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限界まで行った人にしか見えない世界が有る 高野山女人堂 ココロの旅その1


女人禁制・・・
高野山は1872年(明治5年)まで女人禁制だった
そのため女性たちが
弘法大師御廟を遥拝するために設けられたのが

女人堂

高野山 女人堂

例によって
下調べもほとんどしなかった

あの日
朝起きたら
あまりの晴天に

高野山へ行こう!

とインスピレーションが降りてきたのです

突然ガバチョの高野山

ケーブルカーを降りて、
高野山の案内図を見ても
どこへどうやって行くのか?
全くわからない

群衆が動いているあとについていくことにした
高野山内を走る
南海りんかんバスに乗って
まずは金剛峯寺を目指すことにする

1つ目のバス停が女人堂
満員の車窓から
バス停の目の前に女人堂があった
誰も降りなかった
シ~ンとしている
その感じがなんとも心ひかれ
最後に寄ってみようと思った

そして、一日いろいろあって
奥の院からの帰路
高野山駅へバスで向かった

終点の一つ手前女人堂で降りる

誰も居ない

シ ~ ン

高野山 金剛峯寺 灯籠

かつて
女性は
この灯籠より中へは
入れなかったのです

未だになにか
見えない結界のような
不思議な気を感じました

かつて高野参詣道から高野山へは
7つの入口(高野七口)があって
そのすべてに女人堂があったらしい
(現在残っているのはここ「不動坂口女人堂」だけ)

堂内には大日如来、弁財天、神変大菩薩(役行者)が祀られていた
高野山の奥の院までお参りした帰りだったせいか
特にこれといった特別な感じはしませんでした

静けさの中
堂内で手を合わせていると

女人禁制

これ以上さきへ
高野山の中へは入れない

限界を知りながら
行動を諦めず
限界(行けるところ)まで行ってみる

行動に移した者にしか
味わえない世界


目の前に
それ以上前に進めないこと
それを知っていながら

この女人堂まで
たどりついた女性たちには

きっと
なにか希望のようなものが
見えり
聞こえたり
感じたりしたにちがいない
と思えてきたのです

もうすぐ64才
そろそろ色々な意味で
限界を感じているこの頃

ついつい
何事にも
怯んでしまいそうなっていること
自分のことは
自分が一番知っている

限界まで行ってみる勇気

今回の
ココロの旅

女人堂からの気づきでした


女人堂から高野山駅まで
バス停で一つ分
最後は歩こうと思い
女人堂のお坊さんに
『ここからケーブルカーの高野山駅まで歩いたらどのくらいかかりますか?』

お坊さん
『行けません!』


『えっ?』

お坊さん
『ココから高野山駅まで自動車専用道路です、人は歩けません!』

感謝



http://rinkan.co.jp/koyasan/advantage/


バス停マップ
https://www.wakayama-kanko.or.jp/features/world-heritage-koyasan/#kya-008



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