私の愛する限界突破集落 あかぐら
昨年に続き、今年の夏も奥熊野へお邪魔しました。
(上の写真は、赤倉の雨滝です。)
雨、川、汗、滝、温泉、海、清水、雲。
ありとあらゆる種類の水の恵みを、溢れんばかりの大盤振る舞いでくれる熊野という土地が大好きで、10年ほど前から通い始め、去年から今年にかけてはもう7~8回ほど(笑)、すっかり通い詰めています。
熊野ってどこ?
ここ数年、誰彼かまわず熊野をオススメしまくっていますが、よく聞かれるのがこの質問。あるいは「熊野って和歌山だっけ?」という方もいます。
はっきりした説明は難しいのですが、熊野というのは複合的な聖地です。
よく知られている熊野三山(熊野〇〇大社という名前のついた3つの神社)は全て和歌山にありますが、それらだけが熊野ではないのです。私の個人的な感覚では、広くとらえた場合は5つの古道ルート(大辺路、中辺路、小辺路、大峰奥駆道、伊勢路)がカバーする領域全体を、狭くとらえても和歌山・三重・奈良の県境あたりを、熊野と呼んで差し支えないかと思っています。ざっくり言うと、紀伊半島を尾鷲から田辺あたりまで弧を描くように切ってみた南側が熊野という感じです。
※画像は以下サイトから拝借しました。
私の大好物なエリアは、主に、和歌山県新宮市、三重県熊野市、奈良県十津川村といったところです。なかでも、最近とみにお世話になっているのが、熊野市の山の中にある「あかぐら」という場所です。
あかぐら、赤倉、丹倉
丹倉も「あかぐら」と読みます。赤倉の地名について調べたことはないのですが、おそらくは上記写真のような赤色の岩があることから、いわくら信仰(神宿るものとして巨岩などを大切にする信仰)の場所として、ご神体から地名がついたんじゃないかなと思います。ちなみに、上の写真は大丹倉(おおにぐら)という場所で、奥熊野の山々が見渡せる断崖絶壁の大岩です。丹の文字が付いているところは水銀の産地だとよく言われますが、天狗鍛冶の伝説もあるので、昔は鉄が採れたのかもしれませんね。ピンク色っぽい岩肌はその名残でしょうか。
大丹倉や丹倉神社(あかぐらじんじゃ)のような巨岩と、雨滝・ガンガラ滝・蝶の羽岩といった川の景勝の地。ご近所のどこを見ても自然の造形美を感じられるのが、この土地の魅力のひとつです。
限界集落、っていうか、限界突破集落
そんな素敵な場所なのですが、赤倉の集落は、現在、人口1名だそうです。
限界集落というのは、人口の50%以上が65歳以上の高齢者になり、社会的共同生活や集落の維持が困難になりつつある集落を指すそうですが、人口という意味では、赤倉はすでにその段階を越えてしまっています。つまり、限界突破集落。しかし、廃村というわけではなく、丹倉神社の石段や注連縄もきちんと整備されていて、今もなお自然と人が共存していることがはっきりと感じられます。
それは、自分の生家と丹倉神社が無くなってしまうのは忍びないとして、この場所を守り継いでいる人がいるからです。
ハイパー地元おじさん 中平さん
それが、こちらの写真の中平さん。
あまごという清流にしか棲まない川魚の養殖を本業としつつ、丹倉神社のお世話、民泊の運営、畑仕事、観光協会会長などなど、一人で何役もこなし、かつ、新しい活動にどんどん踏み込んでいく、ハイパーな70代です。都市部の便利さにどっぷり甘やかされてきた私からすると、レオナルド・ダ・ヴィンチ級の万能の人に思えてしまいます(笑)。
そんな中平さんも、昔は会社員をされていたそうで、赤字で倒れかけていたあまご事業を継ぐまでは、故郷の田舎に帰りたいとは全く思っていなかったんだとか。いろいろ逸話を伺っていると、会社員の頃すでに物凄いバイタリティでバリバリ頭角を現していたようなのですが、その経験もパワーも全てひっくるめて、限界集落を越えた赤倉の新しい姿をリードする現在の中平さんに繋がっているようです。
中平さんの現在の願いは、丹倉神社(上の写真です)を守り継いでくれる人を見出し育てること。丹倉神社は巨岩をご神体とした、原初の信仰をまっすぐに感じられる場所です。社殿などはまったくありません。しかし、不思議と落ち着いた空気があり、古来、信仰とはこういうものだったなぁということを思い出させてくれます。私のnoteのプロフィール写真も丹倉神社のご神体前のものです。僭越ながら私も、赤倉のファンとして、中平さんの思いが届くべき人のところに届くように、お手伝いしたいと思っています。
民泊あかくらは、そんな中平さんの思いから生まれた場所です。1日1組限定、お客さんのある時だけ運営されているお宿で、丹精されたあまごのお料理の数々はまさしくここでしか味わえない山の恵みです。(ちなみに、あまりに美味しいので、中平さんにお料理はどこかで修行でもされていたのか伺ったら「別にどこも。食べることが好きな人間は、よそで美味しいもの食べたら作り方とか聞くやろ。そんな感じ。」ですって!)
夕ご飯までは中平さんがお世話してくださるのですが、夜が更けると中平さんは市街のおうちへ戻られるので、一時的ではありますが、宿泊者でこの集落の人口の大半を構成することになります。人生経験豊かな中平さんといろいろお話した後には、ひたすらに周囲の自然環境と宿泊者のみでゆったりと過ごす。民泊あかくらは電波も入りませんので、本当の意味で外界と隔絶された、自分本来のペースで時をすごすことになります。私にとっては、これが何より豊かな時間に感じられ、ここ赤倉の土地を、限界を突破した集落、あるいは(宿泊者が)限界を突破するための集落だと感じる所以です。
ひたすらに美しい水の魔法の国
民泊あかくらの周辺は、常に水の瀬音がしていて、透き通った涼やかな水が絶えず流れています。夏の雨滝の前では、こんな景色も。
流れる水音を聴いて、キラキラした水面と透けてくっきり見える水底を同時に見て、太古の昔からそこに座している岩や、その上でたくましく生きる苔や草、飛び回る虫や魚、そうしたものを眺めていると、誰の思惑に踊らされるでもなくただそこにいる自分も含めて、万物が流転する美しい世界の一部なんだなぁと感じます。全ての生命が一生懸命好き好きに生きて、その結果がこんなに美しいのならば、われわれ人間もまたそうであってはいけないいわれがありましょうか。
私を熊野へつれてって!
そんなこんなで、私の愛する土地、あかぐらをご紹介してきましたが、ご興味を持っていただけたでしょうか?持っていただけたら、いいな。
私は時折、熊野に関するお話会を開催させていただいています。題して「私を熊野へつれてって!」。人前で話すことで、私はいつでも妄想の中で熊野へ飛んで行かせていただいてます(笑)。だから、私が皆さんを熊野へつれていくというより、むしろ、皆さんに私を熊野へつれていってもらいたいのです。
あなたも行ってみませんか。水の国、熊野へようこそ!
2018.07.22
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?