仁義なきポストモダン

執筆 茂野介里

本論考は、ニューアカデミズムの代表的な人物と言われている浅田彰と中沢新一を中心とし、上野千鶴子、田中康夫、糸井重里と言った、当時活躍した、著述家から見た80年代に関する論考である。

まず始めにセゾン文化の論説から始めたいと思う。

それは矛盾を孕んだ文化戦略ではあった。大衆消費社会を批判する前衛文化を、大衆消費社会の担い手である流通産業が積極的にフィーチャーしてみせる。

これは、1999年のvoice3月号に搭載された浅田彰氏の「セゾン文化を継ぐ者は誰か」からの引用だ。浅田彰による、このセゾン文化に対する批評は、氏の思想の根本にあると思われる「ノリつつシラケつつ」(1)(2)にも、繋がるような、思想が感じられる。というのも、この、セゾン文化に対する浅田彰氏の批評は、彼のポストモダン哲学(3)に対する意識とも繋がっている様に思えるからである。『逃走論』に於ける「スキゾ/パラノ」と言った二文法図式もまた、なにがしかどちらかを肯定しているという訳ではなく、どちらも批判しているのであって、80年代の浅田彰に一貫している思想として「どちらも批判し、どちらの立場にもつかない。故に、懐疑が存在しないものとして、スキゾをメタ的に肯定する」という立場をとる。従って、浅田彰氏の立場は、語の正確な意味で「本質」を理解するものではなく知的な「ファッション」のなかでのコードを理解する事に重きを置いている。言わば「センスが良い」かどうかが問題になるのだ。しかし、浅田彰の場合は、スキゾキッズとして振舞っている際に、それを認知してもらう対象は、「スキゾ型」の立場ではなく、パラノ型であるという事だ。(4)これは、コピーライターの糸井重里にも通じる所である。「おいしい生活」「じぶん新発見」「くうねるあそぶ」といった作品は、西武百貨店を基本とした既存の企業に対する作品だ。
浅田彰と糸井重里はその点でスキゾ型の人間を相手にしていたのではなく、それを流通させるための「大企業」に動員された事になる(5)
その点で田中康夫の『なんとなく、クリスタル』は、消費資本社会の中で価値が相対化された世界で生きる若者を描写した作品であり、田中の立場としては、その様な場所でいま・ここのライフスタイルを価値とする若者を肯定した作家だと言える。上野千鶴子は、その様な「社会」に生きる若者を「近代的自我」が喪失した「アイデンティティ探し」をしていると分析する(6)
この様な『アイデンティティ探し」を、「常識的現実」と「科学的現実」の両方に疑問符をつけて、一面的な常識的な世界ではない、重層的な現実を意識する「苦行」を称揚したのが中沢新一であった(7)
これら人びとは非対称的に批判し合っているというより相関的な関係にあり、さらに視点を増やす事で、より明確なセゾン文化に関する指標が提示できるだろうという試みから生成される。

これから先項でもふれた、浅田彰は、田中康夫や糸井重里と比べた際に、田中康夫よりも、糸井重里に近いということに触れる。浅田彰は『逃走論』の中で次のように述べる。

広告なんだけど、すぐにわかるとおり、絶えざる差異化の場であるこの世界では、当然スキゾ型のひとのほうが多いんですね。ほかの世界ではちょっと社会的に認められないんじゃないか、というぐらいのひともいる。逆に言えば、広告の世界というのは、そういうひとのもってるある種のガキっぽさを縦横に発揮できる場なわけで、その点では、さっきも言ったように、心のたのしい世界だといってもいい(差異化のパラノイア24p)

ここでいう「広告」の概念は、浅田彰にも当てはまるように感じられる。浅田は『逃走論』の冒頭で「キッズ」について語るのだが、ここに広告ならびに浅田彰の社会的な需要があるように感じられる。それは、大衆消費社会の中で生きている「若者」の思想を、旧世代に翻訳する立場であり、これは大衆資本主義という「現象」を商品として流通させているという事になる。そして、これを(浅田の言葉で言えば)、オトナではなく、キッズとして消費者から見れば、大衆資本主義を批判する高度な思想を、大衆資本主義の「商品」にしてしまっているという、アクロバティックな状態になっている訳だ(8)
浅田彰の思想は『GS』の第一号「反ユートピア」にも具体的に内容で現れている。ここでの伊藤俊二、四方田犬彦による鼎談で出てくるのは、フーリエの「愛の新世界」スウィフトの「ガリバー旅行記」オーウェルの『1984』なのだが(9)、これらのユートピアー反ユートピア小説という線引きを批判する形で対話は進んでいく。しかし、二項対立を批判して、それをキッズに持っていくのではなく、キッズを見ている「側」の方の視点に置き換えられる所こそが重要なのだ。浅田はその点でアカデミズムの規格からは外れる事はない。商品と思想(10)の関係を解体するが、そこから思想の立場をぐらつかせはしない。言いかえれば、「商品と思想が等価になった」という事を既存の立場から説明しながら、既存の立場を批判するような身振りをする。これが「ノリつつシラケつつ」の概要である。その点で浅田は、大衆消費社会を批判する前衛文化を、大衆消費社会の商品にしてしまうというセゾン文化の戦略と合致する。そして、大衆消費社会に商品にされる事を甘んじて受け入れるが、それを「わかった上」でそれをやっているという体裁をとる。

この点を理解すると、浅田彰のマルクス主義の立場と大衆消費社会を肯定する身振りとの共通項がわかってくる。だが、この理解は側面的な理解に過ぎずっとまだ不十分であり、これを完全な理解にするためには、浅田彰が登場する以前の日本のマルクス主義運動の歴史。特に吉本隆明を中心とした文学とマルクス主義ないし、批評とマルクス主義の文脈を考えねばならない。次項はそれについて言及する。

日本のマルクス主義ないし、批評の歴史に於いて吉本隆明の特異的な位置は以下の二つである。
1 『転向論』に於いて、それまで獄中非転向を貫いた戦後共産党に対する批判。それによる真理を把握した共産党による大衆に対する啓蒙という図式を批判
2 大衆と知識人との関係を逆転し、日本の土着の神話によって紡がれた「大衆の源像」を把握する事で、思想闘争を行う「自立思想」の展開

吉本隆明の立場は、言わば西洋の擬似的な下部構造であった日本の革命闘争を、独立したものとして生成し、その中で、如何に大衆の意思(11)を把握するかに主眼が置かれている。従って、吉本の「自立」の思想は、吉本自体の思想の「自立」でもあり、日本の闘争の「自立」でもあった。この吉本の思想は、村上一郎や橋川文三による日本浪漫派や京都学派の読み返しにつながり、後続の平岡正明による批判的な継承により、理論からの自立というテーゼにつながっていった。それに対するアンチテーゼとして、出てきたのが蓮実重彦による『表層批評宣言』であり、柄谷行人による『日本近代文学の起源』であった。
この二つは両者ともに違う形で「自明であると思われている風景」を批判する『風景批判」の立場に立った。これはテクストの中にある「風景」であり、吉本が言っている「大衆の現像」がこれに当たる。つまり、なにがしか意味を読解する営みという『読書」の前提を否定する事で、なにがしか意味のある事をしているであろうと(潜在的)に把握しようとする吉本に対する柄谷=蓮實という、テクストをテクストとして読解しようとする立場。または、当にそのような形で理論を構築する事は不可能になっているという立場からの批判であった。
文学とこれら柄谷=蓮実と吉本の比較に関係する話であれば、「第一次」戦後派「第二次」戦後派「第三の新人」ならびに石原・大江といった作家たちは、もっぱら「戦争」『社会」「若者」といった小説が前提とする世相を前提にした「社会の空白」を埋め合わせるために小説が批評されるのに対して、それ以降に出てきた「内向の世代」を柄谷=蓮実は、それら前提条件がなくなったものとして、『戦後派」批判として読解していった訳である。事実、小田切秀雄は、そのような柄谷行人ならびに秋山駿に対して、『社会性」が存在しない批評であるとして、批判を投げかけた(12)
これら、日本の批評史の妥当性を本項は触れる事はしない。だが少なくとも浅田彰という批評家の立ち位置の前提にあるのは、このような批評の歴史であり、マルクス主義の歴史ではある。
つまり浅田彰は、特に柄谷行人が投げかけた「大衆の不可能性」を肯定的に受けとめつつ、それが、柄谷の場合であれば文学の中で縮小していくが、これを「商品」として流通させ、「広告」したという事になる。事実、柄谷行人は、ニューアカデミズムという動きに対して、ある種、冷ややかな視点で見ている(13)
「もうなにもない」という事を、理論が日進月歩進んでいくという前提に立つ『パラノ」の立場を、同じパラノの立場からキッズを紹介する立場として「パラノ」を批判し、それをラジカルな思想的な意義があるものとしてではなく『商品」として流通させたのだ。
したがって浅田彰は「なにも言っていない」に等しい。だが『なにも言っていない』が故に商品にとなりうるし、なにも言っていないがゆえに、それを知ろうとするスキゾとパラノがいる訳だ。
そして、このようななにも言っていないに等しい浅田彰の身振りは、「正しく」日本の批評の歴史に則っていると言えるだろう。近代批評の発明者と言われる小林秀雄は、あらゆる事象を分析する理論を「意匠」として批判し、「美しい花」だけがあるという言葉のみを残す。意味はなく美しい物があるだけということだ。浅田彰のばあい、ここに表層的に浅田彰特有の図式化された「スキゾーパラノ」と言った図式がつくだけで、最終的になにも言っていないのはおなじではある。しかし、その点で言えば浅田彰は、それを「商品」とすることで、そこに社会的な意味を見出している(14)それ自体の理論としてはトートロジーでしかないものが、それを商品とする事で「ファッション」と結びつく事が出来る。なぜファッションなのか。それはあらゆるものを批判した地点という身振りに立つことができるからである。小林秀雄にせよ吉本隆明にせよ、柄谷行人にせよ、これら日本の批評家は、なにがしか物事の「意匠」ではない、意匠をすべて批判した地点を目指してきた訳だ。それは先に出したように吉本隆明ならば、国家や理論といった「共同幻想」ではなく、大衆の世界で紡がれる、名もなき言葉としての「大衆の現像」柄谷行人であれば、文芸批評が自明であると思っている「前提」としての風景を批判し、「心理超えたものの影」を見ようとする。ただ、浅田彰のばあい、これが具体的な「広告」の売り上げ。つまりセゾン文化という大衆消費社会のモデルとつながる事で「意匠」ではないものを見出したという点で、非常にパラドキシカルではある。批評的である。すべての意匠を排斥した地点は、浅田的にはファッションにスマートな形で戯れる事が出来る者で、そのようなものこそが「批評家」となるわけだ。しかし、この地点は、大衆消費社会を前提にしたものではあるので、それを批判しうる可能性は失い、それこそ批評の進歩は止まる事になる。かくして浅田自身も自称するように、「歴史が終わった」あとの人間。問いが存在しない人間としての「末人」になるわけである。
つまり、浅田彰からしてみればなにも問題はない事になる。すべてが予定調和であり、それを打開しようとする意志もまたない。したがって、アイデンティティーは末人としてのアイデンティティーとしてでしか浅田彰には存在しないので、この浅田のような消費のみに全てを還元する思想に異を唱え〈私〉を代入したのが上野千鶴子である。
上野は先に説明した「歴史の終わり」をポストモダンだと据えて、自分が何者かであり、他者との差異を意識する事で、アイデンティティーを確保していた時点を「モダン」と定義する。そして、「モダン」が存在しなくなり「私」が「私」である地点を喪失した「ポストモダン」は、そこから「私」のありかを消費社会の場所へと求めるという筋書きである。しかし、率直に言えば、前項で触れた浅田彰の消費社会に関する視点と比べ、上野千鶴子の消費社会論は、それ以前の社会との比較の際に「差異」を導入するなどして、あまり「モダン」と大差ないのではないのか。という疑問の余地が出てこざるを得ないというもので、その点で浅田彰より「迂闊」であり、論の運びが粗雑ではあると思う。だが、問題は上野千鶴子の論説自体が粗悪かどうかというより、この視点が80年代の社会と、どう関係しているのかというのが、本論の議題ではある。従って、上野千鶴子の論説自体に不備があっても、それがなにがしか消費社会の世界と関係を持っているのであれば、もう一つの視点として導入する事にはなる。
そして、浅田彰と同じく吉本隆明との関係の中で上野千鶴子の視点も整理できるのではないか。つまり、吉本隆明が「共同幻想論」の中で提示した「対幻想」の視点である。
共同幻想=国家でも、自己幻想=文学、個人の思いでもない、個人が他者と繋がろうとする欲望「対幻想」を、その他者と繋がろうとするがゆえに差異として、〈私〉を喪失せざるを得ないという上野千鶴子の消費社会論の立場をここに持ってきて、批判を展開する。そして、その他者=異性と繋がるというドグマではなく「繋がる」という<対>自体に主点を置く事に、上野氏の立場がある(15)従って、吉本隆明の立場が、差異としての異性愛に主眼を置かれているのに対して、上野千鶴子は差異化ではない「愛」のみを肯定する立場になるわけだ。 例えばイリイチに対する批判もそれが出ている。イリイチは父=近代と捉えて、母の大地として、非攻撃的な母を擁護する布陣をとるのだが、上野千鶴子はそのような非対称性を批判し、図式化自体が「男」が用意した前提であるとして退ける。そして、女性の男性化としての「社会進出」を訴えるといった筋書きである。この点で浅田と比べて、上野千鶴子は「ポストモダン」の脱近代を再近代と捉えて、女の復権を訴える。つまり上野千鶴子の立場は多少ドクマスティックであるが、男の差異化としての「モダン」が終わることで「ポストモダン」の女による〈私〉探しゲーム=女の近代化を展開する。 中沢新一が特異なのは、そこに、科学的現実でもなく、常識的現実でもない重層的な現実を持ってくる。所である。中沢新一の思想を歴史的な地点に置こうとすれば、浅田彰とも上野千鶴子とも違う部分に置く事になる。それは二者と同じく吉本隆明からではあるものの、中沢新一は「幻想」の部分に注目し「自然史過程」という吉本隆明の「唯物史観」の読み替えの部分に反応する。つまり中沢新一は吉本隆明から何を受け取ったかと言えば「近代」からの自立であり、差異化からの自立。自己同一性の担保を差異化から差異化を木にする事がない宗教性に担保を置く事になる。これは日本の運動史で言えば、60年安保の終了以降、権力と非権力の二項対立ではない、重層的な運動に転化していった。この重層的な運動に影響を受けていると言ってもいいのではなかろうか。 重層的運動とは、それまでの権力と非権力という二項対立ではなく、たとえば女性解放や黒人差別の撤廃といったモチーフになるという事である。このような形でレインボーカラーから移った動きに、上野千鶴子は女性的な側面を再近代として理解したとすれば、中沢新一はそれを、なにがしか視点が確定した地点で持っていくのではなく、そこから離脱した宗教的な地点を中沢は〈重層的現実〉と呼んでいる。

ここで、浅田彰・中沢新一・上野千鶴子と言ったニューアカに於けるアカデミシャンとこれまで、接続していた吉本隆明や柄谷行人と言った、それ以前の「批評家」たちとの、差異を明確してみよう。
それは端的に言って、前者三人が、そうは言ってもアカデミズムの中に居るのに対して、後者の「それ以前の批評家」達が、アカデミズムの外側にいるという点である(16)
前項で述べたとおり、ニュアカデミズムと呼ばれる、浅田彰を中心とした80年代以降の文化人は、「ノリつつシラケつつ」を思想起点にしている。従って、糸井重里のように、デザインはポップだが、内実、それらは金銭を生むという逆説的なサイクルを生む。これは田中康夫にしても同じで、高尚ー低俗の二項対立を脱臼する事で、一人一人が価値のある生活と言ったモチーフを提案する。そしてアカデミズムに対して、在野的な目振りをしながらも、アカデミシャンとしての自己を否定せず、寧ろ「アカデミズム」という権力性をフルに使う事で、非アカデミズムに届くものを生産する。簡単に言ってしまえば、「保証付きの安いもの」が提出できるという事だ(17)
吉本隆明の立場が、ナマの現実を把握する事で、その思想が地に足着いた印象を与えるという形であるならば、「ナマ」だけをとって、軸足は「在野」ではなく「アカデミズム」にする。これによって、吉本につきまとっていた「情念」や「悲劇」といったモチーフではなくて、「ポップ」なものに思想をしたといえる。
ここで気をつけねばならないのは、この場合はセゾン的な戦略によって、情念が消費化されてしまったという事ではなく、そもそもその程度のものでしかなかったという所にある。
吉本隆明の思想的な立場。即ち「情念」の思想は、エリート的な都市市民に対するアンチとして存在していた(18)、つまりエリートありきでその思想は形づくられており、なおかつそれ以上でもそれ以下でもない所に、その思想の本質がある。国家やその他もろもろの生活圏に属さないものを擬制としてフィクションと判断し、何者にも立脚しない自立した思想と対置する。それが吉本隆明の思想だったのだが、そのような思想は、生活圏自体が解体される消費社会に於いては、批判性を失い。自明性に取り込まれるという自体に陥る。これは「近代批評」を確立した小林秀雄にも言える議論で、マルクス主義や芸術至上主義といった対立物がある際はラジカルに見えるものの、それが解体された状態になると、一挙に「生易しい」ものになってしまう。小林秀雄→吉本隆明までの「反逆の思想」を消費物として転換し、ポップにしたのがニューアカな訳で、その点で言えば、仮にも現実的な効力を持っていたとされる「批評」ではなく、そもそも「批評」には現実に対する効力はないという所から始まっている。
要するに、それ以前の批評家たちと、ニューアカ以降の識者達との差異は、それが現実の反逆に関わるか否かにつながるわけだ。
これらの流通は、糸井重里や田中康夫の立場にも繋がりうる。田中康夫は、衒学的な好事家趣味と下等な大衆消費という二項対立を批判した作家として登場する。ニューアカもまた、思想につきまとっていった「情念」に対する批判であり、そのような差異を設けること自体がバカバカしいことであるという所に田中は視点をおく。なおかつ江藤淳が指摘したように、田中康夫の『なんとなく、クリスタル』は歴史性から剥ぎ取られた記号の断片にしかなりえていない都市空間としての東京に対する小説でもある(19)
ただこれらの思想的な系譜もまた、糸井重里を見れば資本主義の中での世界の話に過ぎないことがよくわかる話ではある。消費者として、そのようなポップなものを求めている人々に、より新しく広告性のあるキャッチコピーを提供していたのが糸井重里である。実際、現実的な効力性はないものであるにも関わらず、現実的な効力がないゆえに新しいものとして流通していたという点がニューアカ並びにセゾン文化の両義性が存在する。中沢新一はこの中に於いて、比較的、既存の資本主義体制並びに論壇状況の中から外部にいるのではないかと感じられるが、そうでもない。中沢の立場は70年に出版された津村喬の『我らの内なる差別』を通底する部分がある。これは既存の革命運動が、国家対人間という二項対立を持ち込む中で、人間の側にも差別とマイノリティーの問題があると綴ったテクストである(20)
そして、重層的に構成された「日本」という差別主体にたいする批判を展開する。これら津村並びに中沢の思想的な一致点とともに、津村がそれ以降、気功やニューエイジの方向へと傾斜していった事も書いておきたい。そして、中沢の自然的な世界観は、言うまでもなくロハス的な世界観と結合し、難なく消費社会に懐柔される。
80年代消費社会と接合していく中で、思想は、暴力性を剥ぎ取られ、現実的な効力を失い趣味的な議論におさまってしまったというのが見立てである。そして逆説的に言えば、これらの暴力性を剥ぎ取っていった過程を知らない人々は、逆説的に文脈を知らぬものとして、消費社会のサロンから排除されることになるのだ。もっと明確に言えば「東京」という文脈をわからない地方の人々という事になる。逆に情念を持ってくる者は「野暮」になり、文脈をわからない人になってしまう。差別主体に対する否定が、転倒して、差別主体になってしまっているということになる。
『責任を持つ/持たないの差異』
ニューアカデミズムとそれ以前の在野の知性が決定的に違う点は、責任を持つ/持たないの差異にあるということを、この項目では指摘しておきたい。先にも指摘したように、吉本隆明や小林秀雄と、浅田彰、中沢新一の差異は、前者はまったぎ在野にいるのに対して後者はアカデミシャンとして振舞っているという点。それゆえにアカデミズムと非アカデミズムとの権力性を批判する事はせず、むしろ「敢えて」非アカデミズム的な立ち振る舞いをする事を「センス」として捉える事で、アカデミズムの権力性をより強固なものにする。もう一つは東京ローカリティ。すなわち全共闘以前の思想史を踏まえていないものには、わからない立ち振る舞いをする事によって、東京ローカリティをより強固なものに仕上げていく。この2つを先の論考では指摘したが、もう一つ、これらを具現化する上で重要な点をあげるとすれば、それは「責任/無責任」の対比である。小林秀雄にせよ、吉本隆明にせよ、彼らがやって来た事は、とどのつまり大衆から離れた場所で神学談義を行っている知識人に対して、自分たち在野の知性(21)は、責任を持つことによって、神学的な知識人を批判するという立場であった(22)
それが浅田彰や中沢新一と言ったニューアカデミズムになってくるとなくなる。先にも言ったように、学会に所属しているという事と、それによる「ノリつつシラけつつ」という二重性。これにより、「思想」が商品化されるという事が「無責任」になるというメルマークが生まれる。
むろんこれは逆説的な事である。何故なら商品というのは基本的に売ったものの責任が問われる事になるからだ。思想の商品化の場合はその逆で責任が解体される。思想というものがそれまでの間、市場原理とは違った価値によって流通するという無原則ではあるが、内的には人々が思っていた「前提」を壊すというのが思想の商品化であり、かくして、このような事態になると、それ以前までの「責任のとりかた」という意味ではだいぶ違う様相になる。

『誰に対する責任/無責任なのか』
責任/無責任と言った際にこの場合の「責任をとる・とらない』という層に関しては主体が非常に明確で、浅田彰や中沢新一や吉本隆明といった、当の批評家となる訳だが、では責任をとらせる立場は誰なのか。非常に掴み難い部分がある。これに関して言えば、責任をとる主体である批評家とは違い、批評家に責任をとらせるのは「時代」である。小林秀雄や吉本隆明の批評文は、明確に時代と共にある(23)。このときに使われている「時代」とは、時代区分であると同時に「時代区分」についてくるコンテキストの総体という事になる。

この様な浅田彰並びに中沢新一・上野千鶴子の思想を考える上で山口昌男も考える必要がある背景ではある。なぜならば、浅田にせよ中沢新一にせよ、山口と関わっており、上野千鶴子もまた、多大な影響を受けている。山口の思想的な影響力を具体的に列挙していけば、まずはじめに出てくるのが「文化英雄(トリックスター)」の概念であろう(24)
すなわち、文化英雄とは、コミュニティに於ける中心と周縁に於いて、中心的な地点が弱体化した際に、それを盛り上げるものとして登場する周縁人の事である。(25)
浅田彰や中沢新一は、ある意味で正しく「トリックスター」であったのではないかと考える。中心として存在している立場の人間とは違い、浮遊的・遊戯的な立場。言いかえれば無責任の立場に立つ事によって、中心にいる事では難しい「消費社会」へのコミットメントを可能にした。そして、中心と周縁の関係は常に両義的な関係で、周縁という他者がいることによって、自己としての中心が確立され、異人としての周縁人もまた、中心が存在しなければ、異人たり得る事はない。浅田彰や中沢新一。これに関しては、上野千鶴子と糸井重里もそこに入るのだろう。つまり、周縁人的な立場。既存の立場を解体する様な身振りをしながらも、ある種の既存のメディアないしはアカデミズムを前提とした言論、表現活動は、周縁であると同時に、中心であるという2枚仕立ての構成になっており、それによって、前者「周縁人」的な振る舞いは、ある意味でネタとして消費するものになる。ニューアカのそれ以前のパラダイムとの違いは、パラダイムのネタ性にある。所詮はネタである。所詮は商品に過ぎない。と、分かった上で「ノリつつシラケつつ」商品として思想を楽しむ。山口の中心と周縁理論の新しさは、この両義性であり、これによって、「思想の遊び」化。ないしは商品化も説明する事が可能だろう。この点を逆説的に考えれば、所詮は思想などというものは自意識ゲームに過ぎないという事になる。そして(だからこそ)ノリつつシラケつつの商品化なのである。所詮は他人との差異を醸し出すためのファッションゲームに過ぎない。だからこそ思想はそれを認めて、ネタでやろうという立場。これがセゾン文化以降の人文学に対する認識であるように思われる(26)
では、セゾングループの外側にいたないしは、それに対して反抗的であった著述家はどうか
例えば87年に『下下戦記』を出した吉田司。吉田は、ニューアカ的な理論先行による現状分析はせず、消費社会論からこぼれ落ちてしまっている水俣病患者のルポを書く事によって、どこまでいっても都市部中心ー地方周縁というアイロニカルな状態を解消しようとした。これに続く立場としては大月隆寛によって出された、民俗学的なフィールドワークが、もはや「ロマン主義」でしかないと告発した書『民俗学という不幸』
並びに呉智英による封建主義論などがある。
これらの特徴としては、ニューアカが理論先行なのに対して、実証ないし体感先行。特に浅田彰が評価した個人の消費的な態度に対して、近代的個人を前提とした議論に対する批判。価値相対主義に対する徹底的な批判などがある。
逆に似た立場としては、既存アカデミズムに対する懐疑がある。ここで重要なのは、彼らがニューアカと相容れない点がありうるとすれば、責任を果たそうという点にある。これはカッコつきでの責任なのだが、全てをネタにするのに対して、届ける立場の責任をいう事が彼らの大きな違うなのである。しかし、責任をとろうとすることによって、「地に足のついた」思想が出来るのではないかというのが彼らの立場である。だがしかし、この論考でもそうなっているのだが、そもそもこのような形で人々は消費化するという点で、受け手側が誠意を込めて作り際すれば良いという立場はいささか牧歌的ではある。いくら消費社会論批判をしたところで、自意識は出てくる。つまり自意識を批判するという自意識も、この世にはあるので、やはりこれもまた差異化ゲームの一つにしか過ぎない。
結果的に、この段階に入って、行くと届け出が誰であろうと関係ないという事になる。それが主語であれば消費物として流通し、中身は関係なく、それが差異化ゲームのどうぐとしてなりさえすれば売れるというシステムが出来上がるのだ。
しかし、これらのようなシステムは別に古いものではないのかもしれない。花田清輝に対して吉本隆明から、古くは大正教養主義に至るまで、周縁から異人を送り込む事によって、中心を再生産し、それ以前の中心をスケープゴートとして廃棄していく、これが言論の内実だったのではなかろうか。

脚注
(1)逃走論「差異化のパラノイア」
(2)同上
(3)ここにおける「ポストモダン」とは『構造と力』において取り上げられているラカン/バタイユ/ドゥルーズ=ガタリ/デリダを指し、これら固有名の浅田彰による批評を指す
(4)逃走論「差異化のパラノイア」
(5)同上
(6)〈私〉探しゲーム(ちくま文庫)
(7)『チベットのモーツァルト』(講談社学芸文庫)
(8)逃走論(ちくま文庫)
(9)GS『反ユートピア』
(10)逃走論「私のマルクス」
(11)転向論(講談社文芸文庫)
(12)古屋健三「内向の世代論」
(13)柄谷行人『批評とポストモダン』
(14)逃走論(ちくま文庫)
(15)現代思想<特集 上野千鶴子=""> (16)(18)で指摘している通り、これは便宜上「外側」と言っているに過ぎず、実際は内側の守られた空間に過ぎない (17)佐々木敦『ニッポンの思想』をみよ。ニッポンの思想の中では栗本慎一郎等にも言及を挟んでいる (18)竹内洋の『大衆の幻想』に拠れば、吉本隆明は、旧制学校の学生が持っていたエリートコンプレックスに対する視点を「大衆の現像」という形で持ってきた事によって、ヘゲモニーをとったていった。その点で言うと、吉本のエリート批判もまた、エリート的な立場から再生産された大衆に過ぎない (19)その点で言うと田中康夫は比較的肯定的にそれを書いているのだが、江藤淳はある種の「悲劇」として感受していることが、蓮實重彦との対談『オールド・ファッション』の中で記されている (20)これはフェミニズム運動にも深く関係している (21)それ以前の。とはいえ小林秀雄ー吉本隆明ー柄谷行人では、決定的な差異がある。小林は責任をとりながらも戦争責任に対しては沈黙し、柄谷行人は、戦争責任は糾弾するが、アカデミックな立場自体は否定しない。吉本隆明がいちばんその傾向が強く、大衆の立場に立つことで高度経済成長に於いて、日本が豊かになっていく時代に思想の覇権を獲得する事が出来た (22)丸山真男論(ちくま学芸文庫) (23)この点である時代までは、批評とアカデミックな論文を差異化する認識があった。例えば『批評空間』や福田和也の批評を見よ (24)山口昌男「道化の民俗学」 (25)山口昌男「文化と両義性」 (26)このような思想的な態度もまた、山口昌男「歴史ー祝祭ー神話」の「スケープゴート」に関する問題の延長線上にある。

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