「男らしさ」のアレルギー
付き合ってた彼女から、別れを告げられた。
「亭主関白っぽいのが気になった。」
「え、なにが?」
言葉では理解できる。
自覚がない。
自分のどんな行動や言葉が亭主関白だったのだろうか。
それとも雰囲気なのだろうか。
「亭主関白かどうかはわからないし、そんな感じではないけど、自信に満ち溢れてるよね。自分が正しい、自分はできるみたいな。」
後日、女の子の友達から言われた。
自分でもわかる。
完全に自覚ありだ。
でも、、。
自信はあるけど、そんなに強くない。
むしろ、弱くて脆い。
強く魅せてるだけ。
「男なら泣くな。」
「男ならウジウジするな。」
「男なら堂々としてろ。」
「男なら女の子を引っ張れ。」
「男なら強くなって、女の子を守れ。」
間違いではないと思う。
堂々と人の前に立ち、凛としている人は魅力的だ。
そういう男性がモテるのも事実。
ただ。
やっぱり「男らしさ」は一種の偏見なのだと思う。
女性が「女らしさ」に悩むのと同じように、
男性も「男らしさ」に葛藤している。
女性は家にいるものだという伝統的な考えにアレルギー反応を起こすのと同じように、
男性も強くあるべきという伝統的な考えにアレルギー反応を起こす。
不器用なのだ。
時代が変わり、息苦しくて、もがいて。
どうすれば、自分の、おとことしての弱さに向き合えるのだろうか。
たぶん弱さと対話した先に、
本当の人としての魅力が開花する。
そんなことを考えながら
僕は今日も、本屋へ行く。
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