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「凡凡」45.饅頭没収

 39歳、独身、独居、猫二匹。
 最近、自分にとって残念な事や都合の悪い事が起こると「はい!饅頭没収!」と頭の中に響き渡るシステムが流行している。そうすると残念な事や都合の悪い事が、饅頭を没収された無念に変換される。私は主にケーキを焼く仕事をしているが、饅頭が好き、清芳亭の湯の花饅頭が好き、あの繊細な薄皮、ふんわりした香り、透けるような餡。誰かがどこかに行きそうな気配を察すると、必ずこう念じる「行け、行け、伊香保へ行け」「土産に湯の花饅頭買ってこい、わかったか?わかってくれ!わかれー!」と念じる。
 私が勤める飲食店には大晦日も元日もない「はい!饅頭没収!」世の中が休みであればあるほど、お客さんは来店する、営業する、勤務する「はい!饅頭没収!」ということで西暦が変わっても日付が変わっただけのこと。飲食店に勤務するということは休日の人たちがリラックスして飲食する様子を垣間見ることでもある、野菜を洗って水に浸し、オーブンを稼働させ小麦粉をかき混ぜ、卵を割る。作業しながら退屈だったので、もし私が男だったら、風俗に行くか否かということを一日中考えて過ごした「はい!饅頭没収!」その前はもし私がスーパー金持ちだったら顔にヒアルロン注射を打つか否かを考えて過ごした「はい!饅頭没収!」明日は忍者になって巻物を獲りにいくことについて考える予定。未来のこと考える必要がないので、最初からろくでもないことを考える、饅頭没収。
 そんなことを繰り返しているせいか私自身に「私がいる」という実感がうすい。ラジオに送ったメールが読まれると「本当に私がいるんだ!」という妙な気分になる。この大喜利に数日前の(または数時間前の)私が確実にメールを送信して、それが第三者に読まれたことで「私がいるんだ」と私が思う、不思議構造。第三者が認知して私がいることを知る、どれだけ普段第三者に認知されていないかがよくわかる。Twitterのフォロワーは23人、そのうちの4人は如何わしそうなサイトへアクセスを誘導するフォロワーで、実物を知っているフォロワーは2人、ラジオの放送作家が1人と吉田豪が1人、それ以外は知らない人。インスタのフォロワーはもっと少ない、新年のあけおめLINEは1件、今日もLINEは鳴らなかった、饅頭没収。私は本当にいるのか、私はいったい誰なのか、考えると怖くなるので、ひたすらラジオ投稿を繰り返す。車を駐車場に止めて、スマホを片手に固まってラジオ投稿ネタを考えていた、時間制限があるのでどうしてもその時間中に投稿しなければならなかった、熟考する私の姿がバックミラーに映って驚いた、眉間にシワを寄せて切迫し、このミッションに失敗した際は死ぬくらいの形相をしていた、その時に打っていたスマホ画面の文字の羅列のくだらなさよ、それがまさに私であった。
 昔「ねるとん紅鯨団」を見ていた頃、出場者のプロフィールは五つだった「名前」「年齢」「肩書」「理想のタイプ」「彼女(または彼氏)イナイ歴」この五つで出場者が何者なのかを紹介していたが、これが全てなんじゃないかと最近常々思う。趣味も嗜好も飛び越えたボーイミーツガールの場合なら必要なのは年齢と理想のタイプとイナイ歴が全てを語る要素なのかもしれない。「イニキ・ハーセルフ(39)飲食店勤務、理想のタイプ:新井浩文、彼氏イナイ歴10年」このようにやばい奴は五つだけの項目ですぐにバレる、そしてもれなく告白タイムでただの観客になる。当時、ねるとん出場の女性陣には「家事手伝い」や「花嫁修業中」という謎の職業が平然と実在した。2018年に職業を「家事手伝い」や「花嫁修業中」と名乗ることができるのはとんでもないお嬢様だけで、職業としてのお嬢様ということになる「職業:お嬢様」ってかっこいいなあ、あー饅頭喰いたいなあ。かっこいい肩書と言えば、「小説家」「漫才師」「プラントハンター」のような肩書の情熱大陸はもれなく観る。あと「構成作家」も「葉書職人」もかっこいい、「レントゲン技師」もかっこいい「技師」がつくのは全部かっこいい、「技師」って必殺仕事人みたいな感じがする。私もかっこいい肩書が欲しい、表向きは「飲食店勤務」かっこよくするなら「穢れた貧しい小さき労働者」で精一杯、正式には饅頭を没収され続ける「卑屈屑人間」そんな私であるが、私はいちばんかっこいい肩書を知っている、それはオノ・ヨーコの名乗る「平和活動家」「イニキハーセルフ(39)平和活動家」肩書が平和活動家になった途端、39が効いてくる。(21)平和活動家には出せやしないさ、(39)平和活動家の安定感。ということで肩書を「平和活動家」でいこうか本気で悩む。
 少し年上の知人が「これ俺の彼女」と言って見せてきたスマホの写真を見て大爆笑が止まらなかった。そこにはただのおばさんが写っていて、そのおばさんと「彼女」という言葉との隔たりが容赦なかった、「おばさん」と「彼女」という言葉は合致しない、それもなかなかのオバショットだった。やはり恋は若者のものだと実感した、でも平和活動家はそんなことで大爆笑してはいけなかったのかもしれない「いくつになっても、恋っていいものよ」とほほ笑むのが平和活動家、まして「おばさんじゃん!」と目を三角にして大爆笑したりしてはならないのだ、おばさんが。もう平和活動家として不安しかない。ラブ&ピース、はい饅頭没収。

写真注釈:百姓一揆予行演習

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