女神に痛みはないのだろうか

幸運の女神には前髪しかない

今、スマホで検索した言葉だ。なぜこの言葉を検索したか。ちょいと泣けてくることがあったのだ。

新しいイベント会場で好きなバンドのライブに行っていた。アルバムを引っ提げたライブツアーだけれど、懐かしい曲やライブの定番今日も盛り込まれたセットリスト。もちろんアルバムの曲も多数演奏されたわけで、初めて聴くワクワクが解き放たれ、「私のこの曲の楽しみ方で大丈夫かな」という不安はライブを楽しんでいたらいつの間にか消えていったわけだ。
ひとりであっても、みんなライブを楽しんでいるということが分かるからなのか。不思議な空間がライブ会場にはあるのだけど、いつもなぜか温かいなと思うのは「お前って言葉が嫌いなんだよね」というバンドの優しさが浸透しているからだろうか。

そんなライブはなんと席はアリーナ。しかも、ブロックとしては前ブロックに入る。その席運の良さに信じられず、もう始まる前から驚きだったのだ。
そして、そんな良い席で知ったのはステージで演奏する者だけでなく、カメラマンなどのスタッフもプロでありながら楽しんでいるということが直に知れた。ライブで盛り上がる曲では下手側のスタッフも飛び跳ねることは知っていたのだが、スチールのカメラマンはカメラを構えていないときはリズムを刻んだり口ずさんだりしていたのだ。
音楽を楽しむのだからとはいえ、表情もよく分かる、指の動きもわかるほどの近さで実際に演奏を聴けるなんて、贅沢な時間だったのだ。照明が眩しいほど彼らに当たっても間近に存在を認識できる上に、画面の外を少し垣間見れたようなところを覗き込めたことも嬉しかった。もう幸せ以外になかったのだ。


ちょいと泣けてくると書きながら、まくらが長くなりました。いやいや、本当に最高のライブだったから、これも本編として流さずに読んでいただき本当にありがとうございます。実は、この幸せには最大のクライマックスがあるのだ。

ライブはアンコールも行われ、終演となった。私は久しぶりの光景をここで目にしたのだ。ピック投げである。
コロナ禍にライブはあったとき、まだ緩和されていなかったから以前行われていたピック投げがなかったのである。感染予防なのだろう。それが、今新型コロナウイルスが5類に分類されたからか、ピック投げが再開されていたのだ。
とはいえ小さな物。長年投げ続けているとはいえ、客席に届かないこともあった。そして、ピックは小さい上にステージの照明も相まって非常に見にくい。なぜ見にくいことがわかるのか。目の前でピック投げが行われたからである。

とはいえ飛んでこないだろうと思っていた。少し投げられた位置よりずれた場所に私はいたからだ。しかし、音がした。パチン。カチン。とにかく軽いプラスチック片の音がした。
まさか……と思って見ても横の通路にはない。まさか足元になんて幸運なことは……と思い一歩通路にずれたときだった。

「あ」

誰かの声がした。と同時に私もピックを見つけた。なんと、私の座席の下にあるではないか、バンド名が書かれた白いピックが……!!!!

「えっ……!!!!」

とかすかに息のような声を出し、私は硬直。そして、手を伸ばそうと体を傾けたとき、スッと黒い頭が動いていた。そして、ピックは消えた。


すごい、凄い、スゴイと言葉が飛ぶ。黒い頭の彼も嬉しそうにしている。見せてくださいと声がかかればどうぞと遠慮なく見せる彼。私も言った。

「見せてもらってもいいですか?」

彼は何も疑わずに私にピックを見せる。私は他の人と同じように「凄いですね〜!」と言う。
本当は私の座席下にあったピックを。私が硬直しなければ手にあったかもしれないピックを。

彼も良きライブに興奮していたのだろう。そもそも目の前にピックがあったら冷静になれないだろう。紙吹雪や紙テープだってピックよりも何倍もあるけれど、取れる確率は会場全体で言えば低いし、それ以上に確率が低いピックである。
興奮した状況ゆえに早い者勝ちの世界かもしれないけれど、終演だからとはいえ指定席のライブなら席のテリトリーは一瞬でも考えるべきじゃないの?!確かにピックが落ちた場所は席の下で、中央ではなく少し彼の席に近づいていたけれど、私はうっかり拾ってしまってもそんな状況ならたぶん、1度場所を確認する。そうすれば連れの彼女だってあなたにさらに惚れ直すんじゃない?!ピックは部屋の奥底か、別れたりしたら超高額転売でもするんじゃないの?!と、邪険なことまで考えてしまった。

そして、思い出したのが幸運の女神の女神の前髪のこと。本当に私はそのチャンスを逃してしまった。しかし、本当に逃したのか。奪われてしまったのではないか?そんなことも考えて、スマホで検索した次第である。
後ろ髪がないから前髪を掴みなさいと言うわけだけど、髪を掴まれると結構痛いものだ。アクセサリーが髪に引っかかるだけでもわりと痛いのだ。そんな痛みを伴う前髪掴みをして、本当に女神は幸運を与えてくれるのだろうか。強情に掴んで抜けたらより痛みは増すし、「貴重な髪の毛なのに……!!」とブチギレやしないだろうか。
もちろん、この考えがピック投げのことがあったから考えてしまったゆえに捻くれているだけだ、そういうのは仕方ないでしょとおっしゃるのはわかっている。しかし、本当に泣き叫べるものなら全力で悔し泣きを従ったのだが、呆気にとられて会場をあとにするしかなかった。

もともとサイン会などでも緊張して「ありがとうございます」が精一杯の人間である。以前好きなラジオ番組の番組本が出てお渡し会に参加したときは、渡された状態で数秒硬直した人間である。目の前で大きな喜びと出会うと、もう思考も体も固まるのだ。
喜びに対して素直に反応できる人間ならば、どれだけよかったことだろうか。目の前のチャンスと幸運の女神の前髪を気にしながら、己の性格を後悔しているところである。

会場をあとにする際、実は身につけていたブレスレットも壊れたのだ。最高のライブだったのに、塩辛い思いをしていたのでかなりショックだったが、もしかしたら厄払い的なことなのかもしれないと願っている。
そして、ピック投げはこんな悲しいことがあっても続けてもらいたいと思っている。わりとよくある悲しい話ではあるらしいから、私含め悲しみに暮れる人に幸運を与えてほしいと願うのだ。なんなら、騒動も起こさずに会場を後にしたことをお天道様が見ていて、いつか好きなバンドと仕事をして落語のようにこのピック投げを話すことを叶えてくれないだろうかと思っている。

幸運の女神様、前髪は大丈夫ですか?痛みを和らげる軟膏の用意もなく、ちょっとぶつくさ文句言って気分悪くしていたらごめんなさい。いつかあなたにまた出会ったら、私は前髪を思いっきり引っ張ってしまうかもしれないけれど(ごめんなさい)、できるだけ大声出して振り向かせて、優しくハグをしようと思います。
そして隣の彼、絶対にピック大事にしろよ。彼女も大事にしろよ!あのライブを永遠に良かったと語り続けられるようにね!!

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