所感

 何となくぼんやりスマホをいじったり、動画を見たり……そうやって時間を浪費することが多々ある。
 見ようとしているアニメもあるし、積読だってたくさんあるし、今年から思い切って買ったピアノに興じるのもいいし、時間を潰す手段はたくさんある。

 なのに、どうしてできないのか。

 きっとこれって、何か好きなことに熱中するって事自体体力を消耗することで、何も考えず気張らないでできることに逃げるっていうある種の逃避みたいなものなのだろうって思っている。
 アニメ30分をちゃんと見ようっていうのにもそれなりの覚悟が必要だけど、テレビを流して適当に目を遣るのとでは敷居の高さが違う。

 最近、ずっと時間を浪費してしかいない。
 これじゃあいけないって。多分、高校生の時は暇あれば勉強みたいな、今じゃ考えられないけどある種の呪縛みたいなのに捉われていたから、何もせずぼんやりしている自分を許せないんだと思う。
 スマホを持ったのは大学生二年生の後半から。それからスマホを片手にぼんやり時間を過ごしてしまう心境はわかっている。

 別に手放せないってわけではない。けれども、なんだかんだ周りのみんなが利用しているからとかいう理由で手放したくないだけなのだろうけど、生来的にはいつかスマホは手放したいと思っている。

 やっぱり多機能商品は苦手だ。
 スマホをどれだけ使えてるかっていうと多分半分も使えている自信がない。

 まず、カメラ。写真を撮る習慣がないから素敵な瞬間に出会ってもスマホを取り出すっていうルーティンにならない。そもそもスマホは鞄の中にあってすぐ取り出せないところにあるのも原因の一つ。
 他に言うとすれば、メモもそう。頭で覚える癖のついてしまっている私はそもそも聞いたことをメモしようという気すらしない。だからTo Doリストなんてものは活用したことすらない。もちろん紙のメモ帳なども一応持ってはいるが使ったことはほとんどない。

 何となく生きづらいなぁって感じる。便利すぎるのもいいけど、ちょっと不便な方がいい。そんなくだらないことに思いを馳せてしまう。

 例えば誰かと集まって飲みに行こうってなった時に、数分前にLineで「ごめん、ちょっと遅れる」みたいな。数分ぐらい遅れることで特段ぐちぐち言うつもりもないし、誰かと行動する時点である程度時間に幅を持たせるのは当たり前のことですので……。

 Twitterで携帯を持っていなかった人たちはどうやって集まっていたのっていう質問を親に聞いてみたっていうTweetが面白かった。
 https://twitter.com/fukusanity/status/1387786641901645824
 このTweetを見て、なんかこういうのっていいなって理由もなくそんなことを思った。

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