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繊細力

雨音で起きた。

ぼくはパソコンで作業するとき、いつもBGMを流している。一番好きな音は「雨音」だ。天から降り注いだ雨が、地上の人工物に当たるその音は、ときに強く、ときに儚い。鳴り止まない雨音をずっと聞いていると、いつの間にか集中モードに入る。

周波数のことはよくわからないけど、自分にとって心地よい周波数帯は、弱冠、人によって違うんじゃないかな。僕は基本的に大音量が昔から苦手だった。でかい声で話す人が嫌いだし、10代や20代の頃、果てしなく女遊びをしてた頃でさえ、歌舞伎町や池袋のガヤガヤうるさい音は嫌いだったし、クラブに限っては嫌いすぎて、人生で3回くらいしかまともに行ったことはないと思う。


自分の中にいろんな自分がいる。それはそうだけどベースの自分とはいつも同じかなと思う。僕にとってのそれは、繊細な自分だなと思う。


Delicacy is power.

繊細さは「delicacy」に翻訳されるのか。なんかデリカシーってあまりいいイメージないな笑。でも、繊細さとは最高に美しく尊いチカラだと思う。

このチカラの使い方は文字通り繊細だ。使い方とか使い所間違うと、何も成し得ない、ただの弱者、敗北者のレッテルを貼られる場合もある。

でも、自分のそれを認め、そのまんまの自分で生きることを覚悟して、それを守るためと同時に切り拓くために使おうと勇気を出して一歩踏み出す。繊細さを受け入れた人生を歩みつづけていくと、ビジネス、家族、恋愛、その他色々な人間ドラマを通じて、そのチカラは世界をかえる可能性を秘めたチカラだと気づく。


僕はこのチカラを「繊細力」と呼んでいる。これはいつか本になると思う。このチカラはこの地球上で最弱で最強のチカラだとぼくは思っていて、僕にとってもっとも崇高な聖なるチカラ。


10代、20代は色々と激しかった。仲間内からはルフィみたいだとよく言われていた。でも僕は自分がルフィじゃないことはよくわかっていた。破天荒のようで綿密に計算している自分が内側にいること、挑戦するときはいつもびびっている自分がいること、人の評価を気にする自分がいること、失敗を怖れている自分がいることを知っていた。ルフィよりもサンジタイプだと自覚していた。

当時は自分の繊細さが嫌いだった。

ある日、それを克服したいと思った。それで信じられない挑戦をしてみた。それを継続しながら、自分の繊細さを消そうと思っていたけど、それは消えるものではないと悟った。だからもう「放下」した。繊細さとともに生きていくことを決めた。今は、セルフイメージが高いとか言われるけど、もしそれが本当だとしたら、僕は当時の自分よりも圧倒的に自分を受け入れているからだと思う。

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ここまで書いてちょうど1111文字。自分の内側と対話できているサインだな笑


さて、今日もやるか。繊細さに溢れた自分で、好きな仲間たちとかけがえのない今を。

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