おっさんずラブ(2018)の功罪

映画の公開を前に,ドラマおっさんずラブ(2018)を観ました.異性愛者を自認する主人公が複数の同性愛者に惚れ込まれ,彼らの熱烈なアプローチを通じて同性愛に目覚めていくラブコメ,全七話.
そもそもね,「こんにちの日本の映像作品で,同性愛を題材にして商業的に成功する」こと,これは長期的視点で考えると素晴らしい前進の一歩だと思うんです.大歓迎です.性的マイノリティの描写の躍進,LGBTQコミュニティの地位向上に繋がることを期待します.多様性に向かう,最初の一歩ですよね.そういう観点から存在と成功を評価したい.したかったんです.しかしこのドラマは中身が徹頭徹尾ひどかった.

まず映像の拙さ・演出の安直さを指摘しておきしょうか.収録音声の音割れも起きますし.一貫して映像としてのレベルが低い.まあ,昨今の日本の映像作品を眺めていると,大して驚くべきことでもないのでしょうけどね.

作品のコンセプト自体,「能天気に同性愛の美味しいとこだけ提供するから,難しいことは考えないで楽しもうよ」なのはわかっているつもりです.それ自体がとんでもなく失礼な消費的態度だと思いますが,まあでも百歩譲って,「LGBTQコミュニティが苦境に置かれていない」ファンタジー世界だと受け入れましょう.(いや,ほんとはよくねえけど,そこでつまずくと話が始まらないから)

カミングアウトへのためらい,年長者が見せる露骨なホモフォビアや,男性同士のカップルであることに驚く若者の描写なんかは出てくるけど,とにかく「同性愛が抵抗なく受け入れられる理想の世界である」として,この番組の恋愛描写を考えてみることにします.
残念ながら,僕はこれが素敵とも,ロマンチックとも,コミカルとも,ピュアで真摯とも思えませんでした.主人公へアプローチする手口の数々は,とにかく恐ろしいものでした.”純粋な好意”の名の下に,当人の合意を得ずに身体的接触を強行し,プライバシーを侵害して,精神的に追い詰めていくばかり.私生活や職場の双方で依存させられていく中で,肝心の主人公は自身の意思や性的指向が不明確なままでした.主人公の精神的未熟さが考慮されない描写の連続は「成人による児童への性的虐待事件」を見ているようでした.
(上司黒澤による長年にわたる盗撮ストーカー行為,業務を装った呼び出し,セクハラ・パワハラ・モラハラは見るに堪えないものでした.主人公の合意の有無を無視,あるいは半強制的に合意させてやりたい放題振る舞ったり,終盤のなし崩し的同棲・婚約の流れも洗脳的で恐怖でしかない.日常生活から侵食しあらゆる判断力を奪っていく姿はもはや見事.
後輩牧は全裸の主人公がいる風呂場に侵入し壁ドン,合意なくキスをして「巨根じゃダメですか?」と宣いました.性的暴行,一発退場です.その後は交際に発展したにも関わらず,性自認のはっきりしている牧はそうでない主人公に及び腰で問題行動は減るんですが,最初の印象は最悪を通り越してますよ.
もう一人の上司武川は元恋人の牧に執着を見せ,業務中に平気で声を荒げ,嫉妬から主人公の性器を凝視,”足ドン”まで披露しますし,病床の牧を訪問しては合意なく身体的接触を行いました.挙げ句の果てに高圧的なマンスプレイングまでしでかしてるし,救いようがない.DV要素の塊です)

開き直ったゲイ・エクスプロイテーション作品なのに,ゲイの恋愛アプローチを悪質に描いて,全く疑問視しないのは,何重にも危険です.例えばこの主人公が女性だったら,作中で行われるハラスメントや違法行為の数々にときめけますか?これを”ピュアな愛”と受け入れてしまって,本当にいいんですか?
同性愛とも真摯に向き合いながら娯楽性を保持できているセンス8,性交渉における合意と対話の重要性を説くセックスエデュケーション,あるいは世相が同性愛を許さない時代に必死に愛を模索する姿を描いたブロークバックマウンテンのような,まともな作品たちが,すでにあるのに.少なくともフィクションの世界の同性愛の物語は,前進しているはずなのに.それでも「おっさんずラブはそういうものだから,目くじらを立てるな」と言えますか?

おっさんが,おっさんと,みっともない姿を晒して,悪辣な恋愛をして,不健全な関係性を構築している.なのに,同性愛だからいいのか.役者たちが見目麗しいから許されるのか.こと恋愛に強引さはつきものなのか.何段階にも振り返るべきところが出てくるはずです.
”恋人は炊事洗濯が完璧で甲斐甲斐しく世話をしてくれる”,こうした悪い意味で”女性的”な役割を無意識に演じさせるのは,製作陣が抱える男女差別意識のなせるワザでしょうし,おっさんがおっさんに言い寄る姿を笑うのは,性的マイノリティへの差別的発想です.都度合意を得ずにアプローチをかける強引さに違和感を覚えないのは,日本人の恋愛観が停滞しているからに他ならない.

現代の女性たちが世の男性に対して「都度性交渉で合意を得ろよ」「女性を性的消費しておいて開き直るなよ」と怒るのはごもっともです.僕だってそう思います.世の男性たちは,とことん社会に甘やかされていますし,変わっていくべきだと思います.
でも,このラブコメのターゲット層である女性たちが,作中の描写を素敵だと感じ,”純愛”として広く受け入れてしまうなら,結局女性たちもどこかでそういう悪辣な慣習を認めてしまっていることになりかねない.ラノベの表紙や深夜のエロアニメと同じく,これにもNoと言ってくれなきゃ,「非難してくるあなたたちだって,BL作品で同じことをしているじゃないか」と言い返してくる輩が現れます.今作はもっとクオリティコントロールしていれば表にでてきてよかったと思うんですが,今の作風のままでは適切なゾーニングが必要なんじゃないかと感じます.

この作品は,せっかく性的マイノリティが伸び伸びと生きていけるファンタジーなのだから製作陣には”当たり前の同性愛”でまっとうな恋愛を描いて欲しかったし,ファンもこんな悪辣な描写を喜んで受け入れないで欲しかった.これを良しとする双方に根深い問題がある.成長しようよ.
各自Netflixでセンス8セックスエデュケーションを観て目を覚ましてください.以上.


余談:
主人公の内面が未熟すぎて,まともな恋愛は土台成立しないんですよね.まずこんなクズのどこをそんなに好きになれるのか,から疑問ではあるんですけど,(だって33歳のおっさんのくせして,自分の身の回りの世話もできない,酒癖が悪くだらしない,「巨乳のロリが好き」とか恥ずかしげもなく言えてしまう価値観,どれを取っても恥ずかしい男です)ソレは一旦置いとくとして
ドラマ版を通じて彼は己の性的指向を揺るがされてもロクに振り返りもしないし,”恋人”となった牧と話し合いもしない.モノローグで神様に疑問を投げかけるだけで,納得のいく答えを出すまで考えるわけでもない.そのくせ同性愛的映像だけは露骨に描写されるわけですから,矢つぎ早に起きるハプニングに対して,具体的な対処や打開の努力をすることなく次の話に流されていく.集中力もなければ,誠意もない.主人公が抱く「好き」は恐らく小学生高学年程度のソレでしかなくて,交際や婚約などもせいぜい"指切りげんまん”程度の感覚で捉えていそうだな,くらいの白々しさがあるんですよ.主人公春田のキャラクター造形の時点で手詰まりでしたよね,という身も蓋もない指摘でした.

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