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わがまま

2015年10月23日
大好きだった祖母が旅立った。
突然の訃報だった。

あの日のことを6年経った今でも鮮明に覚えている。

夏は暮れ肌寒い空気が流れ始めたあの日。
僕は友人とふたり、東京へ足を向けていた。
軽い財布をポッケにしまい無賃乗車。
いわゆるヒッチハイクってやつ。

「東京方面へ」
ダンボールにでかでかと書かれた下手くそな文字を掲げて道路の端に立つふたり。
車は止まらず代わりばんこでたばこを吸う。
秋に吸うたばこはどうしたって旨い。

いつまで経っても来ない待ち人を待つふたり。
たばこの煙が宙に浮いては消える。
消える煙を眺めては今日もだめかと大きな独り言。
それをかき消すように友人が大きな一言。

「乗せてくれるってよ!」

僕らを乗せた車は走り続けた。
レゲエの音楽に乗せ賑わう車内。
先程までのお通夜ムードは既に過去のものだ。

景色はみるみる流れ、西に落ち込み始めた太陽。
ここは静岡あたりだろうか。
前触れもなく突然父親からの着信。

「おばあちゃんが亡くなった。」


言葉が聞き取れない程、父親は泣いていた。
父親の涙を僕は人生で初めて聞いた。
頭が真っ白になるとはまさにこの事。

「今なにしてるんや。頼むからはよ帰ってきてくれ。」

父親にはヒッチハイクしてることなんて言ってない。
今から東京に向かったって新幹線はもうない。


「わかった。明日の朝すぐに帰るから。」

不思議と涙は出なかった。
ひどく落ち着いていた自分が恐ろしかった。
なにかが自分の中から跡形もなく消えた感覚だった。

僕にはわがままを言える人がひとりもいない。
僕は幼い頃から孤独と隣り合わせだった。
学校でも家でもひとり。

友達はたくさんいた。
だけど自分をさらけ出せるような友達はいなかった。
ボロが出て悪い子になるのが怖かった。

家に帰れば家族がいた。
けど誰も僕のことを見てくれる人はいなかった。
僕には弟がいたから。

弟のためのいいお兄ちゃん。
悪い所がない完璧なお兄ちゃん。
そう見られるのが僕の使命だった。

そんな僕にもひとりだけわがままを言える人がいた。
生まれた時から一緒に住んでいたおばあちゃん。
おばあちゃんだけは僕のことを見てくれていた。

どんなことをしても怒らなかった。
どんなことをしても笑顔でいてくれた。
どんなことをしてもそばにいてくれた。

「どうして怒らないの。どうしていつも笑顔なの。」
「子どもはわがままするのが仕事だよ。」

おばあちゃんは知っていた。
僕がいつもひとりなのを見ていた。

そんなおばあちゃんの突然の訃報。
最後の会話は4日前。
リンゴだっておいしそうにたくさん食べてた。

僕はまたひとりになった。

あれからもうすぐ6年。
今日はおばあちゃんの七回忌。
あの日流せなかった涙が今日。
溢れた。

なにも考えず生きていた日常が日常でなくなった日。
最後のわがままが聞いてもらえるのなら。
いつもありがとうって目の前で言わせてほしかった。


もう言えないんだよな。
今日の涙はきっとそんな感じの涙。

だから代わりに最後のわがまま。
この文章がおばあちゃんに届きますように。

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