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微熱

一連の記事を書いてきてわかったことがある。書き始める前よりも明らかに想いが募っている。僕がnoteを書くのは自分を客観視するためであって、その度に彼女への想いを再確認していた。自覚することで感情はより鮮明になった。

これほど何かを欲したことはない。この気持ちは嫉妬と渇望も同時に連れてきたが、慣れてくると彼らも意外と悪い奴らではなかった。大きく揺れた振り子が同じ幅で戻ってくるように、嫉妬や渇望の強さはそのまま好きの強さを裏付けてくれるからだ。

好きなものを好きでいられることに幸福を感じる。

ぶっちゃけ願いは叶っても叶わなくてもいい。欲しいものを手に入れれば何かを手放すことになる。渇望を満たしてもどうせその先には喪失の不安が待っている。しかし、好きという感情自体がなくなるのは無条件に悲しい。叶う未来も、叶わない未来も、見られなくなってしまう。

今の時点ではこの鮮やかで眩しい気持ちが消えて無くなるとはとても思えない。

ただ、恋が病だとすればいずれ回復する日が来るのだろう。人という種の生存戦略がさっさと次に行けと言っているのかもしれない。遺伝子の都合など知ったことではないが、そういう仕様なら黙って経過を見守るしかない。

たぶん、この手のひらの熱がおさまった時に僕の初恋は終わるのだと思う。