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空から謡の降るまち金沢

金沢に行ってきました。
地震により様子を伺っていましたが、加賀はほぼ通常通りということを知り合いに聞き決行。


年明けに観に行く予定だった五十嵐派の蒔絵の展示期間に間に合い一安心です。

五十嵐派蒔絵のある石川県立美術館や国立工芸館も巡りましたが、きょうは金沢と宗達の繋がりを中心に書いていきたいと思います。



2024初の琵琶湖
近江八景の比良暮雪


京都でサンダーバードに乗り換え、景色を楽しみつつ読書。


光悦展に向けて再履修中


東博で光悦展があるのと、光悦は加賀と深い縁を持つことから今回の旅のお供は『本阿弥行状記』です。


光悦の父の光二は初代藩主前田利家の代から加賀藩に仕え、光悦も20代の頃より光二の名代として加賀へ出向いていました。

また、光悦の遺した書状の中からは今枝民部親子を始めとする加賀藩の武将たちとも交流がうかがえます。


金沢に到着しましたら、宗達のお墓のある宝円寺へご挨拶。

雪すごい


兼六園から歩いて10分ほど。


曹洞宗 護国山 寶圓寺


宝円寺は加賀藩初代藩主である前田利家が建立した前田家の菩提寺です。前田家歴代当主や室の位牌を見ることができます。

元々は兼六園の隅にあり、三代利常の時代に移築、五代綱紀によって山門の建て替えが行われたと伝わります。


仁王像は撮影可

宝暦と明治に火災にあった宝円寺ですが、運慶の弟子作と伝わる阿形は火災の折助け出されたそうです。

御本尊は十一面観音ですが、大仁王像と選べたので今回は大仁王像に。


ご住職が不在で書き置きをもらいました。



宗達墓碑

碑文によれば、大正2年に倒壊した状態で発見された、墓所でも一際目立つ大きな五輪塔。

こちらが宗達のお墓です。


寛永癸未年
泰嶺院宗眞劉達居士
八月十二日

とあります。

寛永癸未年は寛永20年(1643)で、宝円寺の過去帳の「たはらや」の項と一致するそうです。


『今枝民部書留帳』や『微妙公御夜話』などの加賀藩に関する記録には寛永18〜19年の項に「俵屋(俵や)」や宗達の後継者とされる俵屋「宗雪」の名前が登場しており、生前の宗達の活動であるか、あるいは宗達は引退しており、寛永19年に既に法橋になっている宗雪が当主として活動していたのかもしれません。


宗達のお墓といえば、もうひとつ有名なものが京都の上京区にある頂妙寺にもあります。

日蓮宗 頂妙寺


ここには烏丸光広賛、宗達の「牛図」が納められています。宗達はその平面を重視した作風から俵屋という唐織屋出身説があり、蓮池常有ではないかという議論もあります。

累代の供養塔のようです。


一番右に「宗達」の文字

しかし、この時代に「宗達」という名前は珍しくないようで、津田宗達や角倉素庵のいとこにも宗達がいます。他にも京都の日蓮宗のお寺に寛永年間の「宗達」さんのお墓があります。

俵屋宗達のお墓は一体どれが本物なのでしょうか。



国立工芸館や宝生流の鑑賞をして、次の日は朝早くから、伊年印草花図屏風や杉戸絵を持つお寺へ。

宗達の後継者としてまず名前が上がるのが俵屋宗雪です。伊年印作品は俵屋の登録商標として考えられることが多いのですが、伊年印はいくつかあり、北陸地方で見られるものは専ら宗達の後継者や工房作と考えられることが多いです。

宗雪の代表作「秋草図屏風」(レプリカ)
宗雪の伊年印


宗雪の後継者とされる喜多川相説は墨と岩絵具のたらしこみを使った淡彩画のような草花図が特徴の画家です。どちらも「そうせつ」なのでややこしいですね。


宝勝寺
承証寺

早朝なのと見学できるお寺ではないので、歩いての距離を体感。金沢城からあるいて30分ほどでした。他にも伊年印作品を所蔵するお寺はいずれもほとんどが金沢城下にあり、宗達の後継者の仕事が金沢に根付いていたことが感じられます。


石川県立美術館

9:34分着で完璧です。
「よみがえった文化財」を観覧。

五代藩主である綱紀の行った文化財の修復と記録や中世から現代に至るまでの修復された文化財の展示です。

綱紀は見た目を良くするためだけに修復を行ったのではなく、現状を損なう危険のあるものは無理して修復しないという、現代の修復保存の理念に適う考えの持ち主でした。石川県立美術館が国立博物館以外に修復工房を持つのにもこういった背景も影響しているのかもしれません。


光悦は三代利常と作陶を通して懇意だった記録が残っていますが、光悦の養孫である空中斎光甫も利常に中山法華経寺の修復費用を出してもらうなど密接な間柄がうかがえます。

このように金沢での本阿弥家は光甫の息子、光伝、光山……と加賀藩と関係を築きながら続いていくのですが、四代利常の時代に宗雪の記述が散見されるのに対し、相説が宗雪の跡を継いでいれば五代綱紀の時代に活動していたと考えられます。


兼六園

五十嵐派の蒔絵や宗達派作品、仁清の香炉、工芸を堪能して休憩。宗達杉戸絵があるという(ブログのみでの確認)三芳庵へ。

雨でした。


残念ながら宗達らしい杉戸絵は発見できませんでしたが、雨の降る庵でいただくお抹茶さいこうすぎました。



最後は世界で唯一の能楽美術館へ。

コレクションの能面や衣装をあらすじを読みながら観ました。能は最低限のセットで衣装や仕草から登場人物の背景や場面を想像する舞台芸術です。

衣装とあらすじをセットで観ることで「あ〜こんな意味が〜」となっておもしろいですね。


100円で衣装体験もできます。
予想はしていたけどとっても重い。

ガタイよすぎで着映えすると褒められていい気になってる図。


着せていただいたお姉様方とお話したのですが、加賀は地震の影響は殆どないから普段通り観光に来ていただいて大丈夫ですよ、と言われました。

一方、泊まったホテルでは地震で給湯器が壊れたおじさんと居合わせたりも。


年明け初の遠征はこんな感じ。
次は停滞している読書記録をあげたいところです。




主な参考文献
・宗雪・相説展 石川県立美術館(1975)
・喜多川相説筆「秋草図屏風」に関する一考察 岡田梓(2013)
・本阿弥家の人々 福永酔剣 (2009)
・本阿弥光悦の子孫と金沢 横山方子(2003)


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