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陰キャの独白① ~炎上時のなるべき理想と現実的な行動指針~

 先日、ツイッターで数日間トレンド入りする大炎上があった。Vtuber「潤羽るしあ」が配信中に歌い手「まふまふ」からのdiscordの通知を流してしまい、その文面から交際や同棲をしているのではないかと一気に広がったという事件であった。結局、一連の騒動の過程で潤羽るしあが第三者への情報の流出等を行い、契約解除されてしまうという悲惨な結果となってしまった。

 私は渦中の人となった潤羽るしあの切り抜き動画を何度か目にしたことがあるし、まふまふの様々な歌ってみた動画を見たこともあった。そんな二人による炎上に私は興味があったが、思ったことをツイートするのには気が引けた。炎上は百害あって一利なしと考えており、そこに私も加担することはしたくなかったからだ。

 そこで私は観察することにした。事件当初から現在まで、どういう人間が「るしあ」や「みけねこ」、「まふまふ」という文字を使い、どういう内容をツイートしているのか、また自身のTLに流れるffの中でその件について触れている者はどんなツイートをしているのかを眺めていることにした。そしてこれから炎上事を自分の中でどう扱うかを考えていくことにした。ここでは当人達の行動の是非には触れず、ネット上での反応に関して触れていく。

 事件が起きた日から今まで、様々な種類のツイートがあったが、目立ったのは以下のようなツイートであった。
①「るしあ」や「みけねこ」、「まふまふ」の片方もしくは両方のワードを用いた悪質なコピペ、ファンを嘲笑するような内容のツイート
②ネットから得られる情報を元にした二人の関係の推察(こじつけ、拡大解釈のようなものも多い)
③ファンの人によるインスタのネガ投稿のスクショやスペースの切り抜き
④潤羽るしあ、みけねこまたはまふまふの事件後の行動に関する批判
⑤ファンによる擁護、「これからも応援する」等の宣言、感謝の言葉

 一番意外であったのが、ツイッター上でファンによる「裏切られた」「許せない」等の怒りの声がほとんど見られなかったことである。事件当初のスペースの切り抜きでは嘆きや落胆の感情が受け取れたが、それもリプライでやりとりして文字に残すことより遙かに配慮された行動であり、どちらかと言えば切り抜きを上げた人間の方が良くない行動だと感じる。
 また、見られなかったからと言ってすべてのファンが⑤のような全肯定であるとは私は思っていない。中にはファンを辞めた人も存在すると思われるが、そのほとんどが何も残さず静かに去る行動を取っているから見られないのだと考える。それはファンでいられなくなった際に取る最良の行動だ。今回のような事件でもほとんどのファンは配慮した行動を取り、アンチ行動を取らないということは、観察によって得られた収穫であり、賞賛すべきだと感じた。

 その後、私は事件が起きた際の理想を考えていた。まず、①、②、③は必要ない。炎上の大半がこれによって引き起こされているからである。またこれらの投稿をしているのは荒らしが目的の野次馬であり、満足したらまるで興味が無かったかのように日常へと戻るのであろう。
 次に「④潤羽るしあ、みけねこまたはまふまふの事件後の行動に関する批判」について感じるのは、これを議論するのはファンであるべきではないのかということである。私も今回の騒動に対する双方の対応について思うことはある。しかしそれを世論であるとしても、対応が良かろうが悪かろうが今までと変わらず配信を追ったり動画を見たりしないであろう。今回の行動の是非を決めるのはファンであり、私含むさほど興味の無かった人達は傍観者でいるべきではなかろうか。これに対する反対意見としては、ファンは全肯定しかいないから正しい判断ができないという考えであろう。実際、ファンらしきアカウントのツイートをのぞいてみると、励ましや応援の言葉、契約解除を悲しむ声しか見つからなかった。ただし、当人が悪くないと主張している人もあまり見かけなかった。恐らくアンチや荒らし等の大量の悪意のある投稿を見て、自分たちは励ます側にならないといけないと感じたのではないだろうか。ファンであっても是非の判断はついていると思われる。よって④と⑤のような意見がその界隈内のみで議論される状態となり、部外者は口出しせず、彼らを無視していれば良いというのが私の理想である。そのために、ファンの中でも良くないことは良くないと言える雰囲気となればより良いと感じる。

 理想論を語ったところで仕方が無いことは十分承知である。今回の事件で飛び交った沢山の悪意のある発言に関して、今回は敢えて色々見て気分が悪くなってしまった。そういう意見を見なければ良いというのは最もであるし、これからはしない。しかし、それでは炎上と誹謗中傷は止まらず、事件によって負けるのは当人とそのファン、勝つ者は存在しないという結果を引き起こすことは止められない。恐らくすぐに解決する方法は存在しないのだろう。ここまで考えた結果、これからの自身の方針は、「知らない人の炎上には触れないようにし、自分が興味があった人や好きで見ていた人に関しても、触れないもしくはエゴサワードを避けつつ棘が立たないように是非を述べることに留めておく」に決めた。もし語りたければ友人との会話やネ友との通話で吐き出すことにする。もし私の文章を見た人が存在したら、同じような行動を取ってくれると嬉しく思う。この数十年で体罰は許されない世の中になったし、いじめはいじめた方が100%悪いという通説になった。ちっぽけな行動の一つ一つが、いずれ大きな結果となることを信じている。

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