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INFJ/HSP、話すときに気を遣いすぎる

映画「違国日記」が6/7(金)に公開されます。

この映画は原作があり、私はその原作を知らなかったのですが、映画の予告や見た方の感想を見て、映画館に足を運ぼうと思っています。

昨日インターネット上で公開された、ananNEWSでの新垣結衣さん(主演)のインタビューが印象的だったので勝手に紹介します。

これらを見て、とても恐縮ですが、新垣さんと「槙生」は私と似ている、と感じました。

原作を知っておらず、結局今まで読んでいないため、判断材料がこういうものしかないですが、「槙生」という人物に興味をもちました。

また、私も以前から、人との会話の内容をよく覚えており、言った本人が言ったことを覚えておらず、私だけが覚えていることや、相手が以前と違うことを言っていることに気づかず、私だけ気づいている、などの経験をよくしました。

なぜ人との会話を他の人より覚えているのか、という疑問は、このことに気づいてからずっと考えており、結論が出ていなかったため、インタビューでの「相手に全意識を集中してガチガチになっていたからこそ、その時のエピソードがずっと頭に染み付いた」という所を読んだとき、ものすごく納得することができました。

人とのコミュニケーションは、嫌いではないけど(相手によっては大好き)疲れるものだという認識が今まであったのですが、私自身が身構えすぎていたからなのだと再認識することができました。

「再」認識としたのは、前にも私は人とのコミュニケーションで気を遣いまくっている、と感じたことがあるからです。

ですが、気を遣いながら話すことに慣れすぎていたため、時間が経つにつれ、気を遣っていることが無意識で、通常すぎて、なにも思わなくなりました。

でも、コミュニケーションの後はなんとなく疲れていることが多い、というような認識でした。

そしてインタビューを読んで、無自覚に自分の体力をすり減らしていたことに気づき、「あまりすり減らさないように気をつけよう」と思ったのですが、同時に、「でもやっぱり無理かも」とも思いました(早すぎる矛盾)。

もし全く気を遣わないとして、そのせいで相手が不快になったら、と考えたら、気を遣いまくって体力がすり減るよりも精神的ダメージが大きいからです。

相手の顔色、表情、目線、声色を無意識的にチェックしてしまっている私は、気を遣わない、気にしない、という選択はもはや不可能なんですね。

それでも、親密度が高い人ほど気を遣う度合いが低いので、「比較的」気を遣わないでいられる相手、もしくは、気を遣っているとしてもそれ以上に居心地がいい相手と出会いたいと思いました。

後者に当てはまる人が、まさに以前記事(想像以上にスキをして頂いて嬉しい限りです、ありがとうございます…🙏)に書いた方↓なので、このご縁は大切にしたいと思うばかりです。

映画「違国日記」の公式サイトを開くと1番上に出てくる、メインビジュアル?ポスター?に、「わかり合えなくても、寄り添えることを知った」とあり、「そう!!!!わかり合えなくてもいい!!というか他人だから100%わかり合うことはほぼ不可能だけど、受け止めてほしいんだよ!!!!」ととてつもなく共感したのですが、皆さんはいかがでしょうか?

映画「違国日記」、待ち遠しいです。

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