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社員紹介

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インフォバーンの社員インタビュー記事を掲載しております。
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雑誌編集者への憧れと挫折とストーリーテラーとしての今

雑誌文化にどっぷり浸かった学生時代――田中圭子さんはインフォバーンのコンテンツディレクターの中でも、「編集者」というイメージが強いですが、ずっと編集系のキャリアを歩まれていたんでしょうか? いえ、もともと雑誌編集者を志望していたんですけど、新卒のときに出版社は落ちてしまったんですよ。最初は小売系のまったく違う仕事をしていました。 ――昔から雑誌が好きだったのでしょうか? 「雑誌をめくる匂いが好き」というくらいに大好きです。初めて「雑誌って面白い」と気づいた時のことは鮮

石を拾って、自身のセンスを知る!? 「なんとなくいい」を言語化するのがコンテンツディレクター

無意味だったけど無価値ではなかった学生生活ーー丸山さんは新卒でインフォバーンに入社されていますが、どんな学生時代を過ごしていたのでしょうか。 大学時代は仲間とスケボーサークルを設立して遊んでいました。 ーー今やスケボーはオリンピック競技ですから、だいぶ先見の明がありますね。高校時代からスケボーが好きだったのですか? いいえ、全然。ほぼ乗ったことはないです。最初は学生課で「ゴミ拾いサークル」って書類に記入し、申請しました。とにかく人名のようなサークル名にしたくて『竹内剛

自分のバックグラウンドに「デザイン」を掛け合わせる。ノンデザイナーがデザインストラテジストになるまで。

沖縄出身、京都在住。趣味は日本の地方巡り。――このインタビューの前に写真を撮られるのは苦手だとうかがいましたが、あんまり好きじゃないですか? あんまり……えっ、好きですか? ――いや、実は私も好きじゃないです(笑)。 なんでしょう。家族や友達と集まって「せーの」で集合写真を撮るくらいならいいんですけど、ふとしたときに撮られると「やめて~」って気持ちに(笑)。写真を撮るほうは好きなんですけどね。 ――気持ちはわかります。うまく言えませんけど、何か嫌ですよね。 いつカ

手を出して形にしてみる。未経験を恐れないプランナーの「やってみよう」精神

就職せずにお笑い養成所の門を叩く――平石さんは、ちょいちょい関西弁を話されますよね。出身は関西のほうですか? 京都です。通っていた大学も京都にあって、最初に入ったWeb制作会社でも勤務先は京都支社でした。ちなみにインフォバーンの同僚である菊石和徳さんは、実はその会社でも同僚だったんです。 ――そんなつながりがあったんですね。どんな学生時代を京都で送っていましたか? そんなに真面目なタイプでもなかったし、特定のサークルに所属するわけでもなく、ふらっと学校に行って学食で昼

感情労働とは、“抑える”ことではなく“聞く”こと。「人の気持ちがわからない奴」と罵倒された男の“無為自然”

テニス歴10年、チャラサー出身?――樋渡さんは埼玉県の市役所に勤めていたそうですが、地元が埼玉でしたっけ? 地元は埼玉県の久喜市というところですね。半蔵門線の終点なので、そこで名前を聞いたことがある人がいるかもしれません。家の周りは田んぼだらけの土地で、カルチャーとしては、北関東と首都圏とにまたがっている空気ですかね。 ――そんななかで、どんな10代を? 地元にいたのは小学校までで、以降は東京の中高一貫校に通っていたんですけど、6年間テニス部で、大学でもテニスサークル

キャリア不安を払拭した「編集」という軸。やりたいことがなかった学生が、インフォバーンの「女将」になるまで。

聖歌隊で歌う中高時代、ミュージカルを演じる大学時代――永瀬さんのご出身はどちらですか? 地元は埼玉県川口市なんですけど、中学からは東京にある中高一貫校に通ってました。茶道部にも入りつつ、ミッションスクールだったので聖歌隊で歌を歌っていましたね。 ――部活で聖歌隊って珍しいですね! 合唱部ともまた違いますよね? ミッションスクールだと、学校の季節のイベントも宗教行事なんですよ。イースター礼拝があったり、クリスマス礼拝があったり、入学式や卒業式も入学礼拝とか卒業礼拝とかで

狙いを持って柔軟に。PDCAを回しながら人の心を動かすコンテンツを

ダンス、バンド、社会心理学――川添さんは、入社して4年になりますね。もともと出身はどちらですか? 出身は阿部サダヲと同じ、千葉県松戸市です。 ――じゃあ、東京に近いですね。常磐線ですぐ出られる。 そうです。常磐線で上野まで出て、渋谷や新宿にもすぐ行ける場所ですね。高校生くらいのときには、私は原宿に行ってましたかね。でも、ほとんど近場の柏で買い物が済んじゃうので、基本は柏に行ってましたけど。 ――「千葉の渋谷」と千葉県民が誇るあの柏ですね(笑)。 そうです、そうです

「完璧思考」からの脱却。インフォバーンに転職し感じた成長実感とは

築地に魚を手配しに行ったあの日ーー小沼さん本日はよろしくお願いいたします。まずは小沼さんの人となりを伝えたいと思っているのですが、今ハマっているものを教えてもらえますか? 音声コンテンツは結構聴いてますね。インフォバーンのポッドキャストも聴いてますよ! ーーありがたいです。誰がゲストの回を聴きました? 上野さんの回が記憶に残ってて、インフォバーンがある神泉は元々銭湯だった、と知って驚きました。話題が上野さんっぽいなと、勝手にホクホクした気持ちになりました(笑)。 今

笑顔の未来へ。新卒採用担当が目指す、企業と学生の幸福なマッチングとは?

百貨店の「アンブレラマスター」から編集者に――松永さんは新卒のときには百貨店で働いていたそうですが、珍しい経歴ですよね。 そうですね。僕は生まれも育ちも福岡で、大学も九州だったんです。それで働くにしても九州がいいな、地元にいたいなって思っていたんです。これは地方あるあるだと思うんですけど、東京に行きたい人と、地元から離れたくない人とに分かれて、僕は後者だったんですよ。 ちょうど僕が就活するときに博多阪急という百貨店ができるタイミングで、それを友達から聞いたので、「福岡で

クライアントの成果にコミットする。スキルよりもマインドが大切なワケ

「リバティーンズ」に人生を狂わされた男――鈴木さんといえば「The Libertines(※リバティーンズ/イギリスのロックバンド。2000年代のロックンロール・リバイバルを代表するバンドで、2004年に一度解散)」の大ファンで、語り出すとインタビューがそれだけで終わってしまいそうですけど(笑)、やっぱり人生における影響は大きかったですか? そうですね。僕は「リバティーンズ」によって人生が変わっていった人間なので(笑)。高校生くらいに好きになって、大学も「リバティーンズ」

「“やりたくない”ことがない」という強み。「新生ユニット」というプロジェクトをマネジメントする!

“何”の仕事をするかより、“誰”と仕事をするか――根本さんは大学では、経済学部商学科に通われていたそうですね。マーケティングについて学んでいたんですか? いや、そういった勉強は全然してませんでした。かといって世界一周したとか、在学中に起業したとか、僕は学生時代にそういういかにもなすごいことはしてなくて、アルバイトをして、飲み歩いているような学生でした。 ――「いざ就活だ」という時期にはどうされていたんですか? 僕は「ちゃんと社会人にならなきゃ」って思いは強かったんです

「インフォバーンは裁量権が“レベチ”」。バンドマンがアカウントプランナーになるまで

「USJとディズニーの違いは自由度です」ーー板倉さんはどんな学生でした? 中学時代はバスケをやってて、高校からバンドをはじめました。大学の2年生くらいまでは音楽にどっぷりハマってましたね。練習するかライブするか、みたいな感じで。そんな音楽漬けな学生生活でしたが、親が厳しかったので中高は無遅刻無欠席でした。根は真面目でしたね。 ーーバンドでは何担当だったんですか? ずっとドラムをやってました。とにかくバンド活動をやってたんですが、大学2年の時にバンドが解散したんです。そ

留年を繰り返した大学生が、なぜ部門長になるまで成長できたのか?:IBX部門長・羽村悠己のB面

使いっ走りの足軽アルバイトから、Web業界のアカウントプランナーへ――羽村さんは学生時代、どんなふうに過ごされていましたか? もともと羽村さんの出身は東京でしたっけ? 出身は東京の荻窪生まれなんだけど、すぐに引っ越して千葉の市川にずっと住んでた。駅としては東西線沿線だね。 高校も船橋にある県立で、中高を通じてハンドボール部に入っていたんだよ。スポーツとしてはサッカーも好きだったんだけど、小学校からやってるメンバーで固まっていたから、中学からそこに入っていくのがなんか嫌で…

インフォバーンのコアは“チャレンジャー”であり続ける精神:IBX部門長・羽村悠己のA面

「そのとき、“インフォバーン”の歴史が動いた」……初の「企業のメディア化」提案 in 2011――いまではIBX部門長を務められている羽村さんですが、インフォバーンに中途入社してからプランナー/ディレクターとして関わった案件として、特に記憶に残っているものはなんでしょうか? なかなか選ぶのも難しいですが、「インフォバーンの歴史が動いた」という意味で、すごくよく覚えているのは、インフォバーンとして初めて「オウンドメディア(※1)」施策の提案をした案件ですね。2011年ごろの