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「出会えて良かった」と言われたことが自己肯定感に与えたもの

先日、最近親しくさせていただいており、尊敬もしている方と話していたときのことです。

具体的には言えませんが、ざっくりと、「過去に失敗したけど、その失敗で今があるから、結果的にその失敗をして良かった」といったニュアンスのことを話していました。

その流れで、「〇〇(相手の方が尊敬している方)に出会えたし、こうして〇〇(私の名前)と……」と言われました。

相手の方は、目の前に私自身がいてはっきり言うのが恥ずかしかったのか(そうであって欲しい
)、実際も、上記のように、「〇〇(私の名前)と……」の後に「出会えて良かった」とは言いませんでした。

タイトルの「『出会えて良かった』と言われ」た、は少し盛りましたが、文脈的に「出会えて良かった」という内容に間違いないと思っています。

これを言われたとき、急に私との話になったことに驚いたと同時にとてつもなく嬉しくなりました。

人を褒める・肯定するとき、容姿や内面などに言及することがほとんどだと思います。

例えば、「かわいい」「かっこいい」「優しい」などが挙げられますが、こういった、要素ごとの褒め言葉は、いくら言われても、100%自己肯定感が満たされることはないのではないか、と感じました(もちろん人によりますが)。

それは、他でもなく、冒頭のように、「こうして〇〇(私の名前)と……(出会えて良かった)」と言われたからです。

この言い方では、具体的な要素で肯定されていませんが、自分の存在そのものを肯定してくれています。

私は、今まで生きづらい、と感じてきたことが多々あったため、自分は自分でいいんだ、と思うことができる素晴らしい言葉だと感じました。

どうですか?要素で肯定されるよりもずっと心に染み、嬉しくなりませんか?


と、ここまで記事を書いてきて、なぜここまで嬉しくなったのかのもう1つの理由に気づきました。

冒頭のように、話の流れは、「過去に失敗したけど、その失敗で今があるから、結果的にその失敗をして良かった」といった感じです。

そして、「こうして〇〇(私の名前)と……(出会えて良かった)」と言われたことと合わせて考えると、相手が、私との出会いで、私の存在だけでなく、相手自身の人生(過去の失敗も含めて)をも肯定できているから、私はとても嬉しいのだと気づきました。

(↑私の願望も入っている気もしますが……)

ある出会いで、お互いを肯定できることほど素晴らしいものはないのではないか、と思うことができました。

私は、言われたとき、動揺してフリーズしてしまって咄嗟になにも言えなかったのですが、私自身、相手の方に出会えて良かった、と以前から思っているため、いつかこの気持ちを直接伝えられたらいいな、と思います。


人との出会いって素敵だな〜と改めて感じることができた話でした。

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