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「語彙力」は必要ない

オタクに限らず、何かの感想を述べる時に「語彙力がありません...」という方を、たまに見る。
最初に結論から言うが、「語彙力」は必要ない。

それは、日常生活で身に付くものだと思っている。
「語彙力を強くしたい!」という方もいるが、僕の考えでは日常生活において勝手に強くなる。

まず、感想を述べる時に「語彙力がありません...」という方についてだが、それはおそらく語彙力がないのではなく、自分の感情を整理しきれていないか、もしくはそれを表すだけの単語が頭にない状態である。

前者であれば、ゆっくり整理していけばいいと思う。
一方後者の場合、無理に言葉にする必要はないというのが僕の立場だ。

例えば「エモい」なら「エモい」でいいと思うのである。

その「エモい」の中身を長々と(文章でも口頭でも)「語彙力」豊かに語られてしまうと、当然モノによるが(←めちゃくちゃ大切)個人的には逆に冷めてしまう。
そこで「エモかった...」に尽きるなら、それでいい。

それをどうしても言葉にしたいのなら、まずは自分の感情を分析してみることだと思う。
その上で「その感情はどのシーンと結びついたのか?」を大切にすれば、自分が観て聴いたものの解像度は上がり、言葉は溢れ出てくるのではないだろうか。

その「言葉」も、難しげなものを使ったり回りくどい言い方をする必要は全くない。

常日頃使う言葉でいいし、率直な感想を伝えればいい。

だからこそ、タイトルを正しく言い直せば『「語彙力」などという概念はそもそも存在しない』というのが僕の考え方であるし、「語彙力」豊かに語ることのナンセンスさを考えてみれば、例えばブログ記事でも文字数などは全く気にしない。
また「何文字書いたか」などは、評価の判断基準に全くなり得ないと思っている。
これについては、また今後記事にするかもしれない。

話を戻す。

あくまで「語彙力という概念は存在しない」という立場の上でだが、強いて言えば「言葉に接する機会を増やす」ことで語彙力は強まるのではないか…と考えている。
言い換えれば、日常で触れる言葉の量を増やすのである。

例えば本や新聞を読むのでもいいし、色々なサイトを読むのでもいいし、なんなら電車内広告を眺めるでもいい。

何でもいいから言葉に接するのである。

その中で、多分2日に1回くらいは「知らない単語」に出会うと思う。
それを調べて、覚えていく。

また、日頃使う言葉でも曖昧なものは、調べていく(例えば今回の記事でも、曖昧な「語彙力」という言葉を検索してみた)。

そういう行為を日常からコンスタントに重ねていけば、勝手に語彙力などは自分の中に蓄積されていくと、僕は考えている。
そして、その積み重ねが「語彙力=知っている言葉を増やすこと、それらを正しく運用すること」になるのではないかと思う。


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