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名古屋

6年前の冬、私は仙台で大学生をしていた。
そしてなぜか大学の自習室で赤本を解いていた。

もう大学生だし、自分がいる大学で他大学の赤本を必死に解いているのにちょっぴり笑えた。


なぜ赤本を解いていたのかというと、編入試験を受けるためである。


編入を決意するのが遅く、試験がまだある大学で行きたいと思える大学が名古屋にしかなかった。


大学にも事前に許可をとる必要があり、
受験申し込みの期限も迫っていたから

遠いとか近いとか、知り合いがいるとかいないとか、名古屋はどんな街かとか、そんなことを気にする暇はなかった。


本当にあまりにも遅すぎたから、
試験はほぼノー勉だった。


なぜか受かった。



必死に回していた赤本では合格最低点いくかいかないかみたいな点数をたたき出していたので、まさに奇跡である。


そんなこんなで、名古屋行きが決まって
結局私は大学2年生〜社会人2年目の5年間
名古屋で過ごすことになる。


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編入して名古屋に引越してからの話を少しすると

大学に、
というか、名古屋に
というよりも、愛知県に
友達が1人もいなかったのだ。

編入生が友だちを作るのは割と厳しい。

教室に座っている人は何学部か、何年生かなんて分かりはしないし
取れていない必修の単位を1年生の中に1人まじって取ったりしなくてはならない。



「今日も誰とも話してないや」
「今日話したのはスーパーの店員さんだけか」
そんなふうに毎日家で振り返った。


名古屋に来て2ヶ月目の5月
色々耐えきれなくなり、大学のベンチで泣きながら親に電話したことは今でもたまに思い出す。



まあ、でも人生どうにかなるようにできていて
6月には友だちができたし、10月にはバイトも始めてそこでも友だちができた。


そこからの大学生活はフツー。平凡で平和。


就職活動も5社から内定を貰い、名古屋の会社に決まった。


そんなこんなで社会人生活も名古屋で送ることが確定したのである。


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社会人になってからはどうだったかというと
私は名古屋が結構好きになっていた。

なんなら名古屋で死ぬんじゃねーか、と
名古屋に骨を埋める気にまでなっていた。


じゃあなんで今関東に住んでるのかって話だけど

当時のお付き合いしていた人が東京にいたので、ノリと勢いで上京した。という感じ。(大馬鹿)

 
お付き合いしていた人に会いに行った帰りの
東京から名古屋に帰るバスで転職サイトで面接応募して、次の週には面接を受け、その次の週には内定貰ってたってくらいにはノリと勢いだった。


でも結局上京した4ヶ月後にはお別れしていたし、
マジ意味わかんねーわろたって感じ。



でも、大好きな名古屋にはキラキラした思い出だけが残って、汚いものは何も残さずにすんで
本当によかったなって思う。


名古屋は私にとってキラキラな街!であり続けてほしい!


ずっとずっと、名古屋は私にとって救いの場所でありますように

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最後に私が名古屋で一番好きな喫茶店
「サンセン」の写真載せておきます


名古屋に行った際は
ぜひ「サンセン」に!

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