見出し画像

薄愛主義

貸したお金が確実に返ってくる保証はない。

相手が踏み倒すつもりでいるとは思わないが、どんなに信頼のおける相手でも突然の事故や病気に見舞われる可能性はある。そうなった場合に自分の生活が脅かされるとなれば親しくもない相手に大きな金額を貸すのは躊躇われる。

しかし実際のところ、僕の生活は脅かされない。

大切なものを人の手に預けるのは一種の賭けだ。だから万が一にも失って困るものはたとえ友人や家族であっても絶対に貸さないし、保証人にもならない。

逆に大切でないものはいくらでも融通できる。返せたら返してくれればいい。僕は最低限の安心安全さえ確保できれば十分に幸せである。贅沢や虚飾には興味がない。

この考え方だと前回の終わりに書いた貸せる金額と友情が比例する説は怪しくなる。貸せるお金はいわば贅肉部分であり、相手を査定して出し惜しみするようなものではないからだ。

友人にも隣人にも分け隔てなく等しいお金を貸せるという意味では愛主義といえるかもしれない。

また、誰に対しても自分を危険に晒してまで手を差し伸べないのは愛主義とでも呼べるだろうか。