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大月桃太郎伝説⑦


 大月桃太郎伝説第7弾です。

 今回でひとまず区切りとします。

 これまでのことをまとめるにあたり、下記のことに注目していきます。

①はじめは狂歌だった(大月桃太郎伝説③)
②1980年以降に狂歌から物語形式になった「鬼の杖」、「鬼の立石」の由来 が書き換えられた(大月桃太郎伝説⑥)
③新しく由来が付加されたモノが加わった(大月桃太郎伝説⑥)

※詳しくは下記をご参照ください。


 力不足により、うまくまとめきれない箇所も出てくるかと思いますが、できるだけ意味あるまとめをしていけたらと思います。

 これまで見てきた「大月桃太郎伝説」について整理すると、現在の形になるまでに3つの段階を経ていることが分かります。
 

 まず、第1段階。この段階は「大月桃太郎伝説」の誕生期にあたります。
 「犬目」、「鳥沢」、「猿橋」といった地名の配列から昔話桃太郎との関連が想起され、大月桃太郎伝説の原型となる狂歌が誕生します。

桃太郎 これより友を つれ伴らん 犬目鳥澤猿橋の里

 この段階の桃太郎は「百蔵山」の桃から生まれておらず、「岩殿山の鬼」とも戦いません。

 次に、第2段階。この段階は「大月桃太郎伝説」の変容期にあたります。
石井深の祖父、もしくは石井深によって、狂歌だった「大月桃太郎伝説」が物語の形式をもつように変化します。

 新たに「百蔵山(かつては桃倉山と表記されていた)」、「岩殿山の鬼」が加わります。また、「岩殿山の鬼」と桃太郎を戦わせるために、「鬼の杖」、「鬼の立石」の由来が、それまで伝えられてきたものとは異なる内容に書き換えられます。

 最後に、第3段階。この段階は「大月桃太郎伝説」の発展期にあたります。
 「新宮跡」、「岩船地蔵」、「手水鉢」といった、もともとは円通寺という寺院に付属していたモノ達が「鬼の洞窟(岩屋)」、「船に乗り桃をもつ地蔵」、「鬼の盃」という新たな由来を与えられ、「大月桃太郎伝説」の中に組み込まれていきます。

 この段階を発展期としたのは、この段階で新たに加えられたモノ達は、観光振興が目的だと考えられるためです。

 近年になって山梨県や大月市が作成した観光パンフレットへの掲載が増えていることは、その根拠になると思います。

 これによって、それまで地名の並びが根拠になっていた(鬼の杖など一部を除き)伝説が、物的証拠をもつ伝説として形を持つことができ、伝説の地を巡ることができるようになるという効果があります。

 こうしたことから、この段階は観光振興を目的とした見所づくりのために、新たに由来を付加し、「大月桃太郎伝説」にちなむモノ達を増やしていった段階と捉えることができます。


 以上をまとめると、

 まず地名の並びから狂歌が誕生(第1段階)、誕生した狂歌が、岩殿山の鬼伝説と複合する(第2段階)。この複合の過程では、「鬼の杖」、「鬼の立石」といった由来が広く知られていないモノの由来が書き換えられます。
 そして、観光振興を目的として、新たに由来が付加されたモノが加わります(第3段階)。この過程で、現在由来の分からなくなったものが、伝説の内容に沿うよう新しく由来が付加されているということが分かります。

 こうしたことから、「大月桃太郎伝説」は、地名の並びから生まれた狂歌が、時とともに伝説(物語)となり、今日的な活用目的を加えられつつ、形を変えてきた伝説であるといえます。
 もう少し踏み込むと、時とともに形が整えられ、伝説として創られていったといえると思います。

おわりに


 これまで、「大月桃太郎伝説」がどのような伝説で、どのように変化しながら現在の姿になっていったのか調べてきました。

 一般的に、創作された伝説に文化的な価値はないと思われがちですが、現在「オリジナル」であると思われている伝説にも、「大月桃太郎伝説」のような過程を経て変化してきた可能性もあり、こうした視点で伝説、昔話を捉えていくことも重要であると思います。

 ただ、近年、「観光振興」の旗を掲げればどんなトンデモでも許されるという認識を持った人達を見かけることがあり、複雑な気持ちになります。
※本人達は良いことをしているという認識のため。

 私自身、今の時代に即した価値観や主観からは逃れることはできないですが、できるだけ価値観に捕らわれず、主観的にならないよう、気を付けながら地域の文化について考えていきたいと思います。

 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

追記
 市内の70代男性複数から、「幼いころに紙芝居で桃太郎を見た」、「幼いころに鬼の洞窟って名前を聞いたことがある」、「鬼ヶ島が市内にある」などの情報をいただきました。聞き取りを行うなど、今後も引き続き「大月桃太郎伝説」について調べていきたいと思います。

ちなみに下記は「大月桃太郎伝説」について調べてみようと思ったときに影響を受けた論文です。

影山正美2003「第三節 観光食ホウトウの誕生」『山梨県史』民俗編、山梨県、山梨日日新聞社、pp.907-pp.926。

小二田誠二2001「伝説・実録・小説-二つの地蔵譚から-」『国文学 解釈と教材の研究』46巻7号、学燈社pp.107-pp.113。

創作伝説に興味を持たれた方は、ご一読をおすすめします。

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