鹿を捌く 後編

前編はこちら。なお、作業しながら写真は撮れなかったので、解体中の衝撃写真とかは無いです。文章表現だけでもNGな方は後編はスルーしてくださいませ。

お昼をはさんで、作業再開。
日差しが強く暑かったので、せめて影をつくろうということで、この状態でお待ちいただいておりました。

お腹をひらいて内臓を取る

使ったのは刃渡り長めの包丁でした。室田さんが「このために買っといたんだ!」って言ってたから専用のものなのかな?ざっくりした流れはおそらくお魚と同じ。お腹をひらいて内臓を取ります。ただし、魚と違って左右のあばら骨をつなぎとめている胸骨があるので、これを外さないとひらきません。幸い、あばら骨と胸骨をつなぐ部分は軟骨なので、胸の中心あたりから包丁を当てながらこのつなぎ目軟骨を探します。左右8本ずつくらいが繋がってた気がしますが、一つ一つ切り離していくと、胸骨がガパっとはずれ(胸骨、思ってたより大きかった!)内臓がごろーんと見えてきました。

記憶の底から、理科の教科書にあった人体の構造とかを思い出しつつ見てると、胸骨を外した奥の空洞にあったのが肺と心臓かな?その下は横隔膜みたいな白濁した薄い膜の中に胃(鹿も反芻だっけ?)とか肝臓とか腸とか諸々が入っている感じ。おお!だいたい同じ構造なのか、ほ乳類ですもんね。この膜ごとまるっと内臓を肋骨から外していき、最後に肛門あたりを切って胴からサヨナラしてもらいます。内臓が取れると鹿はものすっごくスリムに見えます。感覚として体重の半分ぐらいが内臓かと思うくらいの分量でした。内臓は、熟練者(ドイツの方とかかな?)はちゃんと取っといて加工したりもするそうですが、今回は土に埋めることになりました。内臓はすでにハエがたくさんたかって来ていて、それだけはちょっと怖かったかな…夏の解体はこれがきついですね。彼らの仲間への伝達力は半端ないです。

ちなみに、今回は室田さんが素晴らしく上手に内臓を取り除いてくださったのですが、この消化器系をうっかり傷つけてしまうと、鹿さんが生前食べたものや消化液やガスの臭いで大変なことになるというウワサです。解体中の人間も大変だし、何よりお肉が吐瀉物や排泄一歩前のモノでマリネされちゃうわけですしね... 解体ってホント、生命の仕組みの勉強になるわ。料理の勉強にもなりますね。

皮はぎ、ペースを掴むとスイスイ剥がれる

この辺まで私は鹿さんの胴体を支えるくらいしか役に立っていないのですが、ここからは普通の台所包丁を手に参戦。首回りの毛皮を切って、皮をはいでいきます。最初は毛が邪魔でうまく切れず、包丁を研ぎなおしてリトライ!首の回りの毛皮がぐるっと切れたら、そこから皮と肉をつないでいる白い膜を切って剥いでいきますが、これは結構たのしかったです。

首から尾に向かって皮を引っ張りながら、白いところをさくさく切るとどんどんむけるのです。鶏肉のカロリーオフのために皮や脂を切りはずす時やイカの薄皮を剥ぐ時と同じ。面白くなってホイホイ進めてたら毛皮を傷つけちゃったり、皮側にお肉が残っちゃったりした部分もあって、ちょっと無念…精進が必要ですね。それでも!徐々に美味しそうな部位が姿を現してくると、どんどんテンションは上がってきます。これが背ロースなのね!とか、足つきの生ハムみたーい!とか、ふふふふふふふふふふ、楽しい予感に胸をふくらませつつざくざく剥ぎます。

ぜーんぶ皮を剥ぎ終わったら、あとは骨からお肉を外していきます。男性陣お二方にお肉をざくざく切ってもらい、私は外した部位を水洗いしてバケツへポンポン入れていきます。バケツがお肉でいっぱいになって、逆に鹿さんは骨になって、命が巡る不思議な回路の中に自分がいるんだなぁと、ただ素直に思えました。

味見ーあれ? やわらかい!? おいしい!!!

さて、鹿肉というと、臭くて硬くて調理にはいろんな注意が必要!というイメージがあります。というわけで、一部のお肉だけでも、当日中に茹でてアク取りをしてみることにしました。調理手順としては、まず茹でて、それから煮込むくらいの気構え。ビヨンドの古民家の前庭にストーブがあるので、その辺の廃材を燃料に調理開始!

余談ですが、やっぱり火を焚くのは楽しいですね。昨年冬にシャスタ山麓で教わった薪の組み方が役に立って、枯草を火口にして廃材をがしがしと組み上げ、火が盛大に回ってきたらストーブのドアを締めてあとは待つだけ。廃材はそんなに厚手の板じゃなかったので、一度だけ燃料を追加して、20分くらい茹でたでしょうか、鍋のふたをあけてみると、なるほど薄茶色のアクが水の表面をほとんど覆うほどでした。

ここまで終わって、だいたい16時。私はこの日の夜のうちに東京に戻りたかったので、あと30分ほどしか滞在できないのですが、ここまで来て食べずに帰るわけにはいきません!茹でただけのお肉でもお味見していこうというわけで、スライスしたお肉を塩とごま油でいただいてみました。

臭みはまだ抜けてないかな?硬いのかな?
おそるおそる口に運んでみると… 

あれ?やわらかいです、普通に。生姜焼きの豚肉と同じくらい。
そして、臭み、全然気にならないよ。ウソ!?超おいしい!!!
私が野趣あふれるお肉が好きすぎてそう思ってるだけなのかと、佐藤さんに尋ねてみると「いや、ホントにおいしいですね、全然いけますよ。」と好感触でした。昨晩の残りの茹でタケノコもあったので、お肉とタケノコを塩や醤油でつまみながら、作業後の夕方おやつを満喫してまったりすごしました。

今、このブログを書きながら、鹿肉に関する記事をいくつか見ていますが、私たちは幸い、おいしい鹿肉を食べる上で大事な条件をほぼすべてクリアしていたようです。なんという幸運!八ヶ岳の神さま、ありがとう~!

①鹿が死ぬ時、内臓が傷ついていないこと
 →胴体には傷がなく綺麗な体でした。
②死後、それほどに時間をおかずに捌くこと
 →たぶん、死後半日くらいで放血・内臓はずしができた感じかと。
③捌くとき、内臓を傷つけず、肉に臭い液が触れないこと
 →室田さんの見事な解体で、お肉は無事でした!
④夏の出産を前にした、脂ののったメスであること
 →これは好み次第ですが、一般に、メスはオスよりも野性味が控え目で食べやすいのだとか。確かに、思ったよりずっとやわらかくて、茹でてもパサつかずしっとりした良いお味でした!

おいしい Circle of Life !

突然の電話から始まった今回の鹿解体作業、いろんなことを教えてもらいました。

やってみたいけどちょっと怖いかな?と思っていましたが、自分で思っていた以上に耐性があったようで、怖い、気持ち悪いという感覚は、鹿に対しては全くありませんでした。(怖かったのはハエが大勢になった時だけw)生きている鹿を仕留める時には、また別の覚悟が必要だろうなという感じもします。その違いが見えたことも今回の学びですね。

そして、何より元気になりました。たぶん食べることだけではなく、偶然が鹿を運んできてくれたことへの感謝や、解体しながら生命の仕組みを実際に目にすることなど、一連のプロセス全てが私に、私自身も“何か”に繋がっている命であるという実感をくれました。Circle of Lifeってこんな感じでしょうか。

また、現代の私たちが持っている技術への称賛の思いも新たになりました。黒曜石や石斧で同じ作業をしたであろう縄文のご先祖様たちと比べて、なんて恵まれた多彩な力を私たちは手にしたんだろう!そして、その結果のなんとおいしいこと!!幸せを味わって感謝するのになんの躊躇も要らない時間って、本当に素敵です。

全ての人におすすめできる活動ではありませんが、チャンスがある方(特に都市生活者)には一度体験してみていただきたいなと思います。


2018年6月7日


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