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レインドロップス

 加奈は赤い色のキャンディを口にほうばりバスに乗る。
キャンディを口の中でコロコロ転がすだけで街の景色一つ違う。
昨日恋を失った。結局一睡も出来なかった。でももうくよくよしない。
バスは重い車体をゆらりと傾けながら駅前に停車した。
加奈は山のように積まれた仕事を思い浮かべ日常を取り戻す。

 駅の改札を通り抜けて加奈はホームのいつもの位置に立った。
彼女の後ろに並んでいた仁志は今日予定される社内プレゼンテーションの筋書きを何度も何度も反復していた。
辛口の問答応酬が過ぎって苦い顔になりバッグのサイドポケットにひそませていたオレンジ色のキャンディを口に放り込む。

 仁志が駅前でタクシーを拾い、目的地を告げると運転手は返した。
「私この仕事に就く前はその辺りで働いてたんですよ」
そこで家内と知り合いましてねえ、と余計なことまで言いそうになった。
仁志を降ろした後、運転手はさっき飲み込んだセリフをもう一度思い浮かべてにんまりし黄色のキャンディを口に投げ入れた。

 タクシーのドアミラーに映り込む休憩中の会社員辰夫と茂の二人。
辰夫が「もう辛抱が尽きた。オレ辞めるわ」とこぼす。
茂が「もう少し粘れよ。嫁さん愛してるんだろ」と言いながら袋からグリーンのキャンディを一つつまんで辰夫に渡す。
辰夫は初めてデートした日の妻の横顔を思い出す。

 事務所に戻ろうとする辰夫と茂に良美が近づいてきて道を尋ねる。
「この先の交差点を越えたら駅の乗り口が見えるよ」
あ、これよかったら、と茂は良美にも袋に残ったキャンディをすすめる。
有難うございます。水色のキャンディを口に含んで良美の顔がほころぶ。
ああ、いよいよだ。今日は憧れの会社の採用試験。

 良美が改札を出るとぽつぽつと雨が降り出していた。
ビニール傘を求めて傍の店に飛び込む。良美の会計が済むと後ろに並んだ孝は持っていた雑誌に添えてレジ横のキャンディ缶を二つ衝動買いした。
一つは自分に。もう一つは今朝喧嘩した妻に仲直りのしるし。
店を出て早速ブルーのキャンディを味見する。

 孝は店を出るやちょうど雨宿りをしていた加奈の肩にぶつかる。
「ああ!失礼!濡れませんでしたか。あ、こんちは!」
声の主は加奈の行きつけのカフェのマスターだった。
これどうぞ。甘すぎないよ。キャンディ一つ加奈の手の平に滑らせる。
紫色のキャンディだった。

 昼下がりのいたずら雨は止んで澄んだ秋空に大きな七色の虹がかかった。
わあ、きれい!雨宿りしてよかった。。
(そうそう、私も今、恋の雨宿り中なんだよね)
きっとまたきれいな景色見えるよね。一歩足を踏み出して背伸びをした。
キャンディを口の中でコロコロ転がすだけで街の景色一つ違う。