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言葉と数2 霊(たま)結晶構造

数霊の数(カズ)は火素、水素です。プラスマイナスのエネルギーです。霊(タマ)というのは超古代の神観念以前にあった命の思想。それをタマ思想といいます。
ですから命が息吹いている姿が数霊です。また、命がカズタマの理を通して息吹いてくるわけです。

ですから私どもが学んでいる田上数霊学は命の学びです。

沖縄にはヌチ(命)ぞ宝ぞという言葉があります。同じ理念です。
また、アイヌにはカムイという言葉がありますが本当の発音はカムウイと発音し数霊学から分析すると命と同じ数になります。

私たちの命は時間に生まれてくるわけですから、数霊学では時間即生命であります。
その意味では時間というものを現在の科学、数学で扱うような数量に於けるものではなく、場をともなった質をみる数を展開しております。

今日のこの勉強会においても、今日という時間にこの場があるから、皆様とお話しを共有させて頂けるわけですね。
時間には時間場という場がともなっているという考え方です。そしてそれは序列を伴っています。
(この場は、同じ場でも、昨日の場とは質が違うことは明らかですね。)

それから、今のこの時間に方向性があるということです。この場において、皆さんの見ている方向と、私が見ている方向とは真逆だと言うことです。(このことは後から出てきますから覚えておいて下さい。)

皆さんの座っていらっしゃる位置はみな違います。これが質の違いです。

また、私達の生命は、精神活動を通して、成長する存在です。その精神活動は言葉によって行われます。言葉によって豊かな心が育まれます。
ただ、言葉はどの生命にも、それなりの言葉があります。犬には犬の鳴き声がありコミュニケーションをとっています。カラスにもカラスの鳴き声や鳴く回数でコミュニケーションとっています。

私達人間が動物達と違うのは文字を持つ存在だということです。文字を持つことにより、ものを作り過去の人たちの思想を知り創造活動ができるわけです。
その意味では文字即心といえます。
身口意の三業といいますが、ことばの文字が大切なんですね。数霊学では文字は精神の物質化と呼んでいます。

弘法大師 も、声字実相義で
五大に響きあり、十界に言語をぐす。六塵(認識対象)ことごとく文字なり
と言ってます。

私達の生命は時間に生まれていると同時に文字に生まれているんです。人は家系の姓という文字に生まれています。そして名前がつくことにより、言葉がまつわりついて、心が豊かになるわけですね。言葉の森の中に生まれているんです。

その生命の時間は生年月日として数で表現されます。

その生命の時間数と名前との関わりにおいて心が形成されるわけですから、言葉も数に還元して同じ次元で語る必要があると思います。
言葉の裏に隠れた数において初めて生命の時間の数と言葉の数との関連性において命が言霊となって息吹いてくるわけですね。

さて私たち数霊学徒は、時間と言語と場と序列という四つの概念を持って、構造を把握し自分の立っている位置を把握し、方向性を知り、未来に向かって、いかに創造の花を咲かせるかということを目的にしています。

それは例えば古事記の天地開闢の段において、
天地初めて開し時にとまず時が最初に出てきます。
タカアマハラにとこれは場ですね。
天之御中主神 名前です。
神すら名前がないと認識できないのです。
次に 神々が現れてきますがこれが序列です。
序列が合って初めて構造が出ます。

順番に神様が出て来て、まず造花三神が出来上がり、次に、次にと二柱現れて「別天津神五柱」という構造が出ます。
序列が構造だということがわかりにくければ、会社という一つの構造を考えてみますと、社長、専務、部長、課長と言うように、序列によって組織の構造が出来上がってきます。
社会は序列によって回転していると言えます。

自然発生の序列において、構造の中の自分の位置を知って、自分の生きる道を知り花を咲かせるわけですね。

では、少し観点を変えてみましょう。

最近の宇宙論では我々の宇宙の外には、また別な宇宙があってマルチバースなっているそうです。ブドウの房のように、いくつもの泡というか、玉になっているそうです。

極小の世界はどうでしょうか?ノーベル賞物理学者の湯川秀樹の素領域論の後継者である保江邦夫さんは、素領域理論においてもやはり泡のようになっていると言われています。その泡の中をぴょんぴょん、ぴょんぴょん粒子が飛び移っていくそうです。

よく素粒子の世界は意識が影響を与えるといわれていますが、もしその極小の世界に人間の意識が影響を与えるとするならば泡の構造になっていなければならないとのことでした。泡の構造になっていなかったら、人の意識が関与することはないとのことです。泡、つまりシャボン玉のような玉ですね。玉構造ですね。そうすると意識するということは、つまり考えるということは無意識においても言葉において考えています。思考はすべて言葉が関与していますから、言葉自体も泡構造、つまり玉構造になっているのではということです。

さて最初の目的は我々は文字自体を生きた精神活動にするために数に還元することでした。

そうすると言葉と文字を数に変換して玉構造にすれば、つまり漢字の画数や音霊数に変換してそれを玉構造にすれば、言葉が生きた精神構造になるわけです。霊結晶構造ができるわけです。(タマというのは命の事です)

つまり花という7の画数をもつ数字があれば七つの玉にするわけです。玉をひとつひとつ置いていくとかたち、構造ができます。七曜紋になります。一つ一つというのは、順番に数を展開していくことと同じですから、玉が時間と序列を伴って形を作っていきます。これが生きた言葉なんです。生きた言葉の結晶構造が見いだせるわけです。そしてハナという音霊数にすると47になり、これを玉にすると36個の玉に数をいれていけば、図のように47が見いだされます。47はまた命と同じ数ですので、花に命を見て響命するわけです。
(画数は構造をあらわし、音霊数は機能性を表します。)


この霊結びを見て、どうして数が八の字型に回転するのか不思議に思われたかもしれません。では、次にそれを見ていきましょう。




保江邦夫先生の保江方程式の解説で次のことを言ってます。

未来から現在に向かう時間と過去から現座に向かう時間を半分ずつ取り入れると、現在をあらわす方程式になると。
例えば
123456789 10と左から数える場合、普通に順番に数えられますが、私達の両手をみて下さい。
左手に手袋をはめているとして、それを今度は右手にはめようとすると指が合わないですね。ひっくり返すと上手い具合にはまります。このように物質界は反転構造になっています。

このように時間が現実化する場合、空間化する場合は、(捻れ)反転が必要になるんです。

つまり、こちらから見る方向と、向こう側から見る方向(あるいは、外側から見る方向と内側から見る方向)の二つがあって、それが半分ずつ合わさって現象化、物質化するわけです。結晶化するわけですね。

(動画を参照してください。)

https://youtu.be/-OA-v7RpzcM?si=pfK6djiLNy-wmDYY


これが霊結びにおいて数が八の字方に回転させる理由です。

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