だいたい全部がぼんやりとしている
記憶の中の景色と比べていま見ている景色が鮮明だと感じるのは、半分は正しくて半分は間違っていると思う。鮮明に見えているのは視界のごく一部で、意識を向けて注目している一点だけだ。
視界の大部分はぼんやりとしか見えていない。そのぼんやり具合は記憶の中の景色と似ている。それにもかかわらず「今」が「過去」よりずっと鮮やかに感じられるのは、その場所にはまだ自由があるからだ。
鮮明に見える範囲が限られているとしても、「今」なら注視する対象を自由に変えられる。視界全体を同時に注目することはできないが、見ようと思えば視線を巡らせて見渡せる。その可能性が世界を鮮やかに見せている。
記憶の中の景色ではそれができない。周辺視野で見えているようなぼんやりした映像の一部分に注目することはもう不可能なのだ。
それでも記憶は感動を呼び覚ます。
映画『ダイ・ハード』のラストで主人公とパウエル巡査部長が初めて顔を合わせるシーンが好きだ。思い出すだけで涙腺が緩む。このとき、僕の頭の中で鮮やかに再生されている映像はたぶん実際の映像とは異なる。
えーと、何の話をしていたんだっけ。倍速視聴か。収拾がつくのかわからないまま次回に続く。