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【思い出】タイヤ押しを700回させられた話

私が中学生の頃の話です。

私のいた学校というのは、かなり荒れていました。

授業を聞かない。

勉強をしない。

宿題もやってこない。

これだけならまだしも反抗する者もいたので、「動物園よりちょっと下」みたいな状況でした。

これが、離島という環境ならではの「独自進化」の終着点だったのです。

そういった私たちにも、夏休みというものは訪れました。

勉強をあまりしていないのに、「自由になれる」ということを心から喜び、そして待ちわびていました。

「自由!」とは言いつつも、学校の勉強を頑張っているわけでもありません。

単純に、学校に行かなくていいことを喜んだだけです。

なので、夏休みで気分転換できる!というわけではありませんでした。

私もそんな人間の一人でした。

何の目標もないのに、夏休みを前に「目」だけは冒険家くらい輝いていました。

私は夏休みの時間をダラリと過ごしました。

「太陽が昇っているか、沈んでいるか」のみで時間を判断していました。

こんな人間がなんで重力に押しつぶされないんだろう? と不思議に思うほどです。

さて、やることが無い人は何をすると思いますか?

友達と遊ぶ?

読書?

宿題?

いいえ、違います。

「何もしない」のです。

かろうじて二酸化炭素は排出します。

しかし、貴重な酸素はちゃんと奪っていきます。

これが唯一の ”社会との関わり” でした。


こうして夏休みが明けた9月1日。

当然、私は宿題をやってきていませんでした。

これはもはや当たり前の出来事で、何ら恥ずかしいとは思っていませんでした。

周囲を見渡しても、宿題を完璧にやってきている人は半分もいません。

そんな環境は、ひどく居心地が良いものでした。

しかし、そんな「ちょっと賢いチンパンジー」のような私たちを、優秀な公務員が見逃すわけがありませんでした。


その日の夕方、部活動のキャプテンから、教室に呼び出しをされました。

キャプテンはただ無感情に、「教室に集合して」とだけ言いました。

なんだろう?

私は不信に思いながら教室に向かうと、他のチームメンバーも集まっていました。

チームメンバーも集合させられた理由が分からないらしく、落ち着かない様子でした。

私たちがしばらく待った後、ガラガラとドアが開きました。

顧問の先生が入室してきたのです。

私たちは顧問の先生に注目しました。

その瞬間、心がザワザワと騒ぎ始めました。

何やら不吉な予感がしたのです。

顧問の先生は一拍を置き、重たい口を開き、言いました。

「夏休みの宿題をやっていない人は手を挙げてください。」

私たちは周囲をチラッと見渡し、のそのそと手を挙げました。

ほとんどのチームメンバーが手を挙げていました。

手を挙げていないのは、ほんの数人です。

先生は一通り教室内を見渡し、そして言いました。

「――100回。」

ん?

「宿題が終わってない人は、タイヤ押し100回。明日までに終わらなかったら200回。明後日までに終わらなかったら300回。」

何だ?

何が起こっている?

「一日ごとにタイヤ押し100回をしなさい。 これは絶対だ。」

先生はそれだけを告げ、教室から出て行きました。

教室内はシンと静まりかえり、先程まで先生がいた場所をぼんやり見つめていました。

しばらくして、誰かが堰を切ったようにペンと宿題を取り出しました。

それが合図でした。

私たちは止めどない焦燥感と不安から、大きな音を立てて宿題を取り出し始めました。

そのときの私たちは、常人では理解不可能なほどの集中力で宿題をこなしました。


結局、私は700回のタイヤ押しを課されました。

1回で30メートルほどの長さだったので、単純計算で21㎞ くらいの距離です。

しかし、私はやる気だけはありました。

土曜や日曜にも学校に出てきては、何時間もタイヤを地面にこすり続けました。

押している最中にチームメンバーと正面衝突して、頭を大怪我することもありました。

また、監視している人の目をかいくぐり、「いかにバレずに卑怯をするか」という高度な心理戦も行われました。

そして、私たちはほぼ2ヶ月の時間をかけ、700回をやり遂げました。

そこで培われた高度な観察力。

何にも屈しない、強靱な脚力。

敵の意表を突くような高度な駆け引き。

こうした能力は、「タイヤ」によって養われました。

どのような悲惨な経験も、大きな成長をもたらす機会になり得るのです。





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