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ピアニスト、藍の使者になる(4)

 ピアノ修業を通して、自分の中でキーワードになっていった「ルーツ」。取り組みが進むほどに深まる「ルーツ欠落の実感」は、その後の藍の出会いを決定づける布石となります。

1、できることはなんでもしました

 学生時代の様々な取り組みは、お金との戦いでもありました。某大手楽器会社の「大人の音楽教室」の受付でアルバイトをしながら、ピアノの練習・舞踏ワークショップ・臨床心理関連のワークショップ・音楽療法関連のワークショップに参加していました。手に入れたい楽譜・CD・本に加えて観たい映画も常に山ほどリストアップされており、どれだけお金があっても足りないくらいでした。臨床心理関連については個人的に抱えていた問題を少しでも整理できればと望んでいたことと、自分の心情をピアノを演奏することでしか的確に表明することができず、少しでも楽に人に気持ちを伝えられるようになれないかと考えての取り組みでした。(大学1年生の夏休みに失語症になったことがあります。こちらの話についてはまたの機会に。)
 時間とお金の算段でかつかつになりながらも、先生の粘っこいレッスンになんとかついていきました。

 先生は私なりの取り組みの全てを「おもしろい」とおっしゃって、いつも楽しみに私の話を聞いてくださっていました。ご自身の経験を交えて、私の取り組みの次の動きにつながるようなヒントもたくさんいただきました。
 そんな会話の中で「まさか」と思うような事実に行き当たることもありました。
「昨日観た映画はすごくかっこいいBGMが印象的でした。バンドネオンで…」
「ああ、アコーディオンかっこいいですね。どこの国のプレーヤーでしたか?」
「たぶん、アルゼンチンの人だと思うのですが…」
「僕、学生の頃アルバイトしてた結婚式用の楽団でピアソラというおじちゃんと一緒に仕事しましたよ。すっごくアコーディオンが上手でした。」
「上手でしたって…昨日の映画のBGM奏者もピアソラという名前でした。アストル・ピアソラっていう人でした。」
「ああ、その人その人。」
半笑いで絶句しました。(そんな簡単に繋がる!?)

 私なりのもがき方で4年を過ごし音楽大学は無事に卒業したものの、ピアノ演奏で教わりたいことはまだたくさんありましたので、愛知県から四国に戻り母が運営するピアノ教室を手伝うようになってからも、月に一度のペースで先生のもとに通いました。
 先生の私へのカテゴライズは、最初の「ちょっとおもしろい人」から「100人に一人の生徒」を経て「10年に一人の変人」に落ち着いていました。(一言でいえば、問題児。)
 その最中に私の中で起こっていたことは、「自分の中にルーツが欠落している」ことへの実感の深まりでした。ピアノでクラシック音楽を演奏することは私にとって当たり前の営みで、少しでもいい演奏ができるように日々鍛錬することに何の疑いも持たず取り組んでいましたが、先生の演奏や土方さんの舞踏、そして例えばたまたまかっこいいと感じたピアソラの音楽にも通じる「ルーツ」の発露のような表現へのあこがれは尽きず、それが自分の演奏に欠落していることへの実感を深めていくことにつながりました。
 コンプレックスにまでは至らないけれど、決定的に満たされない感覚。ショパンもバッハもモーツァルトも大好きなのに。

2、修業時代の終焉

 やがて、小さな町のピアニストとしてカフェなどで定期的に小さな演奏会をさせていただける機会をいただき、月に数回、30分ほどのコンパクトなプログラムを組んで軽いおしゃべりを挟みながらお客様にピアノ演奏をお届けするようになりました。
 そしてその結果、その演奏会に常に駆けつけてくれていた男性とあっという間に結婚することとなり、先生を少し驚かせることになりました。
 「日本では、女性は結婚すると自分の時間を持つことが厳しくなりますね。次のレッスンが最後になるね。」
 結婚式直前のレッスンが、ひとまず落ち着くまでの区切りのレッスンとおっしゃるので…どの曲を持って行こうかとじっくり考え、今一番「先生への感謝の気持ち」を自然に込めることのできる音楽をと選んだのは、モーツァルトのピアノソナタ第12番でした。

 Mozart : Sonata No. 12 in F major K 332

 ソナタを全楽章レッスンに持って行くと、たいてい問題になるのが第2楽章でした。ほとんどのソナタの2楽章目はゆったりと流れる落ち着いた曲調で、これを十分に歌いこみながら演奏することが、私にとって意外と困難でした。(こ忙しく動き回る曲の方がまとめやすかったですね…)
 最後のレッスンでも、この第2楽章がメインディッシュになるのではないかと予想しながらその日を迎えました。
 全楽章を通しで演奏し、先生が「2楽章なんですけれども…」と言いかけた時には「来た…」と思いながら頷いてしまいました。
「良いアドリブが入りました。モーツァルトが聴いたら喜ぶでしょう。とても良かった……」
 最後のレッスンで、やっと第2楽章を褒めていただけた…嬉しいようなさみしいような不思議な気持ちでした。
「僕はもう、みきのことを心配しません。どんな音楽も、ちゃんと自分の言葉のようにして演奏できるでしょう。多分、もう変なことしないと思う。(なんですかそれ。)今日から僕たちは、先生と生徒ではありません。人生と音楽の友達です。言ってること分かりますか?」
 先生の方から、分かりやすくピリオドを打たれた感じになりました。私はもう少し先生の問題児でいたかった気もします。でも明らかに、この日のこの先生の言葉が、私の修業時代の区切りとなりました。ルーツの欠落を抱いたまま…


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