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ジャック・アマノの“アメリカNOW”インディー500ウィナーズ・リング

 インディー500の勝者には、その証として指輪が贈られる。いかにもアメリカンなビッグ・リングだ。

 佐藤琢磨が走るチームのオーナー、ボビー・レイホール(67歳)はインディカーのシリーズ・チャンピオンに3回輝き、1986年にインディー500での優勝も記録している。歴史にしっかりと名を刻んだドライヴァーだ。眼鏡をかけた知的なルックスで、クレヴァーなドライヴァーでもあったが、闘志溢れる走りを見せることでも知られ、アメリカでの人気は今でも高い。

佐藤琢磨のインディー500、2回目の優勝を喜ぶ共同チームオーナーのマイク・ラニガン(左)、同じくデイビッド・レターマン(右から2人目)、ボビー・レイホール Photo:INDYCAR (Chris Owens) タイトル写真

 ボビーは自分の優勝リングを箱から出したことがなかったという。そこには彼をインディーカーで成功させてくれたチーム・オーナー、ジム・トゥルーマンへの想いがあったのだろう。若くして癌に侵された彼は、ボビーのインディー500優勝をピットで見届け、ヴィクトリー・レーンで共に勝利を祝った11日後に天に召された。51歳という若さだった。

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現役時代のボビー・レイホール。写真はレイホール・ホーガン・レーシングからインディー500にエントリーした1992年のもの。ジム・トゥルーマン(1935-1986)はオハイオ州出身の実業家で、アメリカでは、全米のモーテル・チェーン「レッド・ルーフ・イン」の創業者として広く知られている。自らもレーシングドライヴァーであっトゥルーマンは、自らのチーム「トゥルースポーツ」を設立。ボビー・レイホールは1982年から7年間、このチームで現在のインディーカー・シリーズに参戦した。 Photo:INDYCAR 

 ところが、今年のインディー決勝の朝、ボビーはふと指輪のことを思いつき、箱からリングを取り出した。彼は指には嵌めず、スラックスのポケットにそれを放り込んでスピードウェイへと向かった。そして、彼のチームで走る琢磨が第104回インディー500で優勝を達成した。

 琢磨は予選3位、息子のグレアムも予選8位で、3台目も12番グリッドからのスタートと、チームが活躍する予感は十分にあった。決勝の朝、チームオーナーには何か感ずるものがあり、34年ぶりで優勝リングを持ち出した。

 ボビーはオーナーとして2004年にインディー500優勝をすでに一度果たしている。今回は2勝目で、亡きトゥルーマンを上回ることになった。指輪をスピードウェイに携えたことで、その意義ある勝利を彼はトゥルーマンと一緒に掴むことができた。

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昨年のインディーカー・シリーズ第15戦ゲートウェイでの劇的勝利の後、フィニッシュした佐藤琢磨を出迎えるボビー・レイホール Photo:INDYCAR (Joe Skibiski)

 ボビーを見ていると、琢磨に対する強い信頼感をいつも感じる。自分に似たドライヴァーと感じているのだろうか。勝利への拘り、探究心、献身などに自分の理想とするドライヴァーを見ているのだろうか。トゥルーマンとボビーの間にあった強い絆。それと同じものをボビーは琢磨に感じていると思う。

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Photo:INDYCAR (Chris Owens)

 序盤はトップ5につけ、自らのマシンやライヴァルたちの戦闘力を見極めながら周回を重ねた。過去10年で積み重ねた経験と知識を総動員し、最後の30周に向けた準備を着々と進めて行った。ピットストップでマシンに微調整を施し、マシンをファインチューニングして行く戦いが500マイルの長距離レースでは必要なのだ。
 琢磨は自らが思い描いた通りのレースを戦い抜き、勝利を掴んだ。5度のシリーズ・チャンピオンという強敵を相手に、アグレッシヴな走りが必要な時にはアグレッシヴに、それ以外はクールにクレヴァーに走ることで。

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インディー500決勝の翌日、優勝者の記念撮影でウイナーズ・リングを示す佐藤琢磨 Photo:INDYCAR (Joe Skibinski) 

 今年の琢磨の勝ちっぷりには、往年のボビーのレースが思い起こされた。まだシリーズチャンピオンになったことはない琢磨だが、インディアナポリス・モーター・スピードウェイでレースをさせたら、今の彼は間違いなく最強だ。それをライヴァルたちに、アメリカ中に、そして、世界中に知らしめたレースだった。来年が楽しみになった。

以上 

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