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HIV PrEPについて

HIV感染予防の分野で革新的な進展をもたらしたPrEP(Pre-Exposure Prophylaxis)は、HIV陰性者がHIV感染を予防するために使用する抗HIV薬です。1990年代後半のHIV治療の進歩から生まれたこの予防法は、適切に使用すれば感染リスクを最大99%減少させる効果があります。本稿では、PrEPの概要、歴史、主要な臨床研究、効果、服用方法、副作用、そして日本における現状について詳細に解説します。


PrEPとは

PrEP(Pre-Exposure Prophylaxis)は、HIV陰性者がHIV感染を予防するために使用する抗HIV薬です。適切に使用すれば、HIV感染のリスクを最大で99%減少させる効果があるとされており、HIV予防の重要な選択肢として認識されています。

現在、PrEPのために米国食品医薬品局(FDA)が承認した2種類の毎日経口投与する薬があります。Truvada(エムトリシタビン/テノホビル ジソプロキシルフマル酸塩)とDescovy(エムトリシタビン/テノホビル アラフェナミド)です。さらに、2ヶ月ごとに投与する長時間作用型の注射可能なPrEP、Apretude(カボテグラビル)も承認されています。

PrEPは、HIVに感染していないが高いリスクにさらされている個人に推奨されます。例えば、過去6ヶ月間に一貫したコンドーム使用なしで肛門性交または膣性交をした方、HIV陽性者のパートナーがいる方、過去6ヶ月間に性感染症(STI)と診断された方、または注射針や他の注射器具を共有する方などです。また、曝露後予防(PEP)を処方され、高リスク行動を続けている方にも提案されます。

PrEPを開始するには、医療提供者のもとでHIV検査やその他必要な検査を受ける必要があります。PrEPを開始すると、健康をモニタリングし、HIV検査を行い、副作用を管理するために、2〜3ヶ月ごとに定期的なフォローアップ診察が必要です。一般的な副作用には吐き気、下痢、頭痛、胃痛があり、通常は時間とともに治まります。

PrEPの歴史

PrEPの歴史は、1990年代後半のHIV治療の進歩に端を発します。1996年に高活性抗レトロウイルス療法(HAART)が導入され、HIV陽性者の生存率が劇的に改善しました。これを契機に、抗レトロウイルス薬による予防の可能性が模索され始めました。

2000年代初頭には、動物実験でPrEPの有効性が示唆されました。特に2006年、García-Lermaらの研究で、テノホビルとエムトリシタビンの組み合わせがマカクザルのSIV感染を効果的に予防することが明らかになりました。

この成果を受けて、2007年から2010年にかけて複数の大規模臨床試験が実施されました。2010年に発表されたiPrEx試験では、男性間性交渉を行う男性(MSM)とトランスジェンダー女性を対象に、TDF-FTCがHIV感染リスクを44%減少させることが示されました。続く Partners PrEP研究、TDF2研究、バンコクテノホビル研究でも、異なる集団でのPrEPの有効性が確認されました。

これらの科学的根拠に基づき、2012年7月16日、FDAはTruvadaをPrEPとして承認しました。これを皮切りに、米国疾病管理予防センター(CDC)や世界保健機関(WHO)などの機関がPrEPに関するガイドラインを次々と発表し、PrEPはグローバルなHIV予防戦略の重要な一部となりました。

2019年以降は、新しい製剤の承認が相次ぎました。2019年10月にはDescovyが、2021年12月には長時間作用型の注射可能PrEPであるApretudeがFDAに承認されました。これにより、PrEPの選択肢が大幅に拡大しました。

主要な臨床研究

PrEPの効果を実証した主要な臨床研究は、HIV予防における画期的な発見をもたらしました。以下に、最も重要な研究とその成果を紹介します。

iPrEx試験(2010年)[1]:
対象者は約2,500人の男性同性愛者(MSM)とトランスジェンダー女性でした。この研究では、テノホビル ジソプロキシルフマル酸塩(TDF)とエムトリシタビン(FTC)の組み合わせを使用した毎日の経口PrEPが、HIV獲得のリスクを全体で44%減少させることを示しました。さらに、高い服薬遵守の参加者では90%まで効果があることが分かりました。

Partners PrEP研究(2012年)[2]:
ケニアとウガンダのHIV血清不一致カップル4,747組を対象に実施されました。結果は非常に有望で、TDF単独の毎日経口投与でHIVリスクが67%減少し、TDF/FTCの組み合わせでは75%減少しました。特筆すべきは、服薬遵守度が高いレベルの参加者では90%以上の効果を示したことです。

TDF2研究(2012年)[3]:
この試験はボツワナの1,219人の異性愛男女を対象に行われました。TDF/FTCの毎日使用により、HIV獲得のリスクが全体で約63%減少することが示されました。この研究は、PrEPが異性愛者にも効果的であることを証明した点で重要でした。

バンコクテノホビル研究(2013年)[4]:
タイの2,413人の注射薬使用者に焦点を当てたこの研究は、TDFの毎日経口投与によりHIV感染のリスクが49%減少することを示しました。これは、注射薬使用者を対象とした最初の大規模PrEP試験として重要な意義を持ちます。

HPTN 083試験(2021年)とHPTN 084試験(2022年)[5][6]: これらの研究は、長時間作用型注射剤であるカボテグラビルの有効性を評価しました。HPTN 083試験では、シスジェンダーの男性同性愛者とトランスジェンダー女性を対象に、経口PrEPと比較してHIVリスクが66%減少することが示されました。HPTN 084試験では、シスジェンダー女性を対象に、経口PrEPと比較してHIVリスクが89%減少することが明らかになりました。これらの結果は、2ヶ月ごとの注射によるPrEPが非常に効果的であることを示しています。

これらの研究は、異なる集団と感染経路にわたってPrEPがHIV予防に効果的であることを実証し、その後のPrEPの承認と普及の科学的根拠となりました。これらの結果に基づき、各国の保健機関はPrEPの使用ガイドラインを策定し、HIV予防戦略の重要な要素としてPrEPを位置づけるようになりました。

PrEPの効果

PrEPは、HIV感染予防において極めて高い効果を示しています。処方された通りに一貫して正しく服用した場合、性行為によるHIV感染のリスクを最大で99%減少させることができます。この顕著な効果は、CDCやHIV.govを含む複数の研究機関や保健機関によって確認されています。

注射薬使用者の場合、PrEPはHIV獲得のリスクを少なくとも74%減少させます。この効果は性的感染の予防効果と比べると低いものの、依然として重要な保護をもたらします。

PrEPの効果は服薬遵守に大きく依存します。不規則な服用や服用忘れは保護効果を大幅に低下させる可能性があるため、医療提供者の指示に従った正確な服用が極めて重要です。

MSM、異性愛者、トランスジェンダーの方々、注射薬使用者など、様々な集団でPrEPの効果が確認されています。集団によって効果の程度に差はありますが、全体的に高い予防効果が示されています。

PrEPは継続的に服用する限り、その高い予防効果を維持します。ただし、長期使用に伴う副作用のモニタリングが必要です。他のHIV予防法と比較しても、PrEPは非常に高い効果を示していますが、他の性感染症からは保護しないため、Doxy-PEPやコンドーム使用との併用が推奨されています。

公衆衛生の観点からも、PrEPの広範な使用はコミュニティ全体でのHIV感染率低下につながる可能性があります。特に高リスク集団でのPrEP使用拡大は、HIV流行の抑制に大きく貢献すると期待されています。

これらの効果により、PrEPはHIV予防の重要なツールとして認識されています。しかし、最大の効果を得るためには、医療提供者の指示に従った正しい使用と定期的なフォローアップが不可欠です。

PrEPの服用方法

PrEPの主な服用方法を説明いたします。

1. Daily PrEP(毎日服用)

Daily PrEPは最も一般的な服用方法です。TruvadaまたはDescovyを1日1回、1錠経口摂取します。食事の有無に関わらず服用可能ですが、同じ時間帯に服用することが推奨されます。この方法は、すべての性別や性的指向の方々に適しており、最大の効果を得るためには7日間連続で服用した後に性行為をすることが推奨されています。腎機能や骨密度への影響を考慮し、定期的な健康チェックが必要です。

2. On-demand PrEP(必要時服用)

On-demand PrEP(別名:2-1-1方式)は、一部の国でMSM(男性間性交渉を行う男性)に対してのみ承認されている方法です。Truvadaを使用し、以下のスケジュールで服用します:
- 性行為の24〜2時間前:2錠を同時に服用
- 最初の2錠服用から24時間後:1錠を服用
- 最初の2錠服用から48時間後:1錠を服用
性行為が継続する場合は、最後の性行為から48時間後まで1日1錠の服用を続けます。この方法は、性行為の頻度が低い、または予測可能な方に適していますが、現時点では膣性交には推奨されていません。

3. 注射(長時間作用型PrEP)

注射によるPrEPは、Apretude(カボテグラビル)を使用します。これは最も新しい選択肢で、以下のスケジュールで医療機関で筋肉内注射を受けます:
- 初回投与:600mgを1ヶ月間隔で2回
- 維持投与:3回目以降は2ヶ月ごとに400mg
この方法は、毎日の服薬が困難な方々や長期的な予防を希望する方に適しています。注射は通常臀部に行われ、定期的な受診が必要です。経口PrEPからの切り替え時には、最後の経口薬服用から4週間以内に最初の注射を受ける必要があります。

いずれの方法も、効果を最大限に引き出すためには医療提供者の指示に従い、定期的な健康チェックを受けることが重要です。また、他の性感染症予防のため、コンドーム使用との併用が推奨されています。

PrEPの副作用

PrEPの副作用は、一般に軽度で一時的なものが多く、多くの利用者にとって管理可能なものです。最も一般的な副作用には、吐き気、頭痛、下痢、胃痛、めまい、疲労感などがあります。これらの症状は通常、PrEP開始後数週間で自然に改善することが多いです。

しかし、長期的な使用に関連する潜在的な影響もあります。Truvadaは腎機能の軽度低下や骨密度の減少が報告されています。これらの影響を監視するため、定期的な腎機能検査や骨密度検査が推奨されます。Descovyはこれらの影響が比較的少ないとされていますが、血圧や脂質代謝に影響を与えるとされています。注射剤のApretude使用時には、注射部位の痛みや腫れが起こる場合があります。

非常にまれではありますが、乳酸アシドーシスや重度の肝腫大を伴う脂肪肝、アレルギー反応などの重大な副作用が報告されています。これらの症状が疑われる場合は、即座に医療提供者に相談する必要があります。

長期的な影響については、現時点で深刻な問題は報告されていませんが、継続的な研究が行われています。PrEPの利点であるHIV感染予防効果は非常に大きいため、多くの場合、これらの副作用のリスクを上回ると考えられています。

ただし、副作用の経験は個人によって異なります。持続する症状や懸念がある場合は、必ず医療提供者に相談することが重要です。また、定期的な健康チェックを受けることで、潜在的な問題を早期に発見し対処することができます。PrEPの使用を開始する際は、個々の健康状態や生活状況に応じて、医療提供者と綿密に相談しながら決定することが推奨されます。

その他の考慮事項

PrEPに関連する重要な点をいくつか挙げます:

1. 他の性感染症(STI)のリスク:

PrEPはHIV感染を予防しますが、他のSTIからは保護しません。そのため、コンドームの使用など、他の予防法との併用が強く推奨されます。定期的なSTI検査も重要です。また、淋菌、梅毒、クラミジアを予防するためのDoxy-PEPという方法とも併用できます。Doxy-PEPについてはこちらのnoteで詳しく解説しています。

2. 薬物相互作用:

PrEPは他の薬剤と相互作用を起こす可能性があります。Truvadaは腎臓の機能に影響を与えるため、腎臓を通じて排泄される薬剤や、腎機能に影響を与える薬剤との併用には注意が必要です。また、Descovyは特定の抗てんかん薬や抗結核薬の併用が禁止されています。現在服用中の全ての薬剤(処方薬、市販薬、サプリメントを含む)を医療提供者に伝えることが重要です。

3.B型肝炎ウイルス(HBV)との関連:

PrEPに使用される薬剤は、HIVだけでなくHBV感染にも効果があります。HBs抗原陽性者はHBV専門医の評価が必要で、PrEP中は定期的なHBV-DNA検査が推奨されます。慢性B型肝炎患者には毎日の服用が重要で、オンデマンドPrEPは禁忌です。PrEP中止時はHBV治療継続の必要性を判断し、肝炎再燃のリスクに注意が必要です。HIVとHBVの両リスクに対し、個別の状況に応じたアプローチが重要となります。

4. 妊娠と授乳:

妊娠中や授乳中のPrEP使用については、そのリスクとベネフィットを慎重に検討する必要があります。多くの場合、HIV感染予防の利益が潜在的なリスクを上回ると考えられていますが、個別の状況に応じて判断が必要です。妊娠中に使用できるPrEPはTruvadaのみで、DescovyはPrEPとして承認されていません。

5. 耐性ウイルスの発生:

PrEPを適切に使用しない場合(例:不規則な服用)や、知らずにHIVに感染した状態でPrEPを開始した場合、薬剤耐性ウイルスが発生するリスクがあります。これを防ぐため、PrEP開始前と使用中の定期的なHIV検査が重要です。

6. コスト面の考慮:

PrEPの費用は国や保険制度によって異なります。日本では保険適応が認められておらず、多くの利用者は海外製のジェネリック薬を個人輸入して使用しています。

7. スティグマと社会的影響:

一部の社会では、PrEP使用に対するスティグマが存在する可能性があります。これが心理的な負担になったり、使用を躊躇させる要因になったりすることがあります。必要に応じてカウンセリングや支援グループの利用を検討することも有効です。

8. 長期使用の影響:

PrEPの長期使用による影響については、まだ完全には解明されていません。継続的な研究が行われており、定期的な健康チェックが重要です。

9. アドヒアランス(服薬遵守)のサポート:

PrEPの効果を最大限に引き出すためには、処方された通りに正確に服用することが極めて重要です。医療提供者は、アドヒアランスを向上させるための戦略について相談に乗ることができます。

これらの考慮事項は、PrEPを使用する際の意思決定や継続的な管理に重要な役割を果たします。個々の状況や懸念事項について、医療提供者と率直に話し合うことが推奨されます。

日本におけるPrEPの現状

日本におけるPrEPの現状は、その高い効果が認識されているにもかかわらず、まだ正式な承認を得ていない段階にあります。2024年現在、PrEPは公式には認可されていませんが、特に首都圏を中心に、個人輸入や一部のクリニックを通じて利用する方が増加しています。多くの利用者は海外製のジェネリック薬を個人輸入しており、これが利用者数の急増につながっています。

国内での研究も進んでおり、国立国際医療研究センター病院のSH外来で行われたMSMを対象としたコホート研究では、PrEPの有効性が示されています[7]。

東京で実施されたこの研究は、日本のMSM集団におけるPrEPの有効性と実現可能性を初めて実証しました。2017年1月から2021年3月にかけて行われたこの単一施設、単一群の研究では、124名のMSMを対象にTruvadaを用いたデイリーPrEPの安全性と有効性を評価しました。
研究の主要な結果として、PrEP使用者群(235.5人年の追跡期間)では新規HIV感染が0件だったのに対し、非PrEP使用者群(318.9人年の追跡期間)では11件の新規HIV感染(3.4%/年)が観察されました。これは、PrEPがHIV感染予防に高い効果を持つことを示しています。
また、PrEP使用者の平均服薬遵守率は95%以上と非常に高く維持され、2年後の参加者維持率も約80%と比較的高いレベルを示しました。
一方で、PrEP開始後にはコンドーム使用率の減少(69.4%から54.6%へ)と性感染症(STI)発生率の増加が観察されました。STIの総発生率は、非PrEP使用者で24.8%/年、PrEP開始前で31.5%/年、PrEP開始後で56.9%/年と増加傾向を示しました。

これらの結果は、日本のMSM集団におけるPrEPの高い予防効果と実施可能性を示すと同時に、STI予防の強化の必要性も示唆しています。研究者らは、コンドーム使用の推進とセットでPrEPを実施することを強く推奨しています。

また、承認に向けた動きも見られ、2024年2月にはギリアド・サイエンシズが「ツルバダ配合錠」のPrEPとしての適応追加を公知申請しました。

しかし、課題も多く存在します。PrEPを提供する医療機関が限られていること、特に地方でのアクセスが困難であること、そして高額な費用負担が利用拡大の障壁となっています。現時点では予防目的でのPrEPの保険適用は予定されておらず、利用者の経済的負担が大きいのが現状です。

一方で、日本エイズ学会や厚生労働省は抗HIV薬の予防適応拡大を目指しており、承認に向けた動きが進んでいます。承認されれば、医療機関によるPrEPの積極的な提供が可能になり、HIV予防の普及が期待されます。

NGOや医療機関によるPrEPの啓発活動も行われており、認知度向上と正しい理解の促進が図られています。今後の政策決定や医療体制の整備が、日本におけるPrEPの利用可能性と効果的な実施に大きく影響すると考えられます。承認と普及に向けて進展しつつありますが、まだ多くの課題が残されており、これらの解決が日本におけるHIV予防戦略の重要な鍵となるでしょう。

まとめ

PrEPは、HIV感染予防において極めて効果的な手段として確立されています。複数の大規模臨床試験により、その高い予防効果が実証され、現在では経口薬と注射剤の選択肢があります。適切に使用すれば、性行為によるHIV感染リスクを約99%、注射薬使用による感染リスクを少なくとも74%減少させることができます。
しかし、PrEPにはいくつかの考慮事項があります。軽度の副作用、他の性感染症からの非保護、薬物相互作用の可能性、そして費用面の課題などがあります。また、適切な服薬遵守が効果を最大限に引き出すために不可欠です。
日本では、PrEPはまだ正式に承認されていませんが、個人輸入やクリニックを通じての利用が増加しています。国内での研究も進んでおり、MSM集団での有効性が示されています。しかし、医療機関の限定、高額な費用負担、地方でのアクセス困難など、課題も多く存在します。
今後、PrEPの承認と普及に向けた動きが進むことで、日本のHIV予防戦略における重要な選択肢となることが期待されます。同時に、他の予防法との併用や定期的な健康チェックの重要性も強調されています。PrEPは、包括的なHIV予防戦略の一部として、適切に使用されることで最大の効果を発揮すると考えられます。

PrEPに関する情報提供

PrEP@TOKYO

国立国際医療研究センター SH(Sexual Health)外来

PrEP in JAPAN

参考文献

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