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森信三いのちの言葉① 第一章 立志と心願


「立志」

志とは、分かりやすく言えば人生の目標で、それが本当に立てば漫然と遊んで暮らすことはできなくなります。
「何をして生きるか」ではなく、「何のために生きるか」と問われて即答できれば、志の立った相当の人物です。
人間がいつか必ず死ぬことを心の底から実感できた時、後悔するような生き方をしたくないという思いがふつふつと湧き上がってくる、その自覚こそが人間の価値です。
後悔したくないという深い自覚と生きる目的が一つの方向性を持った時、それを「立志」と呼ぶのです。

志に沿う職業選択

だから結果よりも努力が大事で、人間として大事なことを継続してできることは単に仕事ができる以上に大切なことです。
だから職業を選ぶ時なども、収入などの条件ではなく自分が情熱を傾けられる仕事を選ぶべきです。
報酬を得る、自己実現にとどまらず、世の中の役に立っていると実感できることが職業人としての大きな喜びであり、それは日本に古くから「三方よし」として根付いている仕事観です。

自力で人生を切り拓く

努力が人生の決定する力を持つとは言え、自分の生まれ落ちた環境に抗い脱するには「超克の一路」と言うべき困難な道です。
その道を拓くためには、生活の安定程度の目標ではなく自分がこの世に生まれた意味を常に問う必要があり、それが強固なモチベーションになります。
そのためには、生き方の指針を決めて守り抜くことが肝心です。

「心願」

志を立ててその道を歩んでいると、生涯をかけて成し遂げたい具体的な目標が出てきます。
それを森信三は「心願」と呼んでいます。
人間は天から派遣され、その時に使命が書かれた眼に見えない封書を預かっています。
眼に見えなくても、その使命を果たしたときに生きがいを感じるように人間は作られています。
つまりワクワクする方向に進んでいくことで封書を解読でき、心眼に辿り着くことができるということです。

「志」と「心願」の違い

志が立つのは少年~青年期で、ある程度自己中心的な色彩を帯びるのはやむを得ません。
欲望が人生の推進力になる側面があるので、全面的に否定されるべきものでもありません。
しかし志を持って人生経験を積んでいると、世の中の本質が競争ではなく全員が快適に進むことであると分かってきます。
それが腑に落ちた時に、自己を捧げることがことができる人生の目標である心願を立てると良いでしょう。


読後感

以上、ざっくりとですが一章についてまとめてみました。
この著書でも『修身教授録』と同じく、立志の話から始まりました。
森信三の教えは机上の哲学とは違い、実践に非常に重きを置いています。
志が立ってないと実践に繋がらず、この先何を言っても「いい話だったなぁ」で終わるからまず立志の重要性を説いているのでしょう。
しかしこの章だけ読むと心願はおろか立志すら大変そうだし、天からの使命という表現が壮大過ぎて、一朝一夕には腑に落ちません。
その解決のために、次の章では森信三の一つの大事な教えである「人生二度なし」が紹介されています。
次の記事で書きますので、併せてご覧ください。

私の現在の志は「自分自身道徳を実践し、道徳を世に広めていくこと」です。
自分自身まだまだ道徳的な人間であるとは言えませんが、とにもかくにも実践しながら成長していくしかありません。
そのために読書会や寺子屋といった活動で学んだり実践したりしていますが、経済人である以上はやはり多くの時間を過ごす仕事でも実践していくことが志を貫くために必要なことだと思っています。
しかし、本文中にあった「三方よし」の精神は日本でも相当に失われており、道徳的精神で共に歩むパートナーを見つけるのは至難の業です。
逆に言えば道徳的アプローチはブルーオーシャンのチャンスと捉え、まずは「やってみせ」の精神で、自分の会社が道徳によって成功したというモデルケースを作ることが必要だと思っています。
自分のためでは行き詰った時にどうにも踏ん張れませんが、世のため人のためと思うことによって「何としても成功したい」という強い思いがふつふつと湧き上がってきます。
しかしまだまだ心願には程遠いなぁと恥じ入るばかりです。

最後に、他責にせず自分で人生を切り拓くという内容がありましたが、これは『7つの習慣』でも主体性に不可欠な要素として記されています。
経済状況に限らず家庭で受けた愛情や教育も含め、生まれた環境はいかんともし難く、抜け出せたとしてもその後の人生に影響が色濃く残ります。
何不自由ない子供時代を過ごしたとしても、逆境や挫折を味わってないことが大人になってから思わぬハンデとなることもあります。
この影響から脱するのは困難であるというのは森信三も7つの習慣も認めるところで、だからこそそういうものだと強く自覚しながら、志を立てて進み続けることが大事です。
そのために効果的なのは、自分の志を後押ししてくれる師匠・友人・パートナーとの会話、そして読書でしょう。
さらにその振り返りをこうやって文章にまとめると自覚を強めることができますし、後で振り返った時に「あの時はこんな風に考えてたなぁ」と自分の成長の軌跡をたどることもできます。
儒学で言う「学・思・行」の思に当たり、このnote執筆は自分にとってもいい経験になっています。

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