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「凡凡」32.ここにはいるけどここにいない

 39歳、独身、独居、猫二匹。
 ゲームに夢中になったことがない。唯一、私が向き合ったゲームが二つある、一つは小学校一年生の時に大旋風を巻き起こしたスーパーマリオだったのだけど、1-1面で青空と緑の下、キノコを食べて大きくなって鮮やかにジャンプして、軽快にワールドイズマイン丸出しで走り回るのに対し、1-2面になると冒険の場所がいきなり暗い地下になるのが怖かった。ピーチ姫を助けに行くことは1-2面からこんな不穏な場所を通過しなければならない過酷な道なのか、と思うと到底私にピーチ姫は救えないような気がして、近所のスーパーマリオが得意なトシ君を家に連れて来て菓子やゼリーや果実飲料などで接待し、ピーチ姫の救済の一部始終を目の前で達成してもらい、それを見届けて、一応私もピーチ姫の救済を見守ったというチカラワザで着地、私がファミコンの本体にカセットをはめこむことはもうなかった。後日、夜中に目を覚ました小学一年生の私は居間から談笑の気配を感じ居間を覗くと、父親と母親が二人で楽しそうにスーパーマリオをやっていた(今思うとあの時の両親は今の私より若い)父親が「イニキちゃん起きちゃったか、おかーさんジャンプする時、自分までジャンプしちゃうんだよ」と二人は腹を抱え涙目になりながら笑い合い、私なんかよりスーパーマリオを楽しんでおり、うらやましいような、のけ者にされたような複雑な気分になり私はすーっと居間の扉を閉め「ふんっ」といった心境を押し殺し両親の談笑を無視するように寝室で一人「浦島太郎」なんかを読んだように記憶している。
 二つ目はプレイステイション2の「塊魂」(正式には「みんな大好き塊魂」「塊魂」の続編)だった。十年くらい前、私は猛烈な宮崎吐夢ファンで宮崎吐夢が挿入歌を唄っているからやってみるか、くらいの軽い気持ちで塊魂を始めた。体長5㎝の王子がフンコロガシのように玉を転がし、その玉の大きさに合ったものを次々に転げ固めていく、最初は玉が小さいのでそこらへんのカスやゴミやクリップや消しゴムをまずは室内のテーブルの上から転がし固めていくのだけど、そのうち家やビルや町を転がし固め国や世界を転がし固め、その小さな塊を星にして宇宙に放り投げて星空を再生させるゲームだった。宮崎吐夢から派生し、このくだらない内容も気に入り当時、私は塊魂を酒を飲む都度やっていた、酒で呆けた頭と塊魂の相性がとてもよかったが、シラフで塊魂をやった記憶はなく、塊魂を攻略した記憶もない。
 以上が私のゲームに対する全ての印象で、寝る間も惜しんでゲームに夢中になってしまう人が正直うらやましい。昔付き合っていた人がテレビを占領して半ば寝そべるような堕落したスタイルで肉を上手に焼くゲームに心酔していて、その姿を眺めて悲しい気持ちになっていた。ゲームの中でレベルアップしたところで現実の自分はレベルアップしないからね!とか、肉上手に焼いてんじゃねーよ!とか、人が作ったもんに踊らされてるだけじゃねーか!とか意地悪な罵声を密かに胸に抱いていた。私はゲームに参加することはなくベッドに寝そべり本を読み、お互いが休みの日も外に出かけず彼は10時間ぶっとおし肉を上手に焼くゲームをし、私は10時間ぶっとおしで本を読んでいた、日当たりが悪く薄暗い部屋。どんなに普段かっこよくても、半ば寝そべり頭だけを起こしてクッションを腰の下に沢山詰め込んで、時折テーブルの上の菓子をつまみ虚ろな目をしてゲームをしている姿が不気味だった。ゲームの音声が「上手に焼けました~」から「ウルトラ上手に焼けました~」に変化した時、かたわらで本を読んでいる私は「おいおい!こいつ、ついにウルトラ上手に焼いたよ!」と思ったけれど私は何の反応もしなかった、とにかく彼は最終的に肉をウルトラ上手に焼いていた。私も同様にもう病人くらいの頻度で寝そべり本を読んでいるのだから、ゲームに夢中になり寝不足で廃人のような目をした彼と私は同じだと今では思う、お互いに、ここにはいるけどここにいない状態だった。私は中島らもの「バンド・オブ・ザ・ナイト」を読みラリった気になったり、島田雅彦の「彼岸先生」を読み先生に思いを馳せ、吉田修一の「悪人」を読み、行き場所もなくただひたすら罪から逃げて、まとわりつく絶望を何度も無視しようとした。どれもベッドの上で読んだ本の世界での出来事で、私は半径1mも動くことなくただ文字を追いかけて、あらゆる場所に行きあらゆる体験をしたような気になって感傷した、実際の私がラリったわけでもなく、逃避行したわけでもない、彼岸先生もいない。読んだ本が私の経験になるわけでもない、むしろ辛かったり苦しかったりする想いを率先して読んだりする、そして未だに私は自らお金出して買った本を読んで「あー、苦しー、苦しー」と悶絶している。私が彼に対して「人が作ったもんに踊らされてんじゃねーよ」とはまるで言える状況ではなかった、実際に私がそれを彼に言わなかったということは、少しはその自覚があったのかもしれないし、単純に同族嫌悪だったのかもしれない、とにかくお互いにお互いのことを不気味だと思っていたに違いない。今だったら「ウルトラ上手に焼いたんだ、すごいね」くらいは言えそうな気がする。
 そして今、やりたくてたまらないゲームがある。新日本プロレスの「プロレスやろうぜ!」まだインストールしていない、もしインストールすれば私のスマホゲームデビューになる。自分の好きなプロレスラーを育成し実在の選手と戦わせるゲームらしい。もし自分がプロレスラーだったら、リングネームは?ヒールかベビーフェイスか?どんなコスチュームか?得意技は?ストロングスタイルでいくのか?チョケた感じでいくのか?考えただけでテンションが上がる、しかし悩み考え作り出した私の分身であるレスラーが現状の私と同じように、すこぶるダサく弱かったらどうしよう、その心配だけがインストールを踏みとどまらせる。私がプロレスラーだったらの確信のビジョンを掴んでから始めよう、でもその確信がすこぶるダサくて弱かったらどうしよう、こうして今日もインストールは先伸ばしになる。ここにいるけどここにいない状態になることを望むような、囚われの気持ちをゲームや物語やプロレスラーが率先して請け負って、いつまでもここにはいるけどここにいない私を救済してくれている。


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