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熊野比丘尼のこと

この2-3年、いろいろと面白い旅をしてきたので、ひとつひとつ思い出しながら、書き起こしていこうと思っています。
題して、熊野比丘尼の〇〇紀行。
と、思い立ったはいいものの、そう言えば「熊野比丘尼」が何なのかをまずお伝えしなくては。

熊野のストーリーテラー“熊野比丘尼”

比丘尼と書いて「びくに」と読みます。
「尼」という字で表される通り、女性の仏教僧、つまり尼さんのこと。
元々はサンスクリット語だか何かで、お坊さんが bhikkhu 、尼さんがbhikkhunīだそうです。
日本の伝説の中では、人魚の肉を食べて不老不死になってしまったという女性、「八百比丘尼(やおびくに)」が少し有名でしょうか。

熊野比丘尼というのは、熊野の神さまの布教をした女の人たちのことです。
比丘尼には、いろんなタイプの人がいた模様。
仏教的な教えと共に熊野詣でをオススメする「語り比丘尼」以外にも、「踊り比丘尼」に「歌比丘尼」、クラウドファンディングを募る「勧進比丘尼」、広く捉えれば、おそらく、遊女や白拍子なども含まれるんじゃないでしょうか。
単なる布教者というよりは、旅芸人をしながら、エンタメ的な観光PR&布教をする人たちも多かったのです。
そんなわけで、「比丘尼」とはいっても、現代の私たちが考えるような「仏教集団に属する人々」ではなかったんじゃないかな、と私は思っています。

熊野の地元のおじさま方によれば、熊野比丘尼は日本各地のあっちこっちへ行っては、旅先で好みの男を見つけて、そこに住み着いてしまうこともしばしばあったようです。
旅先で家族を作って落ち着き、そこで自分の故郷の熊野の神さまを祀っていたのですね。
そんなわけで、日本全国にある熊野神社の数は、3千とも4千とも言われています。

私は、自分のことを「現代の熊野比丘尼」だと思っていて、人と会う度に「熊野はすてきなところだから、ぜひ機会があったら来てね」という話をしています。
熊野の話をさせてもらっていると、自分自身が熊野にいる気分をありありと思い出すことができて、本当に楽しいのです。
その流れで言うと、私は「語り比丘尼」でしょうか。

比丘尼の先輩としては、非常に偉大な方もいます。
伊勢神宮が20年に一度、宮を建て替え続けていることは有名ですが、実はアレ、戦国時代に一度、途絶えたことがあると言われています。
それを復活させたのが、熊野比丘尼の慶光院清順さん。
20年に一度ずつ建て替えれば、職人さんたちの知恵も継承できたでしょうが、一度途絶えてしまったからには、今ある建物を解体しながら学ぶ以外に無かったはず。
そこで、橋の架け替えをまずやったり、外宮の建て替えを先に着手したり、いろんな工夫をして、途絶えていた式年遷宮を復活させたそうです。
内宮のプロジェクトの前にご本人は亡くなられたようですが、彼女の遺志が引き継がれて、現代まで式年遷宮は続いています。
同時代の人と人を結び、失われかけた知恵を取り戻した清順さんという方は、熊野という土地の「結び」の力を体現しているように思われ、私の大好きな熊野エピソードのひとつです。

よくわからない聖地、熊野

熊野という土地は、ひとことで言うと、捉えどころのない聖地です。
縁結びとか病気快癒など、いかにもわかりやす~いご利益を売りにしているわけではないし、行く人によって受け取るものも違う。
固定化されたイメージを持たないというか、キャラクター化されていない神々のすまうところ、というのが私の印象です。
だから、語り比丘尼としては、言い表すのが難しいけれど、だからこそチャレンジングで面白いとも言えます(笑)。

捉えどころの無さを伝えるために、私がよく使うエピソードがあります。
それは、熊野の神さまの名前です。
熊野の神さまたちは、名前がたくさんあったり、固有名ではないような名前をしていたりするのですが、ひとつ、私の大好きな名前があります。

クマノニイマス、ムスヒノカミ

それは「クマノムスヒノカミ」、あるいは「クマノニマスカミ」、まとめて言ってしまうと「クマノニマスムスヒノカミ」です。
呪文みたいですが、現代風に言えば「熊野にいらっしゃる、むす(=産む)ひ(=力、霊力)の神」という意味です。
つまり、Creativity=創造の力、という名前の神さまなのです。
なんだか、凄そうでしょ(笑)。
発音を変えれば、ムスヒはムスビでもあります。
生き物の多くは、自分と、自分とは異なる性とが結びついて生まれる。
その意味では、異なる者同士が「結び」つくことが、「ムスヒ=創造の力」の源泉なのかもしれませんね。

熊野では、夫婦杉や、木と一体化しているご神体の巨岩など、至る所で、いろんなタイプの融合を目にすることができます。
それらも、ひょっとすると、熊野の「結び」の力の現れなのかも。
どんなものに惹かれるか、どんなものを発見するかは、人によって本当に様々なので、ご一緒する私も、いつも新しい発見をもらっています。

ちなみに、ムスヒノカミの別名をフスミノカミとも言い、「ふす(=産む)み(=力、霊力)」も、意味は同じ。
MとHが入れ替わっただけの言葉が意味も同じなんて、神々のダジャレは高度です。

そんなことを思いながら、あちこちを旅する熊野比丘尼の私ですが、熊野以外の旅先でも、ついつい熊野との結びつきを発見してしまうのです。
だから、このシリーズは「熊野比丘尼の〇〇紀行」としてスタートします。
ゆるりと、お付き合いくださいませ。

2020年1月22日 奄美・加計呂麻島にて

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