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友のためならば

謝っても許されないなら仕方がない。どうか許してほしいと懇願する気持ちはまったく起きなかった。そこまでして友人でいたいと思わない。
ん?もしかして友情って友人でありたいと願う気持ちのこと?

気心が知れていて、お互いを尊重できて、信頼を共有できると認めた相手に対し、隣人以上の親密さを求めることが友情なのだろうか。この人とは友達になれそうだと思うまではいい。その基準は自分のさじ加減で決められるから。

しかし、相手からも認められたいとなると途端に問題の質が変わる。相手の眼鏡にかなう自分であらねばならない。そのためのコストをどこまで払えるかという話になる。

🤔コストとか言い出すところが駄目なんだろうね

身も蓋もないが、あながち間違っていない気がする。ただの隣人にはできないことでも、親密な友人にならできることがある。つまり友情に比例してより多くのコストをかけられるということだ。

友達なら保証人になってくれるよね?

こんなふうに友情を試そうとする人はそもそも友達ではないのかもしれない。ここまで露骨だと抵抗があるが、友達がピンチなら何とかしてあげたいと考える。たとえばお金に困っている友達にいくらまでなら貸せるだろうか。

相手によって出せる金額は変わると思う。それは友情の大きさそのものではないか?