伝教大師(最澄)と法相宗の徳一法師の論争は伝教大師が勝ったんじゃないかなとも思ったりもする。(覚え書き)
最近、幸福の科学出版の『悟りの挑戦』上下巻を読みました。その中で伝教大師(最澄)と法相宗の徳一法師が昔、論争をしたそうですな。これは『三一権実論争』と言うらしい。
なんで争ったのかというと『三乗の思想が真実か、一乗の思想が真実か』らしいですわ。
そして一乗思想とはどういうのかというと「仏が『いろいろな人が居て、それぞれが修行して悟るのだ』と説き、声聞・縁覚・菩薩といった種類について説いたのは、方便に過ぎないのだ。本当は、すべての人は仏になれるのだ。仏乗、一仏乗しかないのだ」という考え方らしい。
うんでもって、三乗思想とはどういうものなのかというと👇にこれも貼り付けておきますね。
そして『法華経』(「方便品」)にこう書いているみたいですね。「シャーリプトラよ。私はいろいろ説いてきたけれども、本当は今までのは全部方便だったのだよ。私は、みんな仏になれるということが言いたかったのだよ」
☝だからか…。日蓮正宗系の宗教では方便品第二を唱えるわけなんだと、ふと納得した。
結局のところ、勝ち負けはついていないみたいだけど、総裁先生は徳一の勝ちとしているね。
徳一の勝ちでも良いんだけど、天台宗がなければ、その後に生まれてくる鎌倉仏教(浄土宗、浄土真宗、禅宗、日蓮宗など)はなかったんじゃない❓
とも思ってしまいますわ。つまり、勝ち負けはついていないけど、その後の歴史が証明しているような気がする。天台宗と同じ頃にできている真言宗から全てが始まったわけではなくて、天台宗から始まっているよね。
勝ち負けでは負けたかもしれない。伝教大師は。
しかしながら、どうだろう❓
全ての人が仏になれるというのは希望が持てるんじゃないかな❓現代のスピリチュアルとほぼ同じだと思う。
逆に如来になれる一握りで、筆舌尽くし難い修行を経てなれるものなら諦めちゃうんじゃないのかなって気がした。
最澄が重視した涅槃経の言葉「一切衆生悉有仏性」
「一切衆生悉有仏性」は生きとし生けるもの全てが「仏性」を有しているという言葉らしい。
自分は一乗思想の方が好きだな。「一切衆生悉有仏性」はとても良い言葉。
本当に現代のスピリチュアルに近い。斎藤一人さんも同じ様な考え方だったと記憶している。最近まではお経を唱えたり、瞑想をするのも否定的だったような気がする。『ありがとう』や『ツイてる』を唱えるのは推奨していたが、これらがマントラだとすると浄土真宗や日蓮宗に近いのか❓やっぱり、一乗思想に近い気がする。
それでも一人さんは最近、瞑想の本出したから変わってきているのか❓
☝炎🔥をイメージする瞑想法らしい。
結論としては、『悟りの挑戦』上下巻では三一権実論争で伝教大師(最澄)は法相宗の徳一法師に負けたと総裁先生はしているが、私は歴史、現代のスピリチュアルまで貫く思想として残っているし、多くの新宗教を生んだ伝教大師の功績は大きいし、負けてはいないと思う。
思想なんて完璧ではなくてもいいと思う。不完全だからそれを補おうとして新宗教ができ、活性化するのだと思う。
その功績は大きい。
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