見出し画像

漫画を描くために、水墨画を習っている

大宮氷川神社の奥にある蛇の池

2年ほど、水墨画を習っている。

漫画は全てデジタルで描いているので、アナログでざくざくっと描く方法が分かればもっと絵のハードルが低くなるんじゃないかと思ったからだ。
墨と筆に関しては、幼少期祖母の手習いで習字をやっていたので馴染みがある。なんでも私が小1のときに無くなった祖父が実は書家名があるほどの腕前で、祖母も追いかけるように書道を学んでいたとかなんとか。

毎日デジタルで描いているとどこまでも拡大表示して細かく描き込みできるし、ctrl+zでいくらでも描き直せてしまう。いい線を描くまで追求できるのはいいのだが、一生終わらないのである。
ある程度一発でいい線を描くか、ほどほどにいい線で妥協する練習が必要だと思ったのだ。

水墨画は、銀座のレンタルスペースを借りて、おじいちゃん先生が教えてくれる。
おじいちゃんだが、先生と生徒のマッチングサイト「ストアカ」で集客し、連絡手段としてLINEも使いこなす、なかなかのハイパーおじいちゃんである。
私が人生でがっつり絵のテクニックを習った経験は、このおじいちゃんと、まだデビュー前に通った絵画教室だ。あそこでは水彩画を習うはずが、まずは鉛筆デッサンをと促され、しばらく続けたものの引越しを機に退会した。いい経験だったのでそれはまた別の機会に書こうかと思う。

水墨画は、書道のようにスラスラ描いていくのがいいなと思った。これで絵になるなら、スケッチめっちゃ早くできるじゃん、という怠惰な想いから始めた。
学校での水彩画は嫌いだったが、教室で教わり始めて、生まれて初めて「筆の中でグラデーションを作る」という概念を知った。それまで最も濃淡を思い通りに出せるのは鉛筆デッサンだと思っていたけど、鉛筆ではどれだけ濃い鉛筆を使ってもなぜか私のトーンは薄かった。水墨画では墨の調整さえできればガツンと黒くできる。

デジタルで凝り固まっていた脳が少しずつストレッチされていく感覚がたまらず、ちょいちょい仕事でサボりながらも細々と続けている。
まだ習い始めて2年弱、上級者にはまったく及ばないが、そこそこ描けるものも増えてきた。
漫画を描いておきながら「実は絵を描くことは、話を作るほど好きではない」と思いつつ、こうして描いてみるとやっぱり脳汁が出るから「絵を描くのが好き」なんだろう。

漫画を描く潤滑剤として、もうしばらく水墨画を続けていこうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?