見出し画像

人間関係に名前をつける必要、ある?

人間関係と言われると、家族、友達、恋人、会社や学校での先輩・後輩などが思い浮かびます。

少し前までは、この「家族」「友達」のような既成の単語で人間関係を表すことを何の疑いもなく受け入れていたのですが、最近、これらは人間関係を縛っているのではないか、と考えるようになりました。

まず、「家族」。

血縁関係という切れない関係であるために、仲があまり良くないとしても、心のどこかで「好きじゃないけど縁は切れないんだろうな……」と縛られてしまうことがあります。

次に、「友達」。

心の奥底から気を許し、相手に全く気を遣わないくらい仲が良いなら問題ないでしょうが、そこまでとは言えない程度の友達(INFJの方はそういう友達が多そうだと思ってます)なら、相手がつまらなくならないように話す内容を考えたり、頭をフル回転したりすることが多々あります。

そして多くの人が共感できるであろう、「恋人」。

恋人相手だと、ほかの関係性の人達よりも良いところを見せたいという気持ちが強いですよね。素の自分が出せずに、後で悩むという方も一定数いるかと思われます。



このように、人間関係をなにかの型にはめてしまうと、それに縛られうることがわかります。

この記事を書くに至った経緯は「友達」だと思って接していた人たちと表面的な会話を多くしており、本心であまり会話をしてこなかったことに気づいたことにあります。

ありがたいことに友達の数には困っていないのですが、どことなく孤独感、寂寥感を感じる原因はここにあったのか、と納得できました。

本心で深い話をすればいいというわけでもなく、たわいもない(=表面的)話をすることももちろん人間関係において重要な要素だと思います。

ただ、私が、ほかの多くの人よりも心からのつながりを望んでいるがゆえに、物足りなさを感じるのでしょう。

既に型にはまった人間関係を築いている相手はもうその関係でなくなることはほぼ不可能だと思うので、このまま平穏に付き合っていこうと思いますが、
この先、本心で語れる、どういった関係なのかははっきり定義できないけど、心から繋がれている、そういう関係の知人ができたらいいな、と願っています。

皆さんもそういう相手と穏やかに生きられますように‪🌱‬

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?