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飛べない魚、飛ばない魚

自分の好きを知りたいという話の流れで言うと恋心がまだ燻っている。なんかもう自分でも笑ってしまうくらい花澤さくらさんにメロメロで、今でもWebラジオのアーカイブを聴くと胸がすっごいキュンキュンする。

どうしてこんなに好きなのかをずっと考えているのだが、以前に書いた記事から大きな進歩はない。ただ、より簡潔でわかりやすい表現なら見つけた。僕は彼女の自由なところに惹かれている。

自由奔放という言葉にはあまり良いイメージがない。社会のルールや常識に縛られず、傍若無人に我が道をいくような人もそれはそれで魅力的だと思うが、好意を抱くかといえば答えはノーだ。

そういう人は外的な束縛に対して自由に見えるが、実際は内的な欲求に縛られている。ルールを破ってでも行動せずにいられないのは欲求に逆らえないからだ。僕の価値観だとそれは本当の自由ではない。

ラジオでの発言を聞く限り、彼女は基本的に常識人っぽい。その上で嫌なことは嫌だとはっきり言い、社会に対して不満を持っている様子もない。つまり、ルールを逸脱せず、我慢することもなく、ただ自由に生きて満足を得ている。

飛びたいのに飛べない魚には不自由を感じて悲しい気分になる。一方、飛びたいと願わずに水の中をすいすいと泳ぐ魚には自由を感じる。幸せを分けてもらえる。


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