藍栽培と沈殿藍
藍農家の私たちにとって一年で最も賑やかな季節が到来しています。
藍の栽培・刈り取り・沈殿藍の精製を夏中に行い、来シーズンまでの沈殿藍(藍顔料)をストックするのです。
今回は、原料となるタデアイの葉から「藍色」が生まれる瞬間についてご案内したいと思います。
1、藍色の素となる成分は葉に含まれている
基本的なこととして、藍色に発色する成分がタデアイのどこに存在しているのかと言うと、葉の部分。もっと細かくいうと葉肉の部分のみで、茎や葉脈には藍色になる成分が存在していません。
タデアイの葉で叩き染めをするとその様子が確認できます。下の画像で葉脈の部分だけ明るく浮き上がっているのが分かります。
春先に蒔いた種から苗を育て、畑に定植してから約1ヶ月半ほどで梅雨を迎えます。葉がしっかり茂り出すのがこの梅雨を迎える頃。東南アジア原産と伝えられている植物らしく、湿度と気温が同時に上がると成長速度に勢いが増し、株の姿が日毎に大きく膨らんでいきます。
ちょっと昔の画像ですが、同じ畑の1ヶ月間の様子をご覧ください。景色が完全に変わっています。色素をたっぷり抽出するには、葉をたくさん茂らせることが大事。梅雨が来て株がどんどん成長し始めたら、葉の収穫が間近となります。
例年は6月下旬から刈り取りを始めていますが、今年は梅雨入りが早かったので、既に収穫できるようになりました…梅雨ってすごいですね。
2、色素抽出は時間との勝負
葉を刈り取ったらすぐに水洗いをして樽に詰め、水を注ぎます。葉が完全に水に浸かることが大事なので、浮いてこないように重石を置くのがポイント。
この段階では葉の中の藍色の元の成分は発色していません。無色透明かつ水溶性の性質を持つので、水に浸け込むと溶け出してくるのです。
刈り取りから浸け込みまでの一連の作業は、できるだけ葉が元気なうちに素早く済ませるようにしています。そのほうが出来上がりの色が綺麗だから。
そして水に浸け込んでからも無駄に長時間放置せず、最適なタイミングで葉を引き上げるよう見計らうことが、良い沈殿藍に仕上げる大事なポイント。
葉の刈り取りから浸け込み終了までは、可能な限り素早く作業を進めることが要となります。
葉の中の色素成分をできるだけたくさん抽出するためには、長い時間浸け込んでおくほうがいいのではないかと疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれません。最適なタイミング以上に浸け込んでしまうと、逆に青く発色しにくくなるという不思議な現象が起こります。こうなるとどんなに頑張ってもリカバリー不可能で、栽培から重ねてきたすべての手間が泡と消えることになります…
ではどのくらいの時間浸け込んでおくのが良いかというと…内緒。その日の気温や水温、葉のコンディションにもよりますので、あまり確定的な数字をここに書くのは良くないと考えています。
冴え渡らせろ勘!見極め尽くせタイミング!!でございます。
そろそろ葉を引き上げてもいいかなと感じたら、必ず確認作業をするようにしています。樽の水の上澄みをすくい出し、アルカリ溶液に流し入れて十分に発色するかどうか目で確認するのです。
十分に色素成分を抽出できていたら、濃い藍色に発色します。上の画像の1番濃い色になるまでに10秒かかりません。この状態になったら、葉を引き上げる作業にすぐ取り掛かります。
重石を取ると、重みから解放されたタデアイがモリッと浮かび上がってきます。
お疲れ様。みんな頑張ったね。あとは任せて。
全ての葉を取り除くと、透明だった水の色がバスクリンをたくさん入れた後のような色になっています。(ここでシルクを染めたらどんなにいい色に染まるかといつも思ってしまう)
祖谷の大歩危小歩危あたりの吉野川の色みたいです。(地元の人にしか分からん例え)
そして、この後の作業にも素早く移ることがいい色に仕上げるもう一つの大事なポイント。沈澱藍作成中の藍は構ってもらいたがりで…無駄に放置されると勝手に違うこと始めちゃうのです。だから、「おお、よしよしいい感じ。この調子で次行こう!」とテンポよく促し伴走し続けることが大事なんです。
この状態からアルカリ性の素材と(薬剤は使いません。昔ながらの材料で調整します)酸素を思いっきり投入し、酸化発色をスピーディーに進めます。こうすることでやっと、あの藍色が生まれます。
溶液の色がグンと濃くなっています。藍色に発色すると不溶性に変化し、微粒子となって水の中を浮遊していると考えてください。溶液中の色素成分を念入りに発色させたら空気の注入を止め、ごく小さな微粒子となった藍の色素が水の底に沈澱するのをひたすら待ちます。ここでやっと訪れる静寂。ゆっくり待ちます。
ここからは数日おきに様子を確かめ、上澄みを廃棄しながら濃縮していきます。ゆっくりゆっくり時間をかけて濃縮します。目的の用途によって、ペースト状態で完成させることもあれば、完全に水分を飛ばして粉末に仕上げることもあります。
ペースト状態なら、こんな感じ。必要に応じてこれを再び水の中に投入し、洗うことがあります。植物に含まれる灰汁を洗い流してより澄んだ藍色に仕上げるためです。洗って沈殿を待つ、を繰り返しながら調整した沈殿藍の色は色の冴えが違います。絵画や友禅などの染付顔料として使用される場合は、できるだけ洗いを繰り返したものの方が鮮やかな表現が叶います。
染色の助剤として「すくも」で建てた甕に投入するのであれば、あまり神経質に洗いを繰り返す必要はないかな〜〜と思います。
これまで、「あの緑の葉からどうやってこんな藍色ができるんですか」という質問を何度もいただいてきたので、やっとご案内できてホッとしています。みなさん、これ読んでください。もう二度と説明しません。(嘘)
実際、「すくも」と「沈殿藍」の違いを、ご存知ない方に説明するときの苦しさといったら…。
これが「すくも」です。
そしてこっちが沈殿藍。
全く別物ですね。
3、旧麻植郡山川町で沈殿藍を作り続ける意味
私たち家族がこの場所で沈殿藍を作るようになってから、約20年が経とうとしています。両親が地元の農大で作り方を教わったときは、染色の助剤として利用するためのものでした。
それが…いつの間にか洗顔石鹸の素材として使うことになり、化粧品素材として必要な精度を保つために様々な試みを繰り返し…気がつけば20年。影も形もなかった長女がもうすぐ18になります。えらいことだわ…
その20年の間に、この旧麻植郡山川町という場所が藍と深い縁のある場所であったことを知りました。
天照大神に仕え、朝廷祭祀に必要なものづくりを司った阿波忌部氏の始祖と伝えられている天日鷲命(あめのひわしのみこと)が拠点を構えた場所がこの町。祭祀に必要な麻を植えたから、地名が麻植郡。(今は合併して吉野川市になりました)
麻を媒染剤を使わずに染めることのできる染料は藍と柿渋のみだったこともあり、特に一年草の藍(タデアイ)は麻とセットで栽培されてきた歴史があるようです。(全国各地の忌部に由来する地域を辿ると、麻と藍の産地であった場所がたくさん見つかります)
現在、国内で藍染め染料としてメジャーなのは「すくも」ですが、実は室町時代以前は「沈殿藍」の方が主流であったことがいくつかの資料で伺えます。藍の産地として知られてきた阿波も例外ではなく、特にこの阿波忌部の方達が国内で初めて産業として藍作りに取り組んだものが、この沈殿藍でした。
そんなこととはつゆ知らず、せっせと沈殿藍を作り続ける私たちのことを、天日鷲命は面白おかしく眺めておられたかもしれません。
私たちの藍畑です。左奥に見えている種穂山(たなぼやま)の頂上が、天日鷲命の拠点でありお住まいだった所。今もその場所に種穂神社が残り、今年は父が総代を務めています。
なぜ彼らがこの場所を選んだのか…水・土・気候、様々な条件が彼らのものづくりに必要な条件を満たしていたのだろうと推測されます。実際に、藍づくりには大変適した場所だという実感が私にもあります。
千年を超えて、ここに暮した人と同じことをしている。その意味。私が認識できている以上の大切なことが、まだたくさん埋もれている。それを一つ一つ紐解き、ここにはいないけれど確かに存在していた人たちと語らうことができるのは、ここで沈殿藍を作り続ける人間にとってこの上ない喜びの一つです。
個人的なことで言うと、私が学生の頃に欲し続けていたルーツとの接点がここにあるのです…
そうやって作った沈殿藍で多少なりともどなたかのお役に立てることは、本当に嬉しいことです。
江戸時代以来、阿波藍は「すくも」がメジャーですが、沈殿藍も細々と頑張っています。旧麻植郡山川町に残る藍農家は私たちが最後の一軒となりましたが、可能な限り、昔ながらのピュアで綺麗な沈殿藍を、必要としてくださる方の元へお届けできるようにしていきたいと考えて取り組み続けています。
よろしければ、サポートをお願いいたします。いただいたサポートは藍農園維持と良質な藍顔料精製作業に活用させていただきます。