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『デジモンアドベンチャー』に託された子ども達への願い

幼少期に夢中になっていたアニメ作品の1つが『デジモンアドベンチャー』です。

「ポケモンを卒業した子どもたちへ」というコンセプトで制作された本作は、まさに子どもの頃夢中になって観ましたし、大人になってから観直す機会があった際に、子どもの頃は気づけなかった「大人たちからのメッセージ」が読み取れてさらに感動しました。

あらすじ

サマーキャンプにいた7人は何も知らずにいた。
それが誰も知らない世界への冒険のはじまりになることを……。
洪水。干ばつ。真夏にふる雪……。
世界中がおかしかったその年の夏。
サマーキャンプに来ていた太一たち7人の少年少女は、日本では見えるはずのないオーロラから飛来した謎の機械の力によって異世界デジタルワールドに吸い込まれてしまう。謎と危険に満ちたその世界で彼らを待っていたのは、なぜか太一たちの名前を知る奇妙な生物、デジタルモンスターだった。

ストーリー紹介

選ばれし子どもたちの欠点

本作の主人公は7人の子どもたちです(小学校2年生~6年生、のちに1人加わり8人になる)。ひょんなことから「デジタルワールド」に迷い込んだ彼らは、さながら『十五少年漂流記』のように、子どもたちだけで未知の生物「デジモン」と、時に協力し時に対立しながら無人島をサバイブしていきます。

そんな今作ですが、シリーズ序盤のキャラクター紹介が巧みなんです。
ある1つの異常事態(=不思議な島に迷い込んでしまった)に対するリアクションを次々と取らせることで、彼らの性格を描写していきます。例えば主人公の太一は、状況が分からないとなると何はともあれ木に登り、ポケットの単眼鏡で周囲を見渡し見えた海へ行こうと提案します。また、最年長の丈(じょう)は子どもたちで勝手に動くのは危険だと、大人の救助を待つことを主張。4年生のミミに至っては「おなかが空いた」「お風呂に入りたい」とわがままばかり。

こうして物語序盤で示される主人公たちの欠点。太一だと「無鉄砲」であるとか「考えなし」。丈は「心配性」、ミミは「わがまま」。他にも最年少のタケルはその「幼さ」そのものが「足手まとい」などと思われてしまいます。こうした欠点を抱えた人物たちが、物語を通してその欠点を克服して成長することが(特にこうした子ども向け作品では)ある種の典型的なパターンとしてあります。しかし本作ではそれが少し違います。

欠点の肯定

もちろん「成長」することはするのですが、それが欠点の否定ではなく、肯定によって行われる点が注目に値するのです。

シリーズ後半に、彼らが相棒のデジモン達をパワーアップさせるアイテム「紋章」を手に入れていくというプロットがあります。これらには「友情の紋章」や「知識の紋章」といった風に1人1人固有に、人間の美徳や概念のような言葉を冠した名称がついています。それがそれぞれ、シリーズ冒頭で示された彼らの欠点を肯定するかのような名称になっているのです。例えば「無鉄砲」な太一には「勇気の紋章」、「心配性」の丈には「誠実の紋章」、「わがまま」なミミには「純粋の紋章」、「幼い」タケルには「希望の紋章」といったように。

つまり「無鉄砲」な少年がいた時、ついその無鉄砲さを抑制できるようになることが「成長」なのだと考えてしまいそうですが、本作ではその彼の「個性」「勇気」と名前を与えるのです。それこそが「成長」なのだと。または「心配性」な丈は誰よりも「誠実」に物事や他者へ向き合う人なのであり、ミミの「わがまま」さとは「純粋」ということで、タケルの「幼さ」とはつまり、未来がある「希望」なのだと、本作は言っているのではないでしょうか。

上述の通り、僕は大人になって改めてシリーズを観直した時に、この隠された製作者からのメッセージに気づき、まるで親の愛情を大人になってから知るかのような感覚を抱き、ますます大好きな作品になりました。

伝説級のスタッフ陣!

まあ、シリーズ中盤あたりからストーリーテリングの粗さが目立ってくるのは、目も当てられないものがあるのですが、少なくとも、数々のアニメ作品の脚本で神がかった手腕を振るっている吉田玲子さんの書かれた回(4話)や、その吉田さんと、今や世界に名を轟かせるあの細田守さんがタッグを組んだ回(21話)などは、今見ても恐ろしいほど美しく芸術的な一話になっていますので、そのあたりまでは一見の価値ありだと思います!

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