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諦めることは自分を許すこと

↑前回の続き。「教育」を考える第七回。

人は万能の神ではないので、「できること」と「できないこと」がある。できることは自然と結果が可視化されてコミュニケーションに発展するが、できないことはただ心の内に傷を負うだけになりやすい。

サインを出してくれれば、いくらでも慰めたり励ましたりしよう。しかし、いつもそばにいられるとは限らない。だから自分でケアできるようになる必要がある。これは大人も子供も関係なく、すべての人間に言えることだ。

ここで「上手に諦める」という話につながる。

諦めることの真髄はできない自分を許すことにある。できなかったことは事実なので痛みは避けられないが、くよくよしていなければ、いずれ傷は癒える。再生した部分は今よりも少し強くなるだろう。

むやみに許せばいいというものでもない。ガバガバの許しには何の意味もない。進むべきときは「諦めるな」と叱咤してくれる存在だからこそ、諦めてもいい場面での許しに価値が生まれるのだ。

そんな存在に自分がならなければならない。他人の価値観によらない進退の見極めができて、その判断力に十分な信頼が置けること。自分が信じられる自分であること。

この種の自信は褒めることでは育たない。では周りの人間にできることは何もないのだろうか。

↓最終回につづく