見出し画像

痛み|自己防衛|無視と麻痺

日常的に感じている痛みや違和感を、「いつもこうだから、しょうがない。」と、諦めていませんか?

数年前に足を捻ったから今も痛いんだ、とか、あの人はいつもこういう態度を取るから・・・本当は好きじゃないんだけど、しょうがないよね・・・だとか。

自分が感じる痛みを無視したり、鈍感になることは、時に、自分を守るために必要かもしれません。

新しい痛みを感じてしまったら、恐怖心や不安感が出てくるでしょう。違和感を感じているあの人の態度に、反対意見をしてしまったら、今と同じ関係性は保てないかもしれません。自分さえ我慢していれば波風立てずに今を維持できるし、、、なんて思いますよね。

急に大切な人を失くしてしまったとか、突然大きな生活の変化があったとか、急性の痛みには、ある程度、現実を受け止めるための時間が必要な時もあるものです。

でも、急性期を過ぎたら(準備ができたら)、痛みを完全に無視・麻痺することに慣れてしまう前に、少しづつ『今、ここ』に意識を向けていくことが必要かと思います。


まずは、痛みや違和感を感じても、いつもこうだから・・・しょうがないから・・・と思わずに、改めてその痛みや違和感を新鮮な気持ちで感じてみる

きっと、『いつものこと』と思い込まされていて、『今、感じている』痛みや違和感として認識できていない場合もあります。自分の感覚を無視したり麻痺するように訓練されたかのように、感じられないのです。


前から抱えている痛みがあるのなら、その「痛い」を感じ始めたきっかけは?いつ?あの時は痛かった!
そう考えるのは当然だと思いますが、「過去と今を比較しすぎていないか」とちょっと自分に問いかけてみてください。

もし、過去の「あの時」を意識しすぎていると、今を感じにくくなります。

今感じている痛みは、過去と全く同じ痛み?
今はどういう感じ?

と自分との対話をしてみると、案外、新しい気づきがあるかもしれません。

お天気が違う、食べた物が違う、すれ違う人が違う・・・そうやってわたし達の周りの条件が『いつも』同じではないように、わたし達の心も体も、わずかかもしれませんが変化があるものです。



インドにこんな昔話があります。

あるところに二人の修行僧がいました。
二人は目的地に向かって歩いていました。途中、男性の腰辺りまである深さの川がありました。二人は川を歩いて渡ろうとしたら、近くに小柄な女性が川を越えられずに困っていました。
修行僧の一人が、「向こう岸に行きたいのですか?わたしが抱えて向こうへお連れしましょう」と、女性を抱え、川の中を歩き、向こう岸へと辿り着きました。修行僧は、女性を地面に下ろし、女性と修行僧たちは違う方向へ歩き始めました。

それからしばらくして、女性を手助けしなかった方の修行僧が、「お前は修行の身でありながら、なんで女性に触ったりしたんだ?」と詰め寄ります。

手助けした修行僧は、笑い出します。
「お前はまだあの女性を抱えていたのか!俺はとっくに彼女を川岸に置いてきたよ!」

手助けをした修行僧は、目の前に困っている女性を助け、川の向こう側で女性を手放した。もう一人の修行僧は、川を渡り終え再び歩き始めても、まだ、女性のことを抱え、悶々と考えていたのです。

初めて聞いた時は、ほんと、『過去への執着』をうまく表現しているお話だな〜と感動しました。

目の前にいる困っている人を助け、完了させた人と、目の前の気になっていることを行動に移さず(助けた修行僧に確認をせず)、完了しなかった人との違いでしょうか。他人(女性に触った(笑)修行僧)と、(規則を守った、と思っている)自分とを比較している、という点も、気になるところです。

(やっぱり何かを完了させる、って大切ですね。そして他人と比較をする心も面倒なものですね。)


痛みや違和感を追いやろうとせず、ただ、今、に意識を向けてみる。
今、痛みがあるとしたら、それはそれ。
『今、痛い』と認識する。
過去よりも今を意識する。
過去がこうだったから、今も同じ。

と考えるのは、過去への執着。なのかもしれません。

体は定期的に変化しているそうです。

体の細胞は4ヵ月、皮膚ー4週間、血液ー4ヵ月、骨の細胞ー4年で全てが入れ替わる

現代ビジネス



そう考えると、「痛い」とか「なんか変だな」という気持ちだけが残っている可能性もあり得ませんか?

もし、痛みがずーっと続いているのなら、西洋医学や他の専門家の力を借りていますか?
生理痛も、痛みがあるのが当たり前ではないようですし、さまざまな不調を”更年期” のせいにするのもどうなのでしょうか。

何かを見直すためのサインかもしれませんよね。


いつもの痛みを感じたら、「これは〇〇で痛めたところだ」と認識するところから、「今は、こうやって違う動きをしてみたら、痛みは和らぐのか〜」など、『今』体がどう感じているかを新鮮な目で意識してみる。

サポートする道具や、サービス、専門家に頼ってもいいし、痛みを改めて向き合ってみる、そして解放できるようリラックスできる方法を見つけたりして、バランスを求めるのも良さそうです。

そうやって、上手な付き合い方を学んでいく。

リラックス、バランス、、、そのキーワードは、ヨガにたくさん出てきます。なので、ヨガクラスに参加してみるのもお勧めです。ヨガティーチャーはたくさんの気づきを経験しているはずだから、何かヒントになることを言ってくれるかもしれません。ヨガティーチャーになる人は、『自己探求』をやり続けている人が多いのです。


痛みは、最高の自己防衛能力と言われています。
体の痛みや病気もそうですが、体を休ませるべき時、何か大切なことを見逃している時だよ、と教えてくれていたりします。それを無視すると、体が壊れてしまうよ、というサイン。

心が痛い!
そういう時も、これ以上負荷がかかると心が折れてしまうよ、なんとかして〜という心からのSOSです。

痛みや違和感を無視したり感じなくするのではなく、そこから何かを受け取りながら、うまく付き合えたらいいなと思います。

そうやって自分を大切にし、本来の自分の輝きを満たして生活していけたらいいですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?