見出し画像

二種の才能

自分と他人を比較するなと
言われてもついつい
比べてしまうのが、人間である。

これは、目に見える才能を
物差しとしていることから、
生じるわけである。

目に見える才能とは、
たとえば、学力であり、運動能力であり、
芸術的な才能のことである。

若い時分に、これらの才能に
秀でていたとしても、
秀でた人たちが集う場所にゆけば、
自らの才能の乏しさに嘆くこととなる。

これは、目に見える才能を
物差しとしているから、
生じることなのである。

本当に大事な才能は、
目に見えない才能のことである。

我慢や辛抱、粘りや継続力。
あるいは、ヒトや物事に対しての、
柔軟な見方や素直なとらえかた。

いわゆる寛容さや心の温かさ、
純粋さというモノは、
測定不能だが、感じることができる
才能のことである。

ついつい目に見える才能に、
心奪われ、魅了されるが、
本当に大事な才能は、
目に見えない才能である。

なぜならば、目に見えない才能が
下地となり、目に見える才能が
花開くからである。

だから、目に見える才能の
足りなさを嘆く前に、
目に見えない才能が発見できていない、
あるいは発揮できていない。
そこに着目し、嘆きたいならば、
嘆くべきである。

このように、
目に見えない才能の未発見を、
物差しとするならば、
安易に他人と比較することはしない。

なぜならば、
目に見えない才能は、
ご先祖や両親から受け継いだモノであり、
誰しも授かっているからであり、
それを発見できないか否かは、
自己責任の範疇だからである。

だから、授かりし目に見えない才能を
どのように発見するか、そしていかに
発揮できるのか。
ただこの一点に専心すればよいわけである。

では、なぜ自らの目に見えない才能を
発見できないのか、あるいは
発揮できないかといえば、
それは、簡単である。

両親から注がれた愛情に気づいて
いないからである。

ご先祖の命がけの、生きざまを
知らないからである。

両親から受けた無償の愛に
気づけば気づくほど、
他人と比較することが馬鹿らしくなる。

自分には、幸せになるための才能、
すべて備わっていることが、
理解できるからである。

自らにある目に見えない才能に
目覚めて生きることを
自分を生きるというわけである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?