも実践に徹することの大事さが説かれています。
「論語読みの論語知らず」ってやつですね。
私は『修身教授録』を人生のバイブルの一冊にしてまして、全講感じ入っているという訳ではないのですが、心に響いた講に関しては何らかの行動に移さないと気が済まなくなります。
寺子屋での実践に取り入れてみたり、寺泊をやってみたのも修身教授録がきっかけです。

また少し話はそれますが、孔子の「学びて思はざれば則ち罔し。思ひて学ばざれば則ち殆ふし。」という言葉にある通り、学んでそれを鵜呑みにするのではなく、自分で考えるということも大事です。
学んで考えなければただの信者ですし、学んだ感動を行動のエネルギーに変換しきれません。
私の実践としてはこのnoteで読後感をまとめたり、読書会で読後感を発表したりするのがそれに当たります。
師匠から「学思考」という表現を聞きましたが、「学び、考え、行動する」のサイクルが大事です。
だから読書もまずは量をこなしつつ、「これは人生変わる!」と思う本に出合ったら、読後感をまとめるなど考えながら熟読することが大事だと思います。
そんな本に出合えたのに読み飛ばして、時間が経ったら頭から抜けてるでは勿体ないですから。

この章では実践が大事!と説かれていますが、本文でも注意があるように誤解してはいけないのは、理論は言うまでもなく大事ということです。
全ては「学」から始まります。
正しく学ばず行動したら逆に悪影響になりかねません。
ただ、学ぶだけ学んで現実に生かさない人が多すぎるので、そのような人への警句を込めて実践の大事さを説いてるのでしょう。

人間こそが真理

この章は、真理は現実のただ中にあり→現実とは人間そのもの→真理=人間、という理論構成になっています。
私も全く同じように考えてまして、コロナ禍で3年近く続いた人間関係の希薄化には非常に危機感を抱いています。
マスクしての授業や黙食、各種イベントの中止は、子供の健全な育成に大きな弊害をもたらしました。
また大学生にとっても授業のオンライン化によって直接会う機会が著しく減少し、この時期にしかできない人間関係の構築が阻害されました。
青少年期に人と接してコミュニケーションを取ることは、人間育成として勉強よりも大事なことだと思っています。
いくらお勉強ができても、人間的に未熟では意味がありません。

終わったことを言っても仕方ないので愚痴はこれくらいにしておきますが、言いたいことは人間を知るということはそれほどに大事ということです。
行動の源泉となる感動も、読書などでも得ることはできますが、やはり人間との触れ合いの中でこそもっとも大きなものになります。
とは分かっているのですが私はと言えば、コロナ禍で飲み会の機会もめっきり減って、当初は非常にストレスが溜まりましたが今はすっかり慣れてしまい、飲み会の日はちょっと億劫な気分になることもあります。
この章を読んで改めて危機感を感じて、積極的に人と会う機会を作らないとなと思いました。

実践のコツ

この章では実践のコツとして、無鉄砲では良くないけど計画倒れになるくらいならまずは着手しなさいと説かれています。
私も昔は完璧主義で石橋を叩いて渡るタイプでしたが、今はまずやってみるということを意識して計画も立てるようになりました。
今やってる寺子屋も地域の子供なら誰でも知ってるくらいの規模になり、ゆくゆくは日本中にこの運動が広がればという思いはあります。
そのために今は風呂敷を広げるよりも、コツコツと目の前の子供に向けて全力で取り組むことを積み重ねることによって、共感してくれる仲間を増やすことが肝要だと思っています。
寺子屋始めてもうすぐ一年になりますが、想像もしてなかった所から徐々に仲間が集まってきてくれて、前に進んでいるという実感が自分をさらに後押ししてくれています。

物事を始めるために必要なのは、1人でも2人でもいいので仲間を見つけることですね。
一人で計画も実践も拡大もできるスーパーマンなら1人で始めてもいいのでしょうが、私自身現実にそんな人に出会ったことはありません。
三人寄れば文殊の知恵と言いますが、欠点を補い合い、長所を生かし合える仲間と物事を始められれば、できないことはないと思いますし少なくともできるという自信を持つことはできます。
その仲間が自分のためではなく「世のため人のため」の思いを共有できる人なら、言うことなしです。

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