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「凡凡」36.顔面物語(新井浩文論)

 39歳、独身、独居、猫二匹。
 新井浩文の顔だったら、ずーと見ていられるという確信。単純に美しいとか、わかりやすくかっこいいとか、更にはかわいいなんていうチープなものではない。新井浩文の顔を見ていると、イケメン俳優と呼ばれる整った顔だちが恥ずかしくすら思えてくる。新井浩文の顔は人の想像力を掻き立てる、顔面に物語のある顔をしている、造形を超越した物語のある「いい顔」のことを私は「顔面物語」と称している。新井浩文の顔を見ているだけで様々な物語や光景が私の中に浮かんでくる。たとえば…。
 1Kの安アパートの一室。もう5年付き合っている男女(男は新井浩文)、同棲はしているが結婚はしていない、関係は馴れ合いになっている、休日に外でデートすらしない、ベランダに彼女が洗濯した新井浩文が平日着ている作業着が揺れている。AM11:00、グレーの毛玉だらけのスウェットを着た新井浩文がベッドから起き出す、スウェットパンツの中に手をつっこみ陰毛の辺りをボリボリ掻きながらトイレに入っていく、トイレの扉に向かって彼女が声をかける。「コーヒーでいい?」トイレからは何の返事もない、彼女は少しだけ途方に暮れたような目をする。彼女が新井浩文のマグカップを取り出しコーヒーを注ごうとすると、トイレから出て来た新井浩文が無言で冷蔵庫から缶ビールを取り出し、それをプシュと開けながら狭いリビングに座り缶ビールをすすりながらリモコンでテレビをつける。テレビでは政治評論家が解散総選挙の内訳を饒舌に話している、新井浩文は興味もないのに興味深そうにテレビ画面を無言で見つめているが突然、新井浩文が言う「今日、外でメシでも喰うか?」彼女は「あ、うん」と答える。二人にとって久しぶりの外食、二人は近所のファミレスに居る。大きなメニューを覗きこむ彼女、若いウエイターがやって来てオーダーをとる、メニューをウエイターにぶっきらぼう渡す新井浩文、彼女は「おねがいします」とウエイターに少しほほえみながらメニューを渡した。新井浩文の機嫌が突然悪くなる、飲んでいた水のグラスを荒々しくテーブルに叩きつけ彼女に「おい、媚売ってんじゃねーよ」と言い舌打ちをしてからマルボロに火をつる、ファミレスの食事は終始無言となって居心地の悪い時間が過ぎていった。その夜、ベッドに横になり天井を見つめながら新井浩文は思い出していた、彼女が初めて新井浩文に笑いかけて来た日のことを「こちらの煙草でよろしいですか?」コンビニで彼女はそう言ってマルボロの箱を新井浩文に見せて、彼女が新井浩文の目を見つめ笑ったこと、その時、彼女に選ばれたような不思議な気持ちになったことを。「私も明日早いから、もう寝るね」そう言って彼女が新井浩文から少し離れた隣に横になる。新井浩文は小さな冷めた声で隣の彼女に言う「おい、俺以外の男に笑うなよ」彼女は黙っている「聞いてんのかよ、わかったか、返事しろよ」新井浩文は起き上がり、ベッドマットを殴る。彼女は小さな声で「聞いてるよ、わかったよ、笑わないよ」と言う、新井浩文は虚脱したように再びベッドに寝そべり、ゆっくり彼女を抱きしめる、幼児が甘えるよう恰好で彼女にしがみついている大きな新井浩文、彼女は天井を見上げている、しばらくして新井浩文は安心しきったように寝息をたてはじめる。彼女の口元が完璧なまでに、にっこり微笑む。
 あくまでこれは一例で、このように新井浩文の顔を眺めているだけでいくつもの物語が勝手に浮かんできてしまう。新井浩文の顔には人に想像をさせる説得力がある、新井浩文と同じような「顔面物語」の持ち主は他に、渋川清彦、大倉考二、石橋蓮司などがあげられる、女性だと江口のりこ、山田真歩、西田尚美などがいる。男性は強面な方がいい、女性は不幸が漂う顔がいい。寛容で優しさ極まりない男性であってはならない、満ち足りてたまらない!幸せでたまらない!女性であってはならない。そして男女共に、意味深な感情を顔に宿し怨嗟、憎悪、破壊衝動、孤独が見え隠れする顔面物語。満ち足りて幸せでたまらないふりは誰にでもできる、俳優じゃなくてもできる、みんながやっている、ツイッターやインスタに満ち足りて幸せでたまらないふりが溢れかえっている。本質は孤独、その本当の孤独を表現することができるのは顔面物語の持ち主だけ。
 美人になりたいとは思わない、美人にはなれないのも知っているし、美人には美人にしかわからないリスクがあるのだろうとも思うから、手放しに美人をうらやましいと思わない、ただ顔面に物語のある顔になりたかった。顔面物語の人たちがうらやましくてもう嫉妬しかない、もう奇声を発したくなるくらい、もう暴れたくなるくらい、私も意味深な顔になりたかった。物語性に欠けるタスマニアデビルのようなカサゴのような自分の顔、私の顔が物語れるのはせいぜい「タスマニア物語」か「海底カサゴ観察日誌」か。せめてもと顔面物語っぽく三白眼になれないものかと目玉を上部に押し上げる訓練をしてみたり、一人で車を運転しながら「アウトレイジビヨンド」の新井浩文の台詞を大声で叫んだり、おもいっきり大爆笑した後コンマ1秒で無表情になる訓練などを私は密かにしている。顔面に物語があるフェースになりたかった、がぜん、バチボコ。

写真注釈:新井浩文に想いを馳せるオニカサゴ。

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