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存在の耐えられない軽さ

「人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話のほうにそれてゆく時がくるであろう。しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務めをまっとうしなさい」
~テモテへの手紙二- 4章3-4節より~

世の中の価値観で、自分の価値観を
染めてはならないということである。

たとえ、先祖代々の価値観であっても、必要とあらば、断捨離も必要なのである

目の前の問題を解決するために、ただ粛々と、自らの不要な価値観を削り落としてゆけば良いのである。

気がつけば、本当に大事な価値観だけが残るのである。

そうやって、前よりも、ずっと楽に、自然体の自分で自由に生きてゆけば
良いのである。

しかし、このプロセスにおいて、
絶望的な孤独を味わわねばならない
のである。

「世界のどこにも、自分の居場所が
ない」

このような感覚を味わわねばならないのである。

そして、世界の片隅で自分だけの
居場所を作り、自らの価値観を
熟成させる。

そのような時間が必要となる
のである。

終末期において、教師の話が、
真理からそれてゆくのは、
自分の流れよりも、時代の流れを
大事にしているからである。

この世の価値観にどっぷりと
つかり、この世に居場所を築くこと
に専心してしまうからである。

それゆえ、終末の世においては、
「存在の耐えられない軽さ」と
いうべき言葉が溢れるのである。

この状況を耐え忍び、時に
傍観することが、必要となるわけで
ある。

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