50歳を前に想う事、その6

私の名前は友達に恵まれるようにと親の願いが入っている名前である。

親に子供の頃、言われた事は友達はお金では買えないし、良い友達に会う事は多分に運が必要であり、もしかして親友と呼べる人に会えないかも知れないとも。

私の父はびっくりする位の働き者で今の私が考えても働きすぎだった、でも私は父の友達と言われても誰一人知らない、まして親友などいるのだろうか?と思う程である。

社交的ではなかったけれどコミュニケーションが取れない人ではなかった、でも友達には恵まれなかった、その思いが私の名前に繋がっているのだろう。

今の私を考えてみたら親友と呼べる人もいる、それだけでも幸せなのかもしれない。

私の人生は4人のキーマンがいてこの4人同級生にたぶんに私は影響を受けた、1人目は私の中で最初の尊敬の対象だ、勉強もできてスポーツも出来る、なんと甲子園にも出場してヒットも打った、私はブラウン管越しにみていた、絶望的な差が生まれていたが今も交友がある大切な親友である、2人目は幼馴染でほぼ産まれた時から過ごしているズブズブの親友、私の事は私より知っているかも知れない男、損得勘定では動かない男で義理人情の男である、超社交性の男だけどある日突然持続性が無くなる欠点があるけれど私にとっては常に側にいて欲しい男である、3人目は高校の部活で知り合った男、運動神経は人並みだけれど努力の男である、そのピークは30を越えて学校に行き直して資格を取って再就職した事である、奥さんの助けもあってだけれどチャレンジ精神は素晴らしい、ただ今は女性関係トラブルで疎遠…まあそのうち元に戻るだろ、そして最後の4人目は高校の同級生なだけで35年ビッチリ付き合う男、気が合うを越えているような気もするし東京、大阪と転勤しても縁が切れない男、多分私の人生の最後の日にもいてくれる予感がする男である。

他にも縁に恵まれ友達は呼べる人はいるけれどこの4人に会えた事は私の人生にとって幸せな事である、親の願いを叶えたとも言える。

もし私が先に死んだら誰が弔辞を読んでくれるのか?でも先に死んだら聞けないけどね。

でもこの4人が先に逝く時は俺が弔辞を読む、まだ頼まれてないけれど。

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