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「凡凡」46. いつもなんどでも

 39歳、独身、独居、猫二匹。
 今朝、体重が300グラム減っていた。好きなものを躊躇することなく食べ、気が済むまで飲酒、そんなことをしていると体重が2キロ増える、毎朝測定した体重をアプリに入力し2キロ増量したら節制して2キロ減量する、これを繰り返す。何の為にそうしているのか本人がよくわかっていない、良く見られたいわけじゃない、おそらく中年性の肥満を異常に恐れている。自分の気がつかないうちに肥満をするのが怖い、だから太るにせよ確認しておきたい、しかし増えたら増えたでびびって焦って節制する、いさぎの悪さ。今は好き放題食べて飲む期間で、節制していないのにもかかわらず、急遽300グラムの体重の減少、これも加齢か?きのう食べたものを思い出す、がっつり食べたし19時から寝るまで飲酒した、おやつに饅頭も食べたし雪印のコーヒー牛乳500ml飲んだ。節制をせずに体重が減るなんてことは今までなかった、もしや病気か?と私はTANITAを睨みながら頭を抱え、そこで思い出す。昨日、髪を切ったことを、髪の重さが減っただけだった。しかし頭から300グラムの毛を生やしていたのかと思うと気持ちが悪い、いきなりステーキだったらランチにちょうどいい量、それが300グラム、牛丼大盛のごはんの量、それが300グラム、それを頭から生やしていたなんて気持ちが悪い、甲羅から毛が生えた亀くらい気持ちが悪い、そんな複雑な心境で朝を迎えた。
 早朝の醍醐味。私はまだ暗い5時半に出勤する、店の外を掃除して店内清掃をしてから仕込みを始める、その間明けていく朝の一部始終を眺めることが出来る。黒い空が下の方から色づいて、そのうちに空全部に虹のようなグラデーションがかかる、それを時間経過と共に確認して、赤、橙、黄色、緑、青、藍、紫のコンプリートカラーの空を見ることができると嬉しくなる。普段これを見ているから、ただの虹を見たくらいではテンションは上がらない。例えば虹にカメラを向ける奴を横目に、私はもっとすごい虹を知っている、ふふふ、空全部の虹よ、しかも私はそれをほぼ毎朝見ているのよ、ふふふ、あなたにとって虹が特別っぽいから写真撮っているんでしょう、ふふふ、その写真インスタにあげるんでしょう、それをあなたのビューティフルヒューマンライフにするんでしょう、フラペチーノ顔の横に持って写真撮るんでしょう、何それ意味わかんない、そーゆータイプのビューティフルヒューマンライフでしょう?あなたにとって「特別」は偶然やフラペチーノでしかないんでしょう、そのビューティフルヒューマンライフいかほど?トールサイズ580円?私のビューティフルヒューマンライフ、雪印コーヒー牛乳は税込み価格118円よ、おほほほ…!私にはあんなチンケな虹なんてユージュアルだわ、だって私は空が全部虹になるのを知っているからね!おほほほほほ…!と目を三角にして意地悪を思っている。意地も悪いし性格も悪い、目は三角だし。成人式を楽しめるか、楽しめないかでその後の人生が決まるというのはきっと本当だ、私はもちろん成人式に出席していない。話題が脇道にそれてしまった。
 晴れた日なら毎回、空全体が虹色になる、なんとも特別な一日が始まる予感で溢れる、ルイ・アームストロングの「What a Wonderful World」が聴こえてくる、体に力がみなぎる、パワートゥーザピーポー、世界が愛に溢れている。喰らえ!ビューティフルヒューマンライフ!最近は店の外のタイルに水を撒いてタイルをデッキブラシでガシガシこする作業をするとタイルが凍る、このことを他のスタッフに「トラップを仕掛けている」と言われる為、あまりにも寒い日は水を撒かないようにした。いつも何かをよかれと思ってやると「悪さをしている」と認識される、笑っていると「何をたくらんでいるんだ?」と問われる、笑ってなくても「なに笑っているの?」と聞かれる、職場で新日本プロレスのライオンTをシャツ着ているから「練習生」ってビーフされている、これもまた特別な一日。
 今日も一連の早朝作業を終え、空の七色も確認した。他のスタッフが出勤して来るまであと1時間ありコーヒーを飲みながら一服しようとしたところ、店の外に尋常でない量の靄がかかっていることに気がついた。窓から見える景色はもやっと白くフォーカスがかっていて幻想的、店の前の道をトラックや乗用車に混ざって、いつユニコーンが走ってきてもおかしくないくらいファンタジー、靄の中から今にも王様のゴージャスな格好をしたデビッド・ボウイが現れそう、明けかけた朝の靄は完璧な天国を想像させる。靄の中から私に向かって手を指し伸ばすデビッド・ボウイの手を掴もうと、引き寄せられるように外に出た。燻い、焼き畑だった。朝も早よから、近所で畑を燃やしていた。天国は燻い、これもまた、特別な一日。
 私は嗅覚を無視する為に鼻呼吸を止め、靄の正体が焼き畑であっても、フェードがかった世界に酔うことにした。早朝で人の気配はまるでなく、この景色が私の為に用意されたステージのように感じ、歌を唄いたいと思った瞬間にはもう唄っていた「呼んでいる胸のどこか奥で、いつも心躍る夢を見たい、悲しみはかぞえきれないけれど、そのむこうできっとあなたに会える~はじまりの朝の静かな窓、ゼロになるからだ充たされてゆけ~」口をついて出たのは「千と千尋」だった。その歌声には清らかさの欠片もない、早朝に反響する声は私が思った以上にハスキーな「千と千尋」だった。でもなぜか私に付随する体や声がとてもしっくりきた、素晴らしき焼き畑の世界。
 店の中に戻ってから、たぶん私は白く煙った景色から、湯煙を想像したもんだから「千と千尋」を咄嗟に唄ったんだなと気がつく。発想が貧困、後で反省会な、あと雑魚キャラなのに主人公気取りしたから反省文もな。

写真注釈:300グラム。

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