丸山隆平主演「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」感想文

Eighterになりたての頃は、Eighter友達が欲しくてブログを始めて、よく文章を書いていたんだけれども、ブログも書かなくなってしまって、久しく長文を書くということをしてなくて。

でも、今回の丸ちゃんのヘドウィグは、どうしても自分の言葉で感想を文章として残したい!と思ったので、久々に書いてみることにしました。

私は丸ちゃんがヘドウィグを演じると知るまで、「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」という作品のことも知らなかったし、1度目の観劇を終えた後に、映画版のヘドウィグは観ることができたけれども、錚々たる俳優さんたちが演じてきたヘドウィグを観たこともないし、LGBTQ+や政治的な背景、宗教的なことに関しても知識が浅いので、そんな私がヘドウィグのことを語るのはおこがましいことかもしれないですが、そんな丸ちゃん一筋な私なりに、感じたことをつらつらと書かせていただきたいと思います。




私が初めて観劇しに行った日は、予習も何もせず、まっさらな状態で観に行ったんだけれども、開演する前にパンフはめっちゃ読み込んでたから、英語詞の意味もなんとなくはわかったし、所々日本語訳の歌詞やアニメーションもあったから、物語の意味もなんとなくは理解できた。

でもやっぱり一回見ただけじゃ疑問が残るところもあったりして。それで帰りの新幹線の中ですぐ映画版ヘドウィグを見て、あのときのシーンはこういう意味だったのかなぁ…って自分なりに考えたりして。

そんな中、オープニングから、映画版のヘドウィグにはなかった描写で気になった所。

ステージが始まる前、舞台上には大きな壁が立てられてて、先にバンドメンバーさんとイツハクが登場して、イツハクがヘドウィグを呼び込んで演奏が始まるんだけれども、演奏が始まっても壁の向こう側にいるヘドウィグは登場しなくて。

慌ててイツハクがヘドウィグを呼びに行って、壁を蹴り倒す?押し倒す?んだけれども、そこにいるヘドウィグは後ろを向いてうずくまって座り込んでて、イツハクがヘドウィグの傍にしゃがみこんで、「ほら!始まったよ!歌って!」っていう感じで背中を叩いて、それでやっとヘドウィグが何かを吹っ切ったように立ち上がって前を向いて、マントを広げて歌い出すんだよね。

その表現が、私的には、ヘドウィグがいつも強がってるけれども、本当は人一倍繊細で、傷だらけで、弱い自分を必死に奮い立たせてるっていう事を表現してるのかなぁ…なんて思った。登場のシーンから既に、丸ちゃんの演じるヘドウィグに心掴まれてたなぁ。


M01.TEAR ME DOWN
ド派手なメイク、胸元がザックリ開いたデニムのつぎはぎミニワンピにピンヒール。
男性なのにあんな高いピンヒールで歌って踊ってる所がまず凄い!
そして身体の8割ぐらい露出されてる…!
上腕二頭筋がガッチリしてて、脚はスラッとしてて筋足で…めっちゃいいカラダ…!!

ドラァグクイーンの役だけあって、腰振ったり股を大きく開いたり、セクシーな動きがたくさんあって、しかも私的初日は丸ちゃんの舞台で初の最前列だったから、とにかく丸ちゃんの、いや、マルウィグ様の肉体美に釘付けでした♡

ワイドショーの映像で見ただけのときは、やっぱり丸ちゃんが女装してる!って感じに見えて、少し違和感があったけれども、実際にステージに立っている丸ちゃんは、ヘドウィグの役に完全に入り込んでて、本当にヘドウィグそのものだったから、全く違和感がなくて、すごくキレイでセクシーでカッコよかった。

全編英語詞で歌ってた所も、丸ちゃんじゃなく、ここにいるのはヘドウィグなんだって、ヘドウィグとして見ることに違和感を感じさせない要因のひとつでもあったのかな。

ブロードウェイミュージカルとか、もともと外国のお芝居を日本人が演じると、どうしても私は違和感を感じてしまうことが多かったけど、今回は全くそれがなかったもんなぁ。丸ちゃんのとてつもない努力と演技力の高さを改めて感じた。


1曲目を歌い終えて、どうしてこの日本でまたステージができるようになったか説明するくだりがあるんだけども、そこで六本木(その土地によって違う地名)の影の支配者のボブにヘドウィグ自慢の例のアレをしてあげたことで、日本でもう一度だけ歌わせてもらえることになった、っていう説明をするんだけども、そのときのアレの音がめっちゃ生々しくちゅぱちゅぱさせてて、純情なマルタ―さんたち、引いちゃわないかな?大丈夫かな?って私は内心ドキドキしてたけど^^;

バンドメンバーさんたちがそのくだりでめっちゃ笑ってたから、「あっ、笑っていいヤツなのね!」って皆わかってぽつぽつ笑いが起きてた感じだったな(笑)

パンフの中で、「今回は普段の僕が言わないような言葉もヘドウィグとして発していますので…」って言ってくれてたけども、多分下ネタのことを言ってたのかなぁ?って。
マルタ―さんたちに心配かけないように事前に断り入れておいてくれるのが丸ちゃんらしいなって思った!
そういうところがかわいくて好き♡

その後にも何度もその描写が出てきて、普段の丸ちゃんなら発しない下ネタ全開だったから、丸ちゃん頑張って振り切って役に入り込んでるなぁーって思った^^
(まぁ昔レコメンでの丸山サウンドではよくやってたけどね^^;)


M02.THE ORIGIN OF LOVE
ハンセルが幼い頃、母親から聞かされた「愛の起源」の物語を歌った曲。
丸ちゃんがパンフの中で、「英語がわからない方にも伝わるものがあるところまで引っ張っていけたら」って言ってくれてたけども、本当にその通りになってた。

初めて観る方にも、英語がわからなくても伝わるように、歌詞の内容を身振り手振りを交えて表現してくれてて、回を重ねる毎に丸ちゃんの表現力が増してたように感じた。

そして歌い出しは静かに穏やかな声で歌ってるんだけれども、ゼウスが稲妻のハサミで人間を真っ二つに切り裂くシーンの時には、急に歌声が変わって、低音ですごむような怖い声色で歌ってたりして、場面が変わったのが歌声ですぐにわかって。

もちろんヘドウィグの後ろに映る、映像チームのアニメーションも合わせてなんだけども。

でもホント、一体ここまでにどれだけの努力を重ねてきたんだろう…って。
ただでさえ、英語の歌詞と発音を覚えて、歌いこなせるようにするだけでも大変なことなのに、そこに丸ちゃんなりの表現も加えて、初めて聴く人にも伝わるようにって、本当にめちゃくちゃ頑張ったんだろうなぁ…。なんだったらオリジナルのジョンより上手なんじゃないかと思うくらい、本当に素晴らしい表現力でした。


M03.SUGAR DADDY
ハンセルが大学を中退した後、ベルリンの壁近くの、教会のドアの瓦礫の上で裸で日光浴をしてて、そこで軍曹のルーサーと出会うんだけど、そこでルーサーからグミベアをもらう流れのところ、その再現シーンは、ほなみさんがルーサーの役を演じてるんだけども、ルーサーが「お菓子は好き?」って言って大きなグミベアをハンセルがもらって食べるところ、あれっていわゆる、性的な比喩ってことだよね?口の中でグニャグニャと伸び縮みしたって…。

グミベアの味が、懐かしい味がするけど何の味だろう…?って思いながらハンセルは食べてて、それが権力の味って気付いたときに、でも悪くない!って表現してるんだよね。でもグミベアの袋に入った色とりどりのグミベアを見て、アウシュビッツのガス室に閉じ込められた非アーリア人を思わせるような描写もあって、ハンセルは怖くなって逃げ出す。でも次の日、またお菓子を探しに行ったら、ルーサーという名のSUGAR DADDYがそこに待ってる。

結局ハンセルはルーサーの事を好きになって、ルーサーと結婚する。

その時のことを「私は世界一幸せな男の子になっちゃった」って表現してる。

一度逃げ出したのに、結局ルーサーと結婚したのはなぜなんだろう、って疑問が残る。

憧れの自由の国、アメリカに連れて行ってもらいたかったのかな。
自分を愛してくれる人と結ばれたいと思ったのかな。
ルーサーが自分のカタワレだと、その時は思ってたのかな。

ハンセルのそのときの表情は、本当に純粋にルーサーに恋してるように見えた。

今回のヘドウィグ2022では、はっきりしたその描写はなかったけど、映画版でははっきりと、幼い頃ハンセルが、父親と一緒のベッドで眠ってて、何かに気付いた母親が、「息子に何を!変態!出てって!!」ってすごい剣幕で怒って父親を殴って追い出してる。

それって、ハンセルが幼い頃に、父親に性的虐待されてたってことだよね?でも幼いハンセルは、それが悪いことなのか良いことなのか、わかってなかったのかな、とか思ったり。
だから、ルーサーの味が、懐かしい味って、権力の味って、父親の味だったのかな、とか。父親もアメリカ人の兵士だったから?とか、色んな考えが頭の中でぐるぐる…。

その辺りの描写はまだまだ私には理解し切れてない所もたくさんあるんだけれども、SUGAR DADDYの歌のパフォーマンスの所ね。

今回はコロナ渦でカーウォッシュができなかった分、マルウィグ様がステージ前にある球体の照明に跨ってねちっこく撫で回しながらお客さんのこと挑発的な顔つきで見つめたり、腰を激しく振ってみたり、マイクスタンドに跨って腰動かしたり、マイクをアレみたいにペロンと舐めるしぐさをしてみたり、最後はマイクを股間に持ってきて思いっきりしごいたりしてて、めっちゃエロすぎて悶え死んだよね…♡(///ω///)

あのミニワンピの衣装で、脚ガバって開いてライトとかに跨って腰振るから、マルウィグ様の内ももの筋肉の筋張ってるところとかが丸見えなんだよね(*/ω\*)♡

このパフォーマンスも回を重ねる毎にどんどん激しくエロさが増してたような気がしたなぁ…。特に地方では自由度が爆発してたような気がする^^;
私としては大歓迎だけど(爆)

かと思えば、歌の中のセリフの所で、ルーサーからドレスや毛皮を買ってあげるって言われてるときは、ハチミツ?舐めて上目遣いでめっちゃかわいい乙女だし!

エロかわいいとは丸ちゃんの、マルウィグ様のためにある言葉だと思うくらい、とにかくSUGAR DADDYのマルウィグ様は可愛くてエロくてセクシーで、ヘドウィグの辛い人生のことは一旦忘れて、マルウィグ様の魅力がたっぷり堪能できる時間でした♡


M04.ANGRY INCH
ルーサーと結婚する為には性別上女性にならないといけなくて、ルーサーと母親に半ば無理やり病院に連れていかれて、性転換手術を受けさせられて、パスポートも偽造してハンセルから、母親の名前であるヘドウィグになったのに。

手術は失敗して怒りの1インチが股間に残ってしまった。

ハンセルはルーサーのことも、母親のことも愛してたのに、どちらにも裏切られたような気持ちになっただろうな…。

1コーラス目は割と淡々と歌ってる感じなんだけども、2コーラス目からは怒りの感情が爆発してて。それが愛する人たちに裏切られた悲しみと怒りが混ざったような感じで見ていてなんだか苦しかった…。

そしてある公演のとき、双眼鏡でマルウィグ様をガン見してたら、最後の歌い終わり、音楽が終わる所まで、手術を受けさせられたときの怖さを表情で表現してて、最後の最後まで歌いながらもちゃんと演じている所が本当に素晴らしかった。

演技なんだけれども、本当にナチュラルにヘドウィグなんだよね。ヘドウィグの半生を私たちはこの場で一緒に目撃してるんだなぁ…って。


M05.WIG IN A BOX
ルーサーに捨てられて、1人トレーラーハウスに残された、ヘドウィグの悲しさ、切なさが歌い出しから溢れてた。ANGRY INCHとはうって変わって、切なくて繊細でキレイな声で歌うマルウィグ様。本当に曲によって歌声がガラっと変わる。一体何色の声を持ってるんだろう…?って、丸ちゃんのこと改めて尊敬する。

ここでもマルウィグ様は、身振り手振りでメイクしたり、テープをかけたり、ウィッグをかぶったり、CDを何度も聴いて英語詞を理解するほど、丸ちゃんが一生懸命英語がわからなくても伝わるようにジェスチャーしてくれてるのがわかる。

心細くて淋しくて悲しいけれど、メイクをして、お気に入りの曲をかけて、ウィッグをつけたら強い自分になれる。そう自分に言い聞かせてるようでそんな健気なヘドウィグが儚くて愛しい。

本当は丸ちゃんは大きくて広くてがっしりした男らしい背中のはずなのに、この曲のときは小さくて華奢な背中に見えるんだよね…。もうこの頃には完全にヘドウィグと丸ちゃんが一致してる。

そして一緒に歌うところではいつも泣きそうになる。今回は手拍子だけだったけど、ホントは声出して一緒に歌いたかった。

マルウィグ様が、「今は声は出せないけど、皆心の声で歌ってね。あと手拍子もしてくれたら嬉しいわ」みたいに言ってくれてて、ある日の公演で手拍子じゃなくて拍手をしてた人がいたみたいで、「それは拍手!拍手と手拍子は違うからね!」ってちょっと毒づいてたのがヘドウィグ様が出ててよかった。

客席と一緒に歌った後は、曲がアップテンポになって、明るい曲調になるんだけれども、そこでバンドのギターのお二人とベースの方が前に出てきて、ギターとベースの見せ場に。その間、マルウィグ様は照明が当たっていないステージの後ろの方に移動して、デニムワンピの衣装から、金色のボディコンワンピにステージ上で生着替えするんだけども。要は、バンドさんたちで盛り上げてる最中はマルウィグ様のお着換えの為の繋ぎでもあるんだよね。

暗がりの中でイツハクに手伝ってもらいながら生着替えが行われてて、前の方ではバンドさんたちが盛り上げてくれてるから、着替えが目立たないような演出になってるんだけども、そりゃマルタ―さんたちは双眼鏡使ってでも暗がりの生着換え中のマルウィグ様に注目するよね?
何の隠しもない生着替えだから、一瞬マルウィグ様が上半身裸になるのが見えて、はわわ…!! ってなるんだけども^^;
イツハクのてきぱきとしたサポートが本当にいいパートナーだなぁって思った。デニムワンピを脱がせて、新しい衣装を着させて、背中のファスナーを上げてあげて。

公演によっては、生着替えにちょっと手こずって時間がかかっちゃうときもあって、着替えの時間によって、バンドさんが繋ぎの演奏を伸ばしてくれてたのもさすがだなぁって思った。
もちろんそこも想定済みで、時間がかかったらこの演奏をループしよう、って前もって決められてたのかもしれないけど、その日によって臨機応変に演奏を変えられるところがプロだなぁって思ったし、バンドメンバーさんの丸ちゃんへの愛も感じられて、演者さん皆さんの息がぴったりなところが、素敵なカンパニーだなぁ…って感じられて嬉しかったな。

その後、着替えが終わって金色のワンピにお色直ししたマルウィグ様と、バンドメンバーさんたちとの掛け合いが始まって、そこもその日によってアドリブで違った演奏で楽しかった!
そのときは一時、ヘドウィグじゃなくて、素の丸ちゃんになってたような気がしたな。

丸ちゃんが口で「ティラリラリラリラリラリラ♪」とか「ベンベベンベン!」とか「ドコドコドコドコ!」とか、それぞれの楽器の音をマネして歌って、メンバーさんが丸ちゃんが即興で歌ったのと同じメロディーでギターやベース、ドラムやキーボードでそれを再現して、丸ちゃんの歌と、みなさんの楽器でセッションしてるみたいな。
丸ちゃんの即興に瞬時に反応できるバンドメンバーさんたちが本当に素晴らしかった!
そのときの丸ちゃんはホント楽しそうで、見てて微笑ましかったなぁ。ちゃんとバンドメンバーさんたちにもそれぞれ見せ場を作ってくれるところにも、丸ちゃんのバンドさんたちへのリスペクトが感じられてよかった^^


M06.WICKED LITTLE TOWN
ベビーシッター先でトミーと出会って、恋に落ちて、ヘドウィグは、「初めて男の人が歌うための曲を作った」って言ってたけど、これはヘドウィグがトミーに向けて作ったラブソングに私には聴こえた。ヘドウィグにとっては、トミーが可愛くて愛しくて仕方なかったんだろうなぁ…。そしてトミーも、ヘドウィグのことを尊敬してて、魅力的で素敵な大人の女性に見えてたんだろうな。マルウィグ様の歌声が本当に優しくて、でも切なくて、二人は両想いのはずなのに、いつか終わりが来ることがわかっているからなのか、どこかもの悲しさがあって…。
最後にマルウィグ様が投げキッスして、タオルで顔を抑えるところ、あのシーンはヘドウィグがトミーに涙を見せないように押さえてるのかなぁ…って、私は思った。

まぁその後、そのデスマスクでマルウィグ様とお客さんたちとのイチャイチャタイムが始まるんだけどね(笑)

ある日の公演では、不機嫌な顔をしてるイツハクに向かって、「なによ!せっかくお客さんたちのイチャイチャしてるんだから気持ち下げさせないでよ!」って言ってくれてたもんな。丸ちゃん公認イチャイチャ♡

そして、ホントはそのデスマスクを客席に投げてあげたいところだけど、コロナ渦で投げられないからって、投げるフリをする所。
左端、中央、右端って順番に投げるフリをしてくれて、前列の方に座れたときは、そのノリに乗っかってわざと手を伸ばして受け取るフリをこちらもしたりして。

「あげられないってわかってるに乗っかってくれてありがとね♡」って言ってくれる日もあれば、

「あんたたち必死ね!本気で取ろうとしてるじゃないの!」って笑ってくれる日もあったりして。

この場面に限らず、マルウィグ様と客席とのやり取りが随所に散りばめられてて、ただ一方的に演じてる姿をこちらが見てるだけじゃなく、できる限り客席にも話を振ってくれたり、コミュニケーション取ってくれようとしてたのが、やっぱりさすがファンサ王子丸ちゃんって感じだった。

これは本当に、アイドル丸ちゃんだからできることであって、役者さん一本でやってる方にはできないことかもしれないね。

そういう所にも、丸ちゃんだからこそ演じられる、唯一無二のヘドウィグが存在してた。


M07.THE LONG GRIFT
トミーとついに結ばれる直前で、ヘドウィグがトミーの手を自分の股間に導いて、トミーが初めてアングリーインチの存在を知ることになって、トミーはその現実に怖気づいて、出ていっちゃうんだよね…。
この再現シーンのときは、丸ちゃんがヘドウィグとトミーの会話を、1人で2役演じてるんだけれども、その声色の使い分けもまた秀逸で、本当に物語に引き込まれるんだよね。

「でもやってるときは、キスしててね。」のセリフが好き。ヘドウィグの健気さと切なさが感じられて切ない…‪( > <。)

その話をしてて辛くて耐えられなくなったヘドウィグが泣き崩れてしまって、イツハクがそばに寄り添って背中に手を当てて慰めてるんだけど、泣いてる所を見られたくないのか、ヘドウィグはイツハクを振り払ってステージから逃げていっちゃって。
その時のイツハクが本当におろおろしてて、ヘドウィグを心配そうに見守ってて、あんな態度取ってても、ヘドウィグにどれだけ虐げられても、やっぱりヘドウィグのことが好きなんだなぁ…って感じた。

ヘドウィグが歌えなくなってステージから去っていった後、イツハクが代わりに歌ってくれて、それはヘドウィグの為に、ヘドウィグの気持ちを代弁して歌ってくれたんだと思ってたけども、イツハクがヘドウィグに感じてる想いと重なる部分もあるのかな…って思ったり。

イツハクはヘドウィグのことが好きだし、ヘドウィグもイツハクのことを受け入れたけども、結局はいつまでもトミーのことが忘れられなくて…。
その三角関係が見ててすごく切なくて、イツハクの歌ってる姿に毎回泣きそうになってたなぁ…。

イツハクが歌ってる途中で、ヘドウィグがスポットライトの当たらない、ステージの隅っこでそれを聴いてて、歌い終わった後に、辛い気持ちを堪えて気丈に振舞って、「あんたなかなかよかったわよ。2人でメインボーカルいけるかもね!」ってなんて言ってて、強がって振舞ってるヘドウィグが健気で切なくて悲しかった…。


M08.HEDWIG’S LAMENT から、M09.EXQUISITE CORPSE への流れは、まるでひとつの曲のように私には聴こえて、母親にも、夫にも、恋人にも裏切られて、傷つけられて、身も心もボロボロのヘドウィグのやりどころのない悲しみを歌うHEDWIG’S LAMENTが物語のラストへ向かっていく序章のような感じで、EXQUISITE CORPSEで怒りと悲しみの感情が爆発していくのが、激しい曲なのに、見ていて胸が苦しかった。

私の身体はつぎはぎだらけ。傷だらけ。最後にはウィッグも衣装も全部壊して脱ぎ捨てて、メイクも全て剥ぎ取って、倒れ込んでもがき苦しんでるヘドウィグ。

衣装を破って脱いで、床に叩きつけてるとき、ステージのスクリーンにはヘドウィグの今までの人生、色々な出来事を表したグラフィックがフラッシュバックするように映し出されてて、照明は高速で激しく点滅してて、ボロボロになったヘドウィグがステージの後方にふらつきながら歩いていって、身に着けてる武装してたものを全て捨てて、倒れ込むんんだけども、照明は暗がりで点滅してるから、丸ちゃんの姿はうっすらとしか見えてなくて、演奏も一番激しくめちゃくちゃにかき回すような感じで。その時間がすごく長く感じて、もがき苦しんでるヘドウィグを見ているのが本当に苦しくて。

ようやっと爆音の演奏が終わると、遠くの方から聴こえる歓声が段々と大きくなっていって、暗がりの中で立ち上がって、見覚えのあるストラップを肩にかけ、前を向いてステージの前に歩いてくる丸ちゃん。

その姿はウィッグを取って、ノーメイクで、裸に革パンツ一枚だけの、額に銀色の十字が描かれたトミーの姿。

ここで丸ちゃんが演じてるのが、ヘドウィグからトミーに変わって、トミーのライブ会場に場面が変わったってことなんだけども。


トミーが肩に担いでるのが…





なんと丸ちゃんのベース!!!!!



まさかベース弾きながら歌ってくれるなんて!!!!!


今までのヘドウィグの舞台や映画で、ベースを弾いた人なんてきっと1人もいないだろうし、もちろんバンドの中にもベースの方はいらっしゃるわけで、その中であえて、ベースを弾きながら歌いたい!って、きっとジョンに提案してくれたの丸ちゃんだよね!!パンフの中で、「考えてるアイデアがある」って言ってたのはこれのことだったの!?ってその瞬間思って。

こういったミュージカルを見るのが初めてな人にも、パンクロックや洋楽に馴染みのないマルタ―さんたちにも、わかりやすく、楽しんで喜んでもらえるように、きっとベースを弾かせてくださいって、お願いしたんじゃないのかなぁ…って思って。

丸ちゃんの愛がめちゃくちゃ伝わって、めちゃくちゃ泣いた…。・゚・(ノД`)・゚・。


M.10 WICKED LITTLE TOWN(REPRISE)
ある日の公演で、トミーが歌ってるとき、微笑みながら歌ってたんだよね。
それって、つぐないツアーって、事故への償い、世間への償い、ファンへの償いでもあるけども、一番はヘドウィグへの償いっていう意味だったのかなぁ…っていう風にも見えてきて。

歌をトミーが歌詞を変えて、ヘドウィグからトミーへの歌から、トミーからヘドウィグへのアンサーソングみたいになってて、あのときトミーはヘドウィグの為だけに歌いかけてたような気がした。

それである意味トミーは、ヘドウィグへの償いを果たしたつもりでいるのかもしれないけども、それであの微笑みだったのかもしれないけど、ヘドウィグはもちろん、嬉しい気持ちもあるかもしれないけど、それぐらいじゃヘドウィグの傷付いた心は救われないだろうなぁ…って思ったり…。

そこに、トミーとヘドウィグの気持ちのすれ違いがあるような気がして、すごく切なかった。

でもある意味、ヘドウィグは、たくさんの辛い出来事を経て、トミーが歌っている姿を見て、カタワレを見つけなくても、人間は皆ありのままの自分で完全なんだって、気付けたのかな…。

全ての出来事を自分の中で許すことができたのかな…。


M.11 MIDNIGHT RADIO
トミーかから再びヘドウィグに戻った丸ちゃん。ウィッグも煌びやかな衣装も、派手なメイクも全部落として、全ての鎧を脱ぎ捨てて、革パン一枚だけのありのままの姿に戻ったヘドウィグに、ウィッグをかぶせてあげようとするイツハクの手を制止して、イツハクにウィッグをかぶせてあげるヘドウィグ。
戸惑うイツハクの背中を押して、「もう私から離れて自由になっていいんだよ」って言ってくれてるようなヘドウィグ。

イツハクにウィッグをつけるということは、それはすなわち、ヘドウィグとイツハクの別れを意味してるってことなのかな…。お互い好きだけど、このままの関係じゃお互い幸せにはなれないって思ったのかな。イツハクのことが好きだからこそ、自由にしてあげたのかな。

最後はヘドウィグ、いやハンセルが、ありのままの姿で歌うMIDNIGHT RADIO

そして歌のラストにはウィッグを被って美しいドラァグクイーンの姿になったイツハク。
これが本当にイツハクがしたかった姿だったんだよね。
イツハクにとっては、これが本来の自分の姿ってことなんだよね、きっと。


洋楽に疎い私でも知っているくらいの名だたる偉大なアーティスト、ティナやヨーコに並んで、自分も、そのままで、ありのままでいいんだよ、って言っているような歌詞に毎回グッときて。

ここで言う“Me”はハンセル自身のことを歌っていると思うんだけども、あなたもそのままでいいんだよ、って言ってくれているような気がして、misfits and the losers(はぐれものに負け犬たち)もそのままでいいんだよ、って全ての人たちを包み込んでくれているような丸ちゃんの力強い歌声に毎回涙腺崩壊してた…。

いや、丸ちゃんじゃなくハンセルなんだけどさ。もうここまで来たら、ヘドウィグ=ハンセル=丸ちゃんだよね。私の中では。


私自身も、ヘドウィグまでとは言わなくても、小さい頃から周りと馴染めなくて孤独感を感じることがあったり、世間一般的に言う「普通」ではない生き方をしてきたし、大人になって、上辺では社会に馴染んでる風を装うことができるようになったけど、自分ははみ出し者で負け犬だと思うことも未だにたくさんある。
それでも外の社会に出れば虚勢張って生きていかなくちゃいけないと思ってて。

だからMIDNIGHT RADIOの歌詞と丸ちゃんの歌声が本当に胸に突き刺さった。

ヘドウィグは、自分のアイデンティティを守るために過激な見た目や言動になってるけども、根っこの部分は、純粋にオーブンの中に頭を突っ込んでワクワクしてロックを聴いてたハンセル少年のままで。だから、母親から聞いたカタワレの話を大人になってもずっと純粋に信じてるのかなって。

それは自分自身にも通じる所があって、歳を重ねて世間一般から見たらいい大人だけれども、人前では大人を演じてるけど、やっぱり子供の頃に感じた感情とか、傷付いた記憶とか、認めてもらえなかった事とか、未だにずっと残ってるし、100%その傷が癒えることは一生ないと思うし。

きっと、人間誰しも、少なからずそういう気持ちってあるのかなぁ…って思う。

だから、ヘドウィグはすごく特殊な人物として見られるかもしれないけど、性別とか生い立ちとか関係なく、人間なら誰でもヘドウィグと同じ気持ちを、心のどこかに持ってるんだと思う。

過激で特殊な物語に見えるけど、誰にも当てはまるテーマなんじゃないのかなぁって。


丸ちゃんがこの「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」という作品に出会えて、主演を務めさせてもらえたことが、本当に運命的な出会いだと思うし、丸ちゃんだからこそ、演じ切ることができたと思うし、回を重ねる毎に、丸ちゃんらしい、丸ちゃんにしかできないオリジナルのヘドウィグ=マルウィグになってた。


私には丸ちゃんのようなこんなに素晴らしい才能はないし、ただのお客さんの1人でしかないけれども、丸ちゃんのことを好きになれて、この舞台を生で観劇できて本当によかった。

丸ちゃんを好きになっていなかったら、こんな感動を味わうこともできなかったし、丸ちゃんの勇姿を見届けることもできなかった。

丸ちゃんのファンでいられることを、改めて誇らしいと思ったヘドウィグ2022でした。


丸ちゃん!本当にお疲れ様でした!!素晴らしい景色を見せてくれてありがとう。


まだまだ書き足りないような気もするけども、キリがないので一旦この辺にしておきたいと思います。

(ここまで書くのにも1週間かかってるからね^^;)

最後まで読んで下さり、ありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?