脳を開く
調子が悪いときは、考えていることや考えられずにいることをとにかくnoteに書き尽くすのが一番良い。なぜならnoteは他人の声が聞こえてこないから。
他人の声っていうのはSNSにおける自分以外のアカウントの投稿のこともあるし、自分の脳内で聞こえるときもある。自分の脳内で聞こえる場合”他人”といってよいのか分からないけど、調子の悪いときの自分はもはや他人と言ってしまいたいくらいに厄介だ。
私の脳内で聞こえる他人の声の出現ランキング一位は、外出や旅行の準備を焦ってしているときに「のろのろしてたら今日も間に合わんで」と捲し立ててくる関西弁の中年女性である。これは自分の中のどういう情景から生まれてきた人なのか思い当たる節もないけれど、結構昔から頻出してくるおばさん。もはや慣れて気にしなくなっているのでここ数年は「アンタ○▼※△☆▲※◎★●やで」みたいな、関西弁で何か言ってるな~という、印象だけが脳内に浮かんでいる。
父や母にきつく叱られた経験とかもないし、関西からきた転校生にいじめられたこととかもないので、本当にただただ私の脳に居座る謎の妄想としてなんか、最近はもうダメージも全然受けてない。なんかいる、それだけ。
このおばさんがよく登場してくるころには、忘れ物や電車の乗り間違い、スケジュールミスなどが多くなったり、日々のちょっとした会話のとある一言や行動がずっと引っかかり不安でたまらなくなる。周囲の全ての人が自分を気持ち悪いと思っているのではないかという妄想でいっぱいになり、自分という存在をこの世から消したくなったりする。でもぎりぎり生活出来るし、あと仕事とか音楽とかはなんか普通に出来てしまう(とにかく人の目を気にする見栄っ張りなので)から医者に相談したことはない。毎晩しっかり寝ることことができるので一旦は誤魔化すことが出来てきた幸運な、愛おしい33年間。
ここ数年は自己啓発がうまくいっていたこともあって不安をコントロールできたり、以前よりは自信が持てて多少は人前で堂々とできるようになったけど、今年に入ってからなぜか、あんまりうまくコントロールできていない。うまくいかないので焦る⇒不安になる⇒焦る、を繰り返している。
まあただぐちゃぐちゃ考えていても意味がないので、深く考えてみる。去年の自分と何も変わっていないはずなのに今年はどうして肯定できないか?と考えてみると、それは去年の自分に慣れてしまったからな気がする。足るを知って自分に満足できる喜びを感じたら、次は今度はそんな自分に退屈してしまうのだ。
私なんてこんなもんだ、と思った矢先に、本当にこんなもん?まだやれるよな?やれないかな?と、私の私による私のためのプレッシャールーレットが発動する。
ルーレットといえば東京フレンドリーパークを思い出すけれど正にあのルーレットでパジェロの枠が物凄く小さかったように、私のルーレットも"やれない"が小さい、というかもはや、ない。
やれんのかい!?とスタートし、やれる!!!しか止まらないルーレットを回し続けている。
それで、何をやれんのか!?という話になると、私がやれることは人前で演奏すること以外ありませんので…
楽器を人前で自信持って弾けるようになった
👇だから👇
もっと色んなところで演奏したい
自分のプレーでたくさんの心を踊らせたい
という欲求が生まれて、なのに、全然ライブに人が来ないので
このままでは「札幌のアンダーグラウンドにずっといる楽器は上手いけど全く人気のないおばさん」になってしまう
という、焦りが出てきてしまったんですね
生きたいのか死にたいのか本当によくわからない
でも私はやるんだ
だってルーレットが"やれる!!"で回り続けているから。
音楽を続けていて良かったよ
音楽のおかげでルーレットを止めずに済んでいる、自分にポテンシャルを感じ続けられている、これがなかったら私はとっくに憂鬱に殺されていたね。これは本気でそう思っています。
何をやるかっつーと、動画更新したり、音源作ったり、ライブに人をたくさん誘ったり…
えっと……何すればいい?
おわり
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