見出し画像

「凡凡」43. 祭りの準備

 39歳、独身、独居、猫二匹。
 朝マックのソーセージマフィンが好きすぎて、一日おきに発作がおきる。しかし朝マックには時間制限があり、食べたい時にもれなく食べられるわけじゃない、その付加価値が私をソーセージマフィンへの執着を強めるのかもしれない。食べたい時に食べられるとは限らない、もし食べたくても食べられないことはざらにあり、我慢をしなければいけない、この我慢の時間が更にソーセージマフィンへの愛を加速させる、この不倫のようなシステム。会いたい時に会えるわけじゃない、限られた時間の中で想いを馳せる、私はソーセージマフィンと不倫をしていると言っても過言ではない。
 以前はソーセージエッグマフィンをあたりまえのように選んでいた、しかしある日気がついた、卵を抜けばその分多くのソーセージを食べられるのではないか、朝マックの醍醐味はあのソーセージパティだ!と、ということで卵をはぶいた分多くのソーセージマフィンを食べるという大発明を私はした。
 ソーセージマフィンを食べたい時に食べられないことが辛過ぎて一時、私はソーセージマフィンを大量に買い込み、冷凍保存するという作戦を決行したことがある。まずは買ってきたできたてのソーセージマフィンを食べて満たされた後、ジップロックにきれいに並べて冷凍庫に大量に保存した、冷凍庫のストック用のひきだし一段を全てソーセージマフィンで埋めた。この時の私はすごく幸せだった、冷凍庫を開けて何度も冷凍されたソーセージマフィンを眺めて安心した、不倫相手を冷凍保存していつでも自分の側に置いたような感じだった。しかしこの冷凍ソーセージマフィン、解凍して温めると一回りマフィンがしょぼくれてしまう、確かにソーセージマフィンではあるのだけど、解凍すると急激に年老いたようなソーセージマフィンになる、面影はある、でも何かが大幅に違う、ご本人とそっくりさんくらいの違いがあった。やはりできたてのソーセージマフィンでなければならなかった、私は大量に冷凍保存したソーセージマフィンをやるせない気持ちで食べ続けた。それからというもの、できたてのソーセージマフィンを食べる時のテンションは更に異様なものとなっていった。
 今では「ソーセージマフィンは餃子のようなもの」という感覚になっている、一皿に六個の餃子が乗っかって餃子という料理が成立するように、ソーセージマフィンも六個で一人前と考えるようになった。最近は加齢のせいか、ハーフサイズで断念することもあるけど、基本、私のソーセージマフィンは六個で一人前という考え方で落ち着いている。ソーセージマフィンを六個食べるということが、とても可愛くないことだとわかっているが、衝動というのは止めない方がかっこいいという謎の持論で、ここに着地している。このように私は時折、加減というものを完全に無視する傾向にある。
 そして今回はこんなにもソーセージマフィンが好きであるなら、作ってみようじゃないかと様々なソーセージマフィン再現レシピを徘徊して回り、更に自分なりのソーセージマフィンの再現に着手した次第。クリスマスイブの夜に、豚挽肉を大量に買い込んで帰宅。私の持っているいちばん大きなボウルにぶっこんで、すりおろしたタマネギ、卵を入れてなめらかになるまでこねる。ハーブはセージ、タイム、ガーリックパウダー、ジンジャーパウダー等のソーセージに多用されるものをぶっこんだ、それを無心になってかき回しながら、何かが足りない気がしてならない。ソーセージマフィンのあの少し独特な匂い、スパイスの棚を開けて交互にいろいろなスパイスを嗅いでは棚に戻し、嗅いでは棚に戻す。そして私は発見した、フェンネルシードを!私が持っているフェンエルはラベンダーの実のようなやつだったので、そのまま入れると触感に大幅な違いが出てしまう。すり鉢に入れてすりこ木でグルグル、半笑いを浮かべてフェンネルをつぶしていると、もうなんか私のやっていることがソーセージマフィンの再現でも調理でもなく、魔術かなにか、特に黒魔術のようなものなんじゃないかと思えた。このように一瞬、一心不乱になって何かをするんだけれど、ある一定の時間がくると「私はいったい何をやっているんだ」という気持ちが少し発動する。そんな気持ちを払拭するように私は、クッキングペーパーを敷いた天板に、自作のソーセージパティを均一に伸ばしオーブンで焼き、一枚の大きなソーセージパティを完成させた。丸くしてフライパンで焼かなかったのは、後でイングリッシュマフィンにはさんだ時に、四方から飛び出す四つのソーセージの角を楽しみたいから、それは朝マックの紙包みを開けた時にマフィンがずれてソーセージが飛び出している部分があるでしょ、あそこがいちばんおいしいから。
 今、私は四角く焼き上がった巨大ソーセージの粗熱が去るのを待っている。これから私はあれを適度な大きさに切って、一枚ずつラップに包む予定、想像しただけで幸せな時間。焼きたてのイングリッシュマフィンに自作のソーセージパティとチェダーチーズをはさむ、これで私はしばらく安泰。
 ゼロから作るということで、一度ソーセージマフィンとの関係を考え直したかった、一日のうちの半日くらいソーセージマフィンのことを考えて過ごしている自分に、私はもう嫌気がさしていたのかもしれない。私はあなたに代わるものを私が作り出せるということを実証したかった、私はソーセージマフィンとの不倫関係を解消することに成功した。実際に食べる時よりも、何事も準備の方が楽しく幸せなのはなぜだ。一生準備で終わればいいのに。

写真注釈:ガガガSP「祭りの準備」参照




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?